82.大樹の村の黄昏
アルテミシアは一人、夕日を眺めていた。
山道を北に進んだ先、そこに古い時代の関所のような建造物がある。
その壁の上に足を組んで座って、その夕日が沈みゆく姿を、ただじっーと眺めていた。
ラクロア大樹の北側…
北のブロスナム方面に続く山道は、南側と同じように、左側に高い岩壁が続き、右側は断崖絶壁という危険な山道が続く…
北側の山道は南側と比べると、直線ではないが蛇行も緩やで、勾配もゆるやかで急激な坂道の高低もない。
ただ道幅は南側よりも狭く、それもところどころ極端に狭くなり、馬車二台が並ぶと危険な狭い箇所がいくつもある。
その関のある場所は、長い坂を登りきった頂上に当たる。
少し広がった広場のような場所だ。
その広場に面して、関は東向きに作られている。
南からの山道はこの広場を経由し、L字に折れるように東へ伸びている。
この関に至る道は南側も東側も下り坂になっていて、それぞれの片側…西側と北側は高い岩壁になっていて、その上からも弓で射下ろしたり物を投げ落とすなど、
つまり、東側、南側どちらに対しても守るに硬い地形になっている。
南も東も、関に至る道と並ぶようにもう一本、関の下の岩壁にくっつくように勾配のない道があるのだが…ただしこちらは途中で分断され、どちらも行き止まりになっている。やはり関を抜けるしか通り道はないのだ。
古い時代、まだこの道が盛んに使われていた頃、ここで旅人や行商人を足止めし、通行料を取り立てていたのだろう。
もちろんこの関は、今は使われておらず打ち捨てられている。
「アルテミシアさーん!」
「作業、終わったよー」
女兵士のフィリアとランチェだ。
今日はユナの弐番隊と一緒に行動していた。
アルテミシアは、見てご覧♪ というように、西の空を指した。
「うわぁ~~!」「きれい…!」
久々にみる夕日の美しさに、女の子たちも声を上げた。
彼女たちの活動範囲は、スィーニ山の山頂を西に臨む形になるので、西の空が常に隠れる形となる。
だからここは、夕日が見られる唯一の場所なのだ。
アルテミシアは、ここで黄昏にひたるのが好きだった。
暮れなずむ東の空、ゆっくりと姿を表す無数の星明かり。
そして徐々に光を強くするお月さま。
ただ何もせず、ぼーっと、空の色と光が移りゆくのを眺めるのが大好きなのだ。
アルテミシアは、美しい景色を愛し、美しい詞を紡ぎ、美しい歌を謡い奏でる。
妙なる景色はアルテミシアの心に、歌を紡がせる…
黄昏に染まる 物悲しい旋律が導く、哀愁の歌…
いつしか、月琴は音を奏で、月の姫は静かに歌い始める…
歌が終わった時…いつの間にか、みんな集まっていた。
全員が、アルテミシアの歌の世界に浸り込んでいた…
この関の片付けを行っていた。
建物の残骸なのか、岩が多く散らばっているのだ。
アルテミシアは軽量化の魔法をかければ仕事は終わりだ。
後は女兵士たちや、一緒に来たユーミが片付ける。
東側の山道の、その北側に聳える岩壁、
その上に撤去した大きな石を集めていた。
その活動はユーミが一人で行った…というより、ユーミほど力が強くないと、もって上がれない。
これは、フローレンの指示だった。
ここで、何らかの戦いになるような事でも想定しているのだろうか。
「帰りましょう。日が暮れそうです」
弐番隊隊長のユナが、我に返ったかのように口を開いた。
「かえろー! おなかすたー!」
ついでにユーミは、そのへんで獲った得物をかついでいる。
エルフ村の食事は、かなり豪勢だ。
食卓には色々な加工食品が並ぶようになり、味も栄養価も申し分ないものをここの女子たちは食べている。
ミミアの故郷のイアーズ村から持ち込まれたブドウは、女子たちに好評だ。
森妖精たちには葡萄酒がいっぱい飲めて大喜びだ。
葡萄酒づくりは、実際にイアーズ村で作っていたミミアたちが中心になって行っていた。
他の村の女の子も合わせて、みんなでブドウをふみふみして作っている。
いいワインは、乙女たちが素足で踏み踏みして作る。
彼女たちの村では古くからの習わしだ。
それに葡萄酒は、販売用としても質の高いものが作れそうな期待があった。
より熟成を必要とするので、完成には時間がかかるけど…
だけど…ここの熟成の度合いを考えると…どんな貴族も口にしたことがないような、幻の葡萄酒が完成するかもしれない期待がある…
それ以外にも…
つい先日、ウェーベルとアーシャが故郷のアヴェリ村から大豆をもらってきた。
こちらも既に沢山育っている。
最初、それを聞いたアルテミシアは、こう思った。
「わたしのために、キナコの材料のお大豆を…なんてカワイイ弟子たちなのかしら♪♪」
「あ、うん、えっと…」
「えぇ…そのー…」
「あ、あのね、別に…きなこもちの為に貰ってきた訳じゃあないと思うよ」
いい辛そうにしているアーシャとウェーベルに代わって、レイリアが率直に言った。
まあ、それは…スィーツ女子にとって、あまりにも…そう、配慮に欠けた物言いに違いない…
その心無い言葉を聞いて…
アルテミシアが落ち込んだ。
すごく落ち込んだ…
「あ~…アルテミシアさ~ん…泣いたらだめですよぉ~…」
アーシャがアルテミシアの頭を、よしよし…となでなでする。
「あ…も、もちろん! きなこもちも、作りましょうね…!」
ウェーベルもさりげなくフォローをいれる…
「大豆は使用用途が多い、有用な食材なのです~」
「ええ…アヴェリ村特産のキナコだけじゃなく、色々な食品作りに欠かせません」
アーシャとウェーベルはこのアヴェリ村産の大きな豆の用途について、他の女の子たちに説明する。
「えっと…まずは~…大豆ミルクですね~」
ミルクを外から買い付けるしかないので、そのかわりに豆を絞って似たものを作る…
アヴェリ村の大豆は独特の甘みがあるとかで、甘みたっぷりの大豆ミルクが作れる。
「次に、大豆の発酵調味料ですね…」
このなめらかな粘性調味料は、そのままアツアツのコメにつけて食べてもいい。
大豆を発酵させた、この調味料の野菜スープは絶品だ。
「あ、もちろん、乾燥させて粉にして、きなこも作りましょうねー…」
「約束ですから~…アルテミシアさ~ん…起きて~…」
スィーツ乙女は、しばらく立ち上げれそうにない、かもしれない…
兵団の誰かが知識を持っている食品加工に関しては、すでにいくつか作られている。
そうでない物に関しては、アングローシャで買ってきた、食品に関する書物を参考にして作る…。
ここの実りの速さだと、ここの全員の食料を賄うのに充分で、しかも割と放っておいても作物が実る。
アルテミシアが、畑に簡単に給水できる装置を作ったので、その労力と時間を他のことに当てられるのだ。
食品加工に時間を掛けられる事で、より美味しく食べられるようになった…。
充分に食べるだけでなく、食生活も豊かになってきた。
そう、充分に生活できる…
でも、ここに籠っているだけではダメだ。
この森の村に籠もるのが目的ではないのだ。世界の情勢が良くなったら、また町へ戻り生活する事になるだろう。
この大樹の村は居心地が良いし、生活に不自由する事はない。
だが、ここにいることで、外との関わりをなくし、社会から離れてしまうという怖さがあった。
いずれ北の戦乱が収まったら、町に帰ってもとの生活に戻る。
クレージュはここで稼いだお金で、フルマーシュの開いている店舗を買い取って、大規模な商店街を作るような事を考えている。
ここにいる子たちに、それぞれにお店を持たせ、仕事を与える。
そしていい相手を見つけて、家庭をもって、幸せになってほしい、というのが、みんなの母親代わりであるクレージュの想いだ。
農耕が楽になって、訓練に使える時間も増えた。
毎日厳しいけれど、訓練を嫌がるような子はいない。
フローレンがいないときも、部隊長のウェーベル、ユナ、ミミア、メメリたちがしっかりしていて、訓練のレベルが下がるような事はない。
それでも女兵士たちは、フローレンが考えていたよりずっと強くなっている。
全く武芸に縁のなかった花屋の親友リマヴェラでさえ、今ではそこそこの戦士だ。
あれだけダメだったクレフ温泉村の三人娘、グラニータ、チョコラ、パルフェですら、兵士として割と様になってきている。
この村で早く作物が育つように、彼女たちは短い時間で戦士としての実を結んでいる。
ただの村娘や町娘は、ある程度戦えるようになるまでに時間がかかる。
元々戦闘訓練など行ったこともない、普通の女の子だった訳だから、まあ当然だ。
それに比べると、妖精族の子たちは、最初から強い。
妖精族だから強いというのではなく、幼少の頃から鍛えられているのだ。
海歌族の四人は、女子徴兵のあるショコール王国の女兵士として、子供の頃から武術訓練を受けている。
火竜族の四人は、レパイスト島の太陽神グィニメグ神殿の巫女として、厳しい修行でその技を身につける。
森妖精の八人も、全員が森の戦士として、弓や槍や樹系統の魔法、そのどれかが得意だ。…そもそも彼女たちは実年齢が見かけ通りかどうかも怪しい…
先月加わった西のオノア地域の三人娘も、危険に巻き込まれる遊牧民やオアシスの民として護身の技を身に着けている。
強くなるのは、戦士としてだけじゃあない。
アルテミシアから魔法を習っている子も多い。
一番弟子はもちろん可愛いキューチェだ。
他の子とはちょっと格が違うくらいに魔法の素養が高い。
その次に、壱番隊隊長のウェーベルと、そのアヴェリ村の妹分アーシャ、
アーシャは七大元素の“樹”と"鉱”の系統が得意なようだ。
ウェーベルは"風”元素の系統、亡き夫から教わった剣技や投針の技と魔法を組み合わせたりしている。
そしてユナ隊のマリエとナーリヤ、それぞれ“光”と"闇”系統の魔法に特化している。
他にも、針子のトーニャや、料理人のトリュール、キューチェの親友ハンナたちが、アルテミシアの弟子として魔法を学んでいる。
意外な弟子としては、保母さん役のニュクスが魔法を覚えて…基礎魔法だけだけど覚えが早くて、
それで、自分も学びながら一緒に子供たちに教えてあげている。
主に生活魔法や、補助的な戦闘魔法だけに限定してはいるけれど…
アルテミシアは魔法装置作成のために、自分の研究室に籠もってしまう…
今日のように、村の外に出るほうが、彼女にとって気晴らしになるのだ…
一度作成に入ると没頭してしまって…
…一日二日、食事も取らず、籠もりっきりで出てこない事もある。
食事は摂らなくても、女の子たちが差し入れに持っていったスィーツだけは食べて…食べすぎているのだけど…
そうやって作った数多くの魔法装置が、ここでの生活を快適にしているのだから、誰もアルテミシアを悪く言う事はできない。
例えば、村の広場の端に作られたこの昇降リフトがあれば、下の森でユーミとアルジェーンがあの意外な美味の魔獣ラキアを狩っても、その巨体を村まで運ぶのが簡単になった。
先の、作物に自動で水をやる装置もそうだ。
そもそも最初のあの露店風呂を作った時点で、その功績は大きく、村の女子全員から揺るぎない尊敬と期待を集めている。
最近では、もう少し規模の小さな、数人用のお風呂づくりに凝っていて、
木々の中の木漏れ日の浴室や、暗く静かな地下室風の浴室、下界を見渡す露天風呂、
天井に映した星空の下で入れる露天風呂、同様に青空の下で入れる露天風呂…
そんなものを次々に作り出している…。
次はフローレンに頼まれて、お花の中で入るお風呂を考えている…
とにかく、温泉が充実してきて、女子たちはみんな大喜びだ。
レイリアは鍛冶工房で働いている…というか、寝泊まりしている…。
鉄を溶かす設備がないので、彼女たち火竜族の炎を操る力で鉄を熱して打っている。
もっとも、物を作るほどの量の鉄がここにはないので、主な仕事は破損した物の修理だ。
あと、レイリアには大事な仕事があって…
出来上がったお酒の試飲、という重大な任務(自称)があるのだった…。
ユーミはいつも狩りの日々だ。
山に行っては必ず獲物をかかえて帰ってくる。
狩りが得意なメンバーだけでなく、それ以外の女の子たちも交代でついて行ったりする。
木の実や山菜、キノコなどもよく採れるのだ。
狩りというより、山の幸を採りに行く部隊、みたいになっている…。
下の森に魔獣ラキアが現れた時は、喜び勇んで片付けに行く…
もちろん、絶品なその肉のためなのは言うまでもない…。
占い師のレメンティは独自に行動している。
以前、商業都市アングローシャから北へ、その内乱の地を西に抜けて、スィーニ山を北から帰ってきた事がある。
町まではクレージュたち商隊と一緒に行って、そこから一人で行動する感じで、町や村を巡って各地の情勢を調べ、情報を集めて回っている感じだ。
内乱の起こっている北のブロスナム領はもちろんのこと、北西の神聖王国ラナ、はては南西の海沿いにある自由都市ガルトまで回ってきた事があった…
…何日も帰ってこないので、死んだ!とか、逃げた!とか、オトコができた!とか、散々に言われていたものだ…
フローレンは、今後も山の探索を行うよう指示を下した。
花月兵団の長としての指示、つまり組織としての活動だった。
ロロリアはここのところ、管理領域を増やすために、山に出ることが多い。
彼女が外に出る時は、アルジェーンは、ぴったりとくっついている。
新しい場所に行くときには、そこにレイリアとユーミが同行したり、フローレンやアルテミシアが付き添う事が多い。
北側の管理領域は、古い時代の関所の辺り…あの辺りを越えると山の恵みが少なく、それ以上管理領域を増やす意味はない。
南側の管理領域は、行方をくらませた難民村の辺りまで。
結局あの村は破棄されたまま、オノアの難民は戻って来た様子がない。
彼らの消息は不明のまま…
そして探索を行っていると、どこで敵対勢力と遭遇するかわからない。
山賊の集団や、先日戦ったようなブロスナム軍の組織だ。
実際にあれから数回遭遇している。
彼らの従える魔獣、鷲馬を倒した事で、この女子の集団は相当警戒されている様子だ。相手の方から戦いを回避する感じで逃げていく…。
一度だけ、戦いを挑んで来られた事があったけれど、難なく撃退。
こちらの女兵士たちの実力が上がっているのを、まじまじと見せられた感じだった。
それ以降、現在の管理領域ではブロスナム残党は見かけない。
だけど…
この山のどこかに、ブロスナムの残党勢力の拠点がまだある…
罪のない者を虐げ、数多くの女子を不幸にする者たち…
これまでの経緯から、この連中とは相容れない。
彼らとはいずれ、決着を付けなければならない。
そもそも…フローレンたち三人はルルメラルア助爵の地位を持つので、敵国の残党を明確に敵認定しても何ら違和はない。
ただし拠点を発見しても、軽はずみには攻撃しない。
戦力を整え、冒険者組を中心に、犠牲を出さずに討伐を行う計画だ。
そしてもうひとつの目的は…
オノア難民の勢力を探す事だ。
あの行方不明になった村人たちについて…
その村にいたオノア難民ベルチェは、そこからさらに西側、神聖王国ラナ方面へ下山した可能性もある、と教えてくれた。
ラナ王国は広大な農地を持ち、働き手として移民を受け入れる用意がある。
ただそうなると、その地に根を下ろす事になり、独立した民族としては融合消滅してしまう…その事を肯んじない者も多いという。
また、この山の情報通なニュクスの話では、オノアの難民の団体はいくつもある、という事だ。
彼らとはできれば共存していくほうが良い、とフローレンやアルテミシアは考えている。
ただ、先日加わったオノア難民のアルセやナールの話では、難民の中には好戦的な集団もあるという…
だからこちらも軽率に接触せず、的確な見極めと、慎重な対応が求められる…
この大樹の村は、一種の「楽園」と言ってもいい場所だ。
実りは豊かで、気候も良い。
ここに暮らす全員、仲が良い。
もっとも、これはリーダーのクレージュの意向と指導力によるところが大きい。
女子たちが互いを尊重し、自分のできることを真面目に行う。
そういう風潮ができあがっている。
これはフルマーシュの店にいた頃から、ずっとだ。
中には、食べ物を巡ってケンカする子もいるけれど、翌日にはもう忘れて仲良く一緒に食べてたりする。
ここで暮らすだけなら、何の問題もないのだ…
それでも…
ずっとここで暮らす事はできない。
ここには男性が入ることはできない。
大樹の持つ大きな魔奈循環の関係で、長くは暮らせないのだそうだ。
唯一入れるという、森妖精の男たちは、既にここにはいない。
「ないものは、そとからもらってきたら、いいじゃない!」
と、ユーミはいつも言う。
そして山に行って獣を狩ってくる。
ユーミがわかって言っているかどうか…それはさておき…
確かに、古代に存在したという女性だけの部族は、そのように外との交わりを持っていた、というが…
そのような形ならば、この村を存続させる事は可能ではあろう…
ただ…
以前、ロロリアが言っていた。
この村は、もうすぐ終わりを迎える…
それはもう決まっている…
と…
そして、
彼女達は古い言い伝えに従っている
とも。




