【おとーふコロシアム】竜女はまやかし皇帝を愛してる 〜あの時助けてもらった鯉です。恩返しに来ました〜
とーふ様主催「おとーふコロシアム参加作品」
あなたは命の恩人です。
あなたはいじめっ子たちの悪戯で土に埋められ、呼吸もできずにいた私を救ってくれました。
あの時、あなたが不自由な池ではなく、どこまでも続く水路へと私を放してくれたから、私はこうして生きています。
あなた。あなた。いつも寂しそうに私のいる池をのぞいていた、あなた。
真っ赤に腫らしていた瞳に、もう涙はありませんか。ぼろぼろだった衣は誰かの愛情で縫われましたか。いじめっ子たちに切られた髪は伸びましたか。
あれから十年経ちました。
とても長かったですか。
私、とても鈍くさかったから。登竜門を越えるのに時間がかかってしまいました。
でもようやく。ようやくこうして、あなたに会いに来ました。
私の名前は戀々。
あなたが恋しくて、竜になって舞い戻ってきました!
◇
私、空を泳ぐこともできるようになったんです。
悠々と冬の晴天を滑空して、私は目的の建物の前へと降り立ちました。
「な、何者だ!?」
「ここは今、朝議中である! あやしき者よ、去れ!」
ふんふんふん。知ってます。修行した時に老師から教わりましたから!
私はにっこり笑って、矛を向ける二人の門番にゆっくりと歩み寄ります。鯉時代の抜け髭で編んだ領巾をゆらゆらと風にそよがせました。
「うっ……」
「力が……っ、抜け……」
がくりと膝をつく門番たち。安心してね、ちょっとぼうっとするだけの術なので!
笑顔で宮殿の扉へと触れる。
この向こうにいる。
この向こうで待っている。
私がずっと会いたくて、ずっと恋しくて、ずっと恩返しをしたかった人が!
扉をゆっくりと開けます。
扉の向こうは大広間。同じ冠、同じ衣、同じような顔の人たちがびっしり。そのさらに奥で、私の記憶にある面影を残す人が、一人だけ立派な椅子に座っています。
大丈夫。冕冠から垂れる琉がちょっと邪魔で見えにくいけれど、竜になった私の視力ならちゃんと見分けられる。
私は満面の笑顔を向けました。
「たのもー! あの時、助けていただいた鯉です! 恩返しに来ました!」
しぃんと静まりかえる大広間。
ここにはたくさんの人間がいるのに、あまりにも静かです。
そんな中、私の喉元に冷たいものが当たります。
剣。剣だわ。
突きつけられた剣。
私が会いに来た人の隣りに侍っていた恐ろしい形相の人間が、私に剣を突きつけています。
「陛下から離れろ、妖怪め……!」
私は目を細めました。
妖怪、そうね、私って妖怪かも。
命の恩人のために姿を変えてまで、ここに来たのだから!
私はにこりと笑う。
突きつけられた剣を腕で払う。
すごく、不愉快。
ついでに領巾を揺らしてこの人も動けなくさせておきましょう。
誰も動かない。
誰も動けない。
ここはもう、私の支配下の世界。
私は命の恩人へと触れました。
気怠げに椅子へと座り、無感動な表情で私を見上げてくる彼に微笑みかけます。
袂をくつろげ、彼の手を取り、そっと胸の間へと指先を触れさせました。左右の鎖骨の中央に、つるりとした感触があるはずで。
「これが私の逆鱗よ。これを飲めば、あなたは不老不死になれる。お金がほしいなら、この身を刻んで万金に変えてくる。あなたが助けてくれた私の命、あなたのために使わせて」
彼の感情が少しだけ動きました。
無感動だった瞳に、くるりと光の魚が泳ぎ始めます。
「……そなた、これが逆鱗だというのなら、その本性は竜か?」
「えぇ! もちろんですとも。あなたが昔助けた鯉が、登竜門を越えて、竜になったの。信じられない? 信じてくれる?」
ねぇどっち、と小首を傾げれば、彼の瞳を泳ぐ光の魚がゆらゆらと不安定に揺れました。
玉座に座る彼は、一度瞬きをします。瞬きのうちに、光の魚はいなくなってしまって、また無感動な瞳に戻ってしまいました。
「……竜であると言うのなら、御身は尊いものであろう。そんな簡単に身を捨てるものではない」
あぁ、ほら。
彼はいつだって優しいの。
私がずっとずっと会いたかった人は、優しい心の持ち主のまま、この冷たい玉座に座ってる。
この玉座に座った彼は、血の通わない人形のよう。自分の心を殺して、誰かの言葉の通りに従うばかり。この光を隠す瞳が、諦念と諦観だけを宿した瞳が、何よりの証拠。
だから私は、彼にもう一つ、選択肢をあげる。
彼がもっとも望むものをあげるの。
私は彼の耳元へ唇を寄せました。
「不老不死も、万金もいらないのなら。私があなたに自由をあげる。偽物の皇帝陛下。かつて皇太子の影だったあなた。名前も与えられず、まやかしとして生きている、あなた。あなたに名前と、自由をあげる」
それが私の恩返し。
今、あなたがここにいる理由を私は知っています。
そう伝えれば、ふたたび彼の瞳に光の魚が戻ってくる。
大丈夫。この言葉はあなたと私だけしか聞こえない。認識できない。それくらいのこと、私の領巾があればちょちょいのちょいなのです。
だから恩返しのために、選んで欲しい。
私が叶えられる、あなたの願いを。
「……自由を、望んでも、いいのか……?」
ぐらり、ぐらり、揺れています。
彼の心が揺れているのが分かります。
――だから私は笑顔で頷くの!
「もちろんよ! あなたが私を助けてくれたように、今度は私があなたをここから救い出す番!」
待ってました、と私は彼の手を引こうとしました。彼を連れ出そうとしました。でも彼は――その手を振りほどきました。
「……行けない。私は、ここを離れるわけにはいかない。もう、私しかいないのだ」
彼の表情が苦しそうに歪みます。
……あぁ、腹立たしい。彼にこんな顔をさせる人間たちの怠慢が。傲慢が。甚だ腹立たしいです。
でも、彼がそうしたいと言うのなら。
「それなら教えて。私に何をしてほしいか。私にできることなら何でもしてあげる」
そう、なんでも。
にこりと微笑んで、優しく彼の心を剥き出しにしていく。少しだけ、領巾の力に頼りながら。
彼はうとうとと微睡むように、瞳が蕩けはじめます。さぁ、あなたの本心を聞かせて?
「………………を……」
「はい」
「…………子、を……」
ぼんやりとした彼の言葉が段々とはっきりしていく。その言葉に耳を澄ませれば。
「……竜の血を引く子を」
竜の血を引く子。
その言葉の意味を、私は老師から聞きました。
この国はかつて、竜が興した国だったとか。竜と人が混じり、皇が生まれた。だからこの国の皇族は、竜の血を引いているのだとか。
でも。
「竜の血を引く皇族はもういないでしょう?」
竜の血を引く人間なんて誰一人としていない。同胞の血を継いでいるならすぐに分かるのに。
それでも人間とは不思議なもので、いま玉座に座っている彼を、竜の末裔と思っているのね。
でも良かった。
だってそれなら、私が叶えてあげられるから。
私はにっこりと微笑む。
嬉しくて嬉しくて、たまらない!
「それなら子作りしましょう! 私とあなたで、たっくさんお子を産みましょうね」
そうしてあなたが自由になれるのなら。
私、喜んであなたのお嫁さんになります!