【おとーふ御前試合】星影のふたご 五話
おとーふ様主催「おとーふ御前試合」寄稿作品
ノアの意識がぽっかりと浮上する。
何もない。痛くも、つらくも、苦しくもない。流星に触れたはずなのに。
ぼんやりとしながら、ノアは身体を起こす。
目覚めたら、世界が変わっていた。しゃぼん玉のように不安定で、オーロラのように視界一面を覆う流星の残滓。流星がもたらした景色は、あまりにも美しい。
そんな中、自分の身体の異変に気がついて。
「どうして、僕……」
身体が発光している。
その事実に、ノアが戸惑っていると。
――さぁ、瞬いて。
誰かの声が聞こえる。
誰かの意識が共有される。
――さぁ、輝いて。
流星の記憶だ。
それがずっとずっと求めていた星の力だと、ノアは漠然と知る。
――さぁ、煌めいて。
あ、と気づく。
流星は知っている。
ノアの願いを。
ノアの願いを叶える方法を。
だからノアは、それらの声に耳をすませて。
(あぁ、こうすれば良かったんだ)
星々はいつか誰かだった存在で、森羅万象の叡智を記憶している。その片鱗が今、瞳を通ってノアへと収斂された。星の力を宿したノアの身体は淡く発光し、虹彩が星々のようにチカチカと瞬く。
臆することなく流星へと立ち向かった少年。彼に与えられた恩恵はあまりにも大きい。だって彼はもう、願いを現実にするだけだから。
そのためにも。
「ティティアを、返してほしい」
ノアの言葉には力が宿り、その言葉を一番伝えたい誰かのところまで運んでいく。
その言葉を受け取った誰かは、静かにノアの背後へと現れた。
「……これはこれは、本当に流れ星を掴んでしまうとは」
シルクハットをかぶった、顔のない紳士。
ティティアを連れて行ってしまった悪魔が、大げさに肩をすくめている。ノアはゆっくりと振り返り、悪魔と向き合って。
「……ティティを返してください」
「困りましたねェ。この人形はあなたの手に余るものではありませんか」
人間のようにため息をつく悪魔。
ノアは「違う」と小さく言葉を転がした。
「人形じゃない。僕が返して欲しいのは、棺桶に眠っているティティアだ」
悪魔が嘲笑う。
気づきましたか、と嗤っている。
あの日。
初めて悪魔と邂逅した日。
ティティアはまだ人間だった。
彼女の魂を悪魔が呼び戻し、さも当然のように人形へと移し変えてくれた。ノアはティティアの魂を動かすために夜ごとエーテルを注いでいた。
それがそもそも間違いだった。
今なら分かる。
ありのままのエーテルを全身に感じる今なら。
「……魂は身体に繋がることで、ひとつの個になる。僕も、ティティアも。この身体だから、僕らなんだ」
だからこそ、おかしい。
悪魔がすり替えた人形に、ティティアの魂が宿るなんて。
だって、身体との繋がりが消えてしまったティティアの魂は今。
「ここにいる」
ノアの右眼に、薔薇色の炎が咲き乱れた。
右眼から零れでた鮮やかな炎は、具現化したエーテルだ。ここにいるよ、忘れないで、と存在を主張するように、大きく、艶やかに、炎の華を咲かせる。
「僕が掴んだ流れ星こそ、ティティアの魂だった。身体を失った魂がエーテルであるのなら、僕が採取したエーテルは、誰の魂だったんですか」
断言できる。
あれは紛い物だったと。
ティティアの真似事をしていただけの〝悪魔の人形〟だったと。
ノアはもう、悪魔の虚言に踊らない。
「もう一度言います。人形じゃないティティアの身体を、返してください!」
いっそう鮮烈に色づく、右眼に宿る薔薇色の炎。
ノアの瞳がカメラ・オブスキュラの針穴だとすれば、ノアの身体は感光紙だ。望遠鏡でしか見つけられなかったエーテルも、今は肉眼で焦点をあわせ、胎内に実像を結ぶことができる。
それだけじゃない。
エーテルの本質を知った今なら。
ノアは力強いまなざしで悪魔を見つめた。シルクハットの紳士の姿が滲んでいく。瞳の奥で焦点が結ばれ、実像が定まっていくほど、悪魔の存在はゆらいでいって。
悪魔は感嘆する。
「なるほど……あなたの瞳は魂を収斂できるようになったのですね」
魂を弄ぶ悪魔が、魂を弄ばれる。このまま見つめられ続ければ、顔のない悪魔は魂を収斂されて、エーテルというただのエネルギーになってしまうだろう。
それはたまったもんじゃない、と悪魔が音を上げた。
「致し方ありません。今回は幕引きといたしましょう。流れ星を掴まえた少年の物語に付き添えないのが残念です――」
悪魔が指を鳴らすと、ごとりと音がする。ノアの視線が一瞬だけそちらに向くと、次の瞬間にはもう悪魔はいなくなっていた。
あとに残されたのは、いつか失くしたと思っていた棺桶だけ。
ノアは顔を歪めると、質素な棺桶に縋りつく。逸る気持ちのまま、棺桶の蓋を開けた。
「ティティ……」
滑らかな陶磁器とは違う、渇いた青白い肌。
華やかなドレスとは違う、簡素な死に装束。
エナメル質の瞳とは違う、落ち窪んだ眼窩。
ようやく取り戻した。
これこそがティティアを象る器。
目覚めと眠りを幾夜も繰り返した。
生と死を幾度も繰り返した。
諦めきれなかった。許容できなかった。目を背き続けた。信じたくなかった。夢だと思いたかった。
そのすべてが過ちだった。
でも、そのすべてが過ちだったからこそ。
「君が、帰ってきてくれた」
ノアは不器用に笑う。
ずっとずっと、願っていた。
暗闇の日々を抜け出して、たった一人の片割れと一緒に日の下を穏やかに歩ける日々を。
「今度こそ、ずっと一緒だから」
ノアは、躊躇わなかった。
躊躇わず、薔薇色の炎が宿る自分の右眼へと手を伸ばす。右眼をえぐり、何よりも尊い遺骸へと分け与える。
――さぁ、瞬いて。
――照らして、灯して、いのちの形。
ノアの瞳を通し、遺骸の胎内をエーテルが循環していく。それはさながら流星のように、血流のように。さらさらといのちの輝きが流れていく。
――さぁ、輝いて。
――見つけて、繋いで、いのちの糸。
やがて人の身の熱を宿した。
ティティアにいのちが宿っていくほどに、ノアの身体の輝きもだんだんと収縮していって。
――さぁ、煌めいて。
――願って、焚べて、いのちの舟。
夜闇の中、地上に二つの星が瞬く。
エーテルが散るノアの左眼と。
目覚めたばかりのティティアの右眼。
エーテル色に染まる双眸は、ふたごの兄妹に一つずつ。
「……お兄、さま?」
「ティティ……!」
片目だけを瞬かせるティティアは、少し寝ぼけているような声だ。目をしぱしぱさせて焦点をあわせると、ノアへにこりと微笑みかけてくれて。
「お兄さまったら、すっごく意地っぱりだったわね」
その言葉に、ノアの残った眼から雫がこぼれ落ちる。
ティティアは見ていた。兄の愚行。止まらない願い。天上高くから、ずっとずっと見守っていた。
「ごめんね、ティティ。頼りない兄でごめん。僕は君がいないと駄目なんだ。だからもう、僕を一人にしないで」
ティティアがノアの頬へと触れた。しょうがないわね、と優しい言葉を紡いでくれる。
「お兄さまったらとっても我儘だわ。でもティティアはそんなお兄さまが好きだから、ずっと一緒にいてあげる」
うん、とノアは頷いた。
ノアは感じている。自分の中に収容されたエーテルがどれくらいのものか。ティティアに流れていくものがどれほどか。そしてこのエーテルが砂時計のようにすべてティティアに流れていったら、自分がどうなってしまうのか。
その時こそ、ふたごの終が訪れる。
言葉通り、ノアはもうティティアを置いていかないし、ティティアもノアを置いてはいかない。
これ以上ない理想の終焉。
その終わりが来る日まで、二度と二人は離れない。