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寄稿作品  作者: 采火
個人企画
12/21

【異世界転移葛藤企画】黒聖杯の女神は聖騎士の愛を求める

采火主催「#異世界転移葛藤企画」参加作品。

2024/10/12

 蒸し暑い夏の夜、盆踊りの喧騒を背中越しに感じながら、(あずさ)は足を止めた。

 自分の隣にいたはずの幼馴染みの裕貴(ひろき)が、梓のことをまっすぐ見ている。彼の熱のこもった瞳の中に、浴衣姿の自分が映っている。

 彼の言葉に心臓が早鐘を打った。


「裕貴……今、なんて……?」

「いや、だから、その………」


 裕貴が照れたように視線を逸らした。

 それでも彼の言葉を待っていれば、もう一度、甘い視線が梓のほうへと向く。


「好きだ。……俺の、恋人になって」


 信じられなかった。

 ずっとずっと、片思いだと思っていた。

 この思いはきっと報われないまま、ひっそりと隠していこうと思っていたのに。


「……うそ」

「嘘じゃない」

「だって、月島さんと付き合ってるって噂」

「はぁ!? そんな事実ねぇよ! あいつとは部活が同じだけで、なんにもねぇ!」


 裕貴の表情がぎょっとしたものになって、慌てたように梓に言い募ってくる。

 月島朱理は裕貴と同じ弓道部のクラスメートだ。朱理も裕貴も弓道部の男女エースとして仲が良い。付き合っているって噂があって、だから梓はこの恋を諦めようとして。

 この盆踊りだって、来年にはもう一緒に来れないと思っていた。自分の気持ちにけじめをつけるために、今年が最後になるだろうと思っていた。

 だけど、そんなことはなくて。

 来年も、また一緒に裕貴と来れる。

 安心して、力が抜けた。


「あ、おい!」

「え、へへ。なんか、安心したら気が抜けちゃって」

「安心って」


 しゃがんでしまった梓を心配して、傍に膝をついてくれる裕貴。そんな優しい裕貴のことが、梓は小さい頃から好きで。

 だからとびきりの笑顔で、梓の想いを伝える。


「あのね、裕貴。私も、裕貴のこと――」


 だけど、その言葉は最後まで言い切ることはできなかった。

 その続きを、伝えることはできなかった。


 その瞬間、梓の足元に魔法陣のようなものが浮かび上がり、二人を異なる世界へ連れて行ってしまったから。


 そしてその先で、裕貴は殺されたから。

 それから二十年。


 ――梓は黒聖杯の女神として、生かされている。



 ◇   ◇   ◇



 梓の世界は鳥籠の中だけだ。

 鳥籠の中にはベッドとテーブルと椅子が一つずつだけ。

 時間の感覚はとっくの昔になくなってしまったけれど、なんとなく鳥籠の位置によって日が変わることを知っている。


 梓をこの世界へ呼んだのはハーデンヘル教と名乗る狂信者たちだ。

 梓のことを『黒聖杯の女神』と呼び、大きな鳥籠の中へと閉じ込めた。


 鳥籠に入れられた梓の役割は、瘴気溜まりとなっている地下空間から、瘴気を汲み上げること。

 鳥籠の下には床がない。地面のない空間が広がっている。そして日に一度、鳥籠は地下の暗闇へと吊るされる。梓はそこでおどろおどろしいモノを全身に浴びるだけ。


 地下で呼吸をすると、身体の中に自分じゃない何か恐ろしいものが、空気と一緒に入ってきて肺を満たす。それが嫌で絶叫しながら自分の喉や胸を掻き毟る。終わらないその地獄にいつしか意識が消える。


 鳥籠が地下から引き上げられると、胎内に入った瘴気を取り出さないといけない。鳥籠の中に神官たちが入ってきて、梓の身体に刃物で傷を付ける。手首から流れる血が蒼から紅に変わるまで、金色の器に梓の血を注いでいく。運が良ければ気を失ったままだし、運が悪ければ自分の身体から流れていく蒼い血をただただ傍観するだけ。


 怖かった。

 痛かった。

 苦しかった。

 悍ましかった。


 終わらない地獄に絶望した。


 誰も助けてくれない。自分のことを好きだと言って、守ってくれようとした人は無惨に殺された。日本じゃない、異世界だというここには、梓の存在に気がついて助けてくれる人なんていない。


 いるのは、人を食い物にしているハーデンヘル教の狂信者たちだけ。


 怖い。

 怖い怖い怖い。


 泣いても喚いても、どうにもならない。

 そんな梓が感情や五感を失うのも時間の問題で。


 何も感じない、何も思わない、何も考えない。


 正気なんかない。自己なんてものも邪魔でしかない。梓は自我のない人形のように、ただ呼吸をするだけの存在に成り果てた。


 そんな梓がもう一度、自我を取り戻すことができるとしたら。


「ここがハーデンヘルの最深部!? ようやくお目見えね、黒聖杯の女神!」


 けたたましい足音と、どこまでも響く澄んだ声。

 梓のいる鳥籠の傍へ、誰かが来る気配がする。

 ぼんやりとしながら鳥籠の外を向くと、見慣れない三人組がいた。


「メルティー様、うるさいです」

「セルツったら失礼ね! 聖女である私の声を聞けば、どんな人だって澄んだ心を取り戻すって言われているのに!」


 神官の出で立ちをした赤毛の少年に、純白に金の刺繍が施されたドレスを着た少女が頬を膨らませて抗議した。

 太陽の光のような少女の長い金髪が、暗い部屋の中でも不思議と輝いて見える。

 蝋燭よりも明るいその輝きに、梓の視線が釘づけになる。


 光。

 明るい光。


 ずっと蝋燭だけのか細い明かりしかもらえなかった梓にとって、その光はあまりにも眩しすぎた。

 あんまりにも眩しかったから、すぐには気づかなかった。

 もう一人、目が眩むような目映い少女の直ぐ側に、銀髪の聖騎士がいることに。


「……アズサ?」


 騎士が名前を呼んだ。

 もう梓ですら見失っていた、音。

 あずさ、という音があったことを思い出す。


「……?」


 この世界に、梓の名前を呼ぶ人間なんていない。存在しない。誰も梓が梓であることを知らない。興味がない。

 梓は『黒聖杯の女神』としてしか、名前をもらえなかった。かつて生まれた世界で授かった大切な名前を棄却された。


 どうして。

 その、名前を。


「ディーン、知っているの?」

「……前に話した、夢の少女だ」

「黒聖杯の女神が、ディーンさんの運命の人ですか? 笑えませんね」


 不思議そうなメルティーと怪訝そうなセルツの問いかけに、ディーンが強張った表情のまま頷き返す。


 そんな様子を茫然と眺めていた梓は、不意に胸の奥で忘れていたものがチカチカと点滅するのを感じた。


 名前。

 梓の名前。

 大切なもの。

 もう、失いたくないもの。


(――欲しい)


 梓の胸の奥で、ずっとずっとしまわれていたものが鎌首をもたげた。


(――私の名前を、呼んで欲しい)


 ゆっくり、じっくりと。

 地下に蠢くものが、とぐろを巻いて這い上がってくる。


(欲しい、欲しい、欲しい欲しい欲しい欲しい――……)


 最初に気がついたのは、聖女メルティーだった。


「待って! 何かくる!」


 セルツとディーンが弾かれたように顔を上げ、メルティーを守るように前へと踏み出した。


 梓の視線は、ディーンに釘付けだ。

 心臓がどくどくと脈打つ。苦しいほどに脈を打つ。あれがほしい、近くに来てほしい、もっとよく顔を見せてほしい。


「もっと、声を、聞かせて……?」


 その声を。

 もう忘れてしまった、顔も朧気になってしまった、梓と恋をしてくれた人。

 彼を想起させてくれる、その声で。


「私の名前を呼んで――!」


 地下からおぞましいモノが吹き上がる。

 黒い霧の中に、さらに濃い黒の星を散りばめたようなそれに、メルティーたちは総毛立つ。


「なんていう濃度の瘴気なの!? あんな中で平気な人間がいるわけが……!」

「よく見てメルティー様! あの籠の中!」


 セルツの言葉に、メルティーが絶句する。

 噴出する瘴気の中で夢見る乙女のように頬を染める少女を、聖女は信じられないと言いたげに凝視した。

 だけどその視線すら、梓は気にしない。目に入らない。梓が見ているのは、白銀の騎士だけ。


「うれしい、会いに来てくれたのね、うれしい。ここから私を出して。おねがい。私を帰して。いっしょに帰ろう?」


 梓の感情に即発されたように、濃霧のような瘴気がディーンへと襲いかかる。

 メルティーが咄嗟に祈りの姿勢へと入り、ディーンを筆頭に自分たちを包みこむように聖なる盾を生み出した。


 気に食わない。

 梓は気に食わない。

 どうしてこのおぞましい力を避けるのか。


「どうして? ねぇ、どうして? 私と同じように、苦痛に喘いでくれないの?」


 聖女メルティーが梓を痛ましいものを見るかのように表情を浮かべる。神官セルツは救いようもないと言いたげに杖を構える。


 騎士ディーンは僅かに眉間にしわを寄せるだけ。

 たったそれだけの反応しか、梓に返さない。


 梓はそれが、悲しい。

 ついさっき名前を呼んでくれた人が、自分から興味をなくしてしまったようで。

 悲しい。


「やだぁ……! 忘れないで! 覚えていて! 置いていかないで! 私を呼んで――!」


 さらに濃くなる瘴気の濃度に、聖女メルティーの背筋に冷や汗が伝う。


「これが黒聖杯の女神の力……なんておぞましくて、悲しくて、寂しい力なのかしら」

「メルティー様、共感は禁物だ。あれは邪教によって生み出された禁忌の存在だよ」

「分かってるわ。分かってるけど……」


 聖なる盾の内側で、聖女メルティーは表情を歪ませる。

 このまま殺すか封じるかするのは簡単だ。

 だけど本当にそれでいいのか、葛藤が生まれる。

 そんな聖女に、騎士ディーンが言葉を投げる。


「メルティー」

「はい!」

「可能なら、話がしたい」

「ちょ、ディーンさん!?」


 セルツが止めようとするけれど、ディーンは冷静に言葉を重ねる。


「彼女が求めているのは俺だ。どうにかできないか、話してみたい」


 ディーンの言葉に、メルティーは逡巡する。

 そして微笑んだ。


「分かりました! ディーンの運命の人かもしれませんからね! まずは瘴気の浄化を全力でやりましょう。そのあとでゆっくりお茶の時間を作って差し上げます!」


 メルティーの覇気にセルツは仕方ないと言いたげにため息。ディーンは少しだけ表情を緩めて。


 ――その様子を、梓は妬ましげに見ていた。



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