70.大樹の村への移住
フローレンの一行は、フルマーシュに帰還していた。
行きは十二人もいて馬車に乗れないから、歩きで十日かかったけれど、
帰りは山を降りてから、途中まで馬車を駆けさせて、六日で戻ってこれた。
ラクロア大樹のエルフ村から、前回より多くの交易品を預かって帰ってきた。
「ありがとう。これだけあれば、かなりいい取引ができるわ」
今回の品物を見て、クレージュはかなり満足、というか安心していた感じだ。
前回の取引の結果から推して、今回分の販売金額を、頭で計算しているようだ。
貴重な品だから、外の倉庫じゃなくて、店の厨房裏の大部屋に運んである。
今日は店の女子専用席じゃなく、荷のある広間で集まっていた。
帰ってきたばかりのフローレン、アルテミシア、レイリア、ユーミ、
そしてエルフ村に滞在していた、輸送隊の女兵士ネージェとディアンも一緒だ。
レイリアが、エルフの村で見てきた様子を報告した。
砂糖が思いのほか多く作れていた事と、そして砂糖酒の製造の件を。
砂糖酒はまだ熟成が半ばだけど、何本か持ち帰っている。
「これが、ウワサの砂糖酒ね…」
と、クレージュは一本手に取った。
そして、いきなりその瓶を開けた…。
レイリアも、フローレンもアルテミシアも、ちょっと驚いた。
一本いくらの値がつくかもわからないのに、躊躇いもなく開けた事に、だ。
多分、金貨何枚、というレベルだ。
「自分が扱う商品を知ることも、大切よ」
クレージュは、あっけにとられている三人のグラスに次々に注ぐ。
あまり状況を分かっていない、ネージェとディアンのグラスにも。
…あいかわらずお肉を食べてるユーミのグラスにも。
アングローシャの老舗の商会では、どうやっているのか、少しだけ中身を抜いて、それで鑑定する方法を持っている。その方法は多分、他者には秘密だろう。
素人には同じようにはできないから、味を知るには開けるしかなく、ここで開けてしまえばもう商品には戻せない。
最後に自分のグラスにも注いで、
「みんな、おつかれさま!」
と乾杯した。
はじめて飲む砂糖酒の味に、
「なにこれ…!?」「へ~…こんな味なんだ…」
農村の娘であるネージェやディアンには、かなり驚きの味のようだ。
「…いいわね」「なかなかね♪」
高級品に馴染みのあるフローレンやアルテミシアも、納得な感じだ。
「ガーネッタが言うには、もっと熟成させれば、もっと味が深くなるって」
レイリアはあちらで試飲してきた。…飲みすぎないように、注意されたけど。
レイリアも、この程度の熟成の砂糖酒しか飲んだことがないので、わからない。
でも火竜族の妹分、ガーネッタの話では、熟成は半ばほどだという事だから、これよりもっと熟成させた、付加価値の高い品物を作れそうだ、という事だ。
「これでも充分、って感じだけどね」
南の大陸でしか作れない砂糖酒は、貴族でもなかなか手に入らないお酒だ。
クレージュの予想では、このレベルでも充分という感じだ。
「でも、わずかな間にこんなに熟成されるなんて…」
「そう、ちょっとありえないでしょ?」
「あの大樹は、特別な感じの場所なのよ♪」
アルテミシアがそう言うのなら、魔法的な存在なのだろう。
南国の果実が実るのも、植物が速く大きく育つのも、そして高速で熟成が進むのも…魔法的な何か、ということにしないと、説明がつかない。
「そうね、特別な場所なのは間違いないわね」
花妖精のフローレンは、特にその雰囲気を感じていたようだ。
「あと、熟成はお酒以外もいけるらしいよ」
レイリアはエルフの子に言っていたように、チーズとか作りたい。けど、牛をあの村まで連れて行くのは至難の技である…。
「私も、もう一度あっちに行って、見て回ったほうがいいみたいね…」
クレージュはもう、そのつもりのようだ。
今回預かった交易品を商業都市アングローシャで卸して、その足でラクロア大樹に向かう、という流れになりそうだ。
前回高く売れた果実酒に関しては、今回持ち帰れたのは、一本のみ。
果樹園で採れる果実の量が増やせないのだから、仕方がない。
「だけど逆に、一本しかないんだったら、価値も上がるんじゃないの?」
レイリアはエルフ村で、担当のエルフの子と話していた事を質問した。
「まあ、そうなんだけど…」
貴族たちがその一本の取り合いをすれば、さらに値が上がる可能性もある。
同じものが他から供給される可能性がほぼないので、ある意味レイリアの言う通り、こちらの言い値をつける事ができる。
ただクレージュ自身は、値を吊り上げるような事はせず、商会の言い値でかまわない、と思っている。商会が上手くやって、貴族からお金を取るだろう。
お世話になっている商会を儲けさせることも、大事なのだ。
「商売ってね、売る側も買う側も、どっちも幸せにならなきゃいけない、っていうのが私の信条だからね…それも、長い目で見て、誠実な取引を続けられる相手には、一時的に得を譲ることも必要よ」
クレージュは自分の商売に信念を持っている。
この考え方は、関わる人を大切にしたい、という彼女の人柄から出ているものだ。
そしてそれは、この店に関わる女子達の生活を困らせないように計らう事にも繋がっている。
フローレンもアルテミシアも、だまって頷いていた。
レイリアにしても、そんなクレージュの考えの深さ、人柄の大きさには、感服するしかない。
「…成る程ね…そこまでの考え、アタシには無かったねえ…
ま、アタシは商売向きじゃあない、ってことだね」
グラスの砂糖酒をゆっくり味わうように口に含んだ。
「貴女の得意なことも、いっぱいあるでしょ? 貴女にしか、出来ないことも…」
クレージュは空になったレイリアのグラスに、並々と砂糖酒を注いだ。
(…やっぱり、クレージュだけには、勝てないなあ…)
と、レイリアは有り難く、貴重な砂糖酒をゆっくりと味わうのだった…。
「あ、それと、フローレン…ちょっと問題があってね…」
突然、クレージュは話題を変えた。
「ラクロアに行くメンバーを変えなきゃいけないのよ」
今回、ラクロア大樹のエルフ村に移るメンバーの予定に変更が入った、ということだ。
「リマヴェラ、エスター、トーニャ、ベルノの孤児組四人が、すぐには行けない事になったの…」
「えっ…!? 何!? 何があったの…?」
フローレンはとても気にしている…。
四人の身に、何か起こったのか、と気になる…。
中でもリマヴェラは、お花屋さんで一緒に働いていた、親友だ。
「直接彼女たちに、じゃあなくって、ね…」
彼女たちは孤児で、数年前まで同じ孤児院で暮らしていた。
その孤児院も、最近の不景気で寄付も受けられず、大変な状況だったらしい。
その運営が苦しい中、最後まで一人見ていた院長のお爺さんが、突然病に倒れたという事だった。
現在、彼女たちは交代で院長さんの看病の傍ら、孤児院に残っている二人の小さな女の子の世話をしているらしい。
「あのお爺ちゃんが…」
フローレンも知っている。
まだ花屋さんで売り子をしてた頃だ。
何度か、花を買いに来てくれた事があった。
もっとも、いつも対応してたのはリマヴェラだった。
彼女から、お世話になっていた孤児院の院長さんだと、聞かされた。
その院長さんの看病をするために、彼女たち四人のうち二人が、交代で泊まりに行っているらしい…。
翌朝、フローレンはアルテミシアと一緒に孤児院を訪れた。
「あ! フローレン」「師匠ー!」
ちょうど、リマヴェラとトーニャがいた。
リマヴェラは、フローレンとは花屋さんの頃からの親しい間柄だし、
トーニャは、もと服飾店の針子だけど、アルテミシアの歌と魔法の弟子だ。
院長さんはすっかり痩せてしまっている。
運営が厳しくなって一人になってから、かなりの無理をして、病魔に侵されたのだろう…
もう食事もあまり喉を通らず、僅かに水だけを口に含んでいる状態だ。
「病状には詳しくないけど…♭」
様子を観察していたアルテミシアが、目を伏せ、首を横に振った…。
老齢からの病は、どんな薬でも、どんな魔法でも、助けることはできない、と言われている…
猟師のエスターと、パン屋のベルノもやってきた。
そして小さな女の子が二人…この孤児院に最後まで残った子供たちだ。
「ごめん…花術で苦痛を和らげるくらいしかできなかった…」
フローレンは先程、花園の剣を取り出して、先日使った苦痛緩和の花術をかけていた。
「ううん、ありがとう…」
「十分だよ…あんな安らかに眠ってるの、久しぶりに見たもの…」
エスターとベルノは、安心したようにそう言った。
苦しんでいるのを見て何も出来ないのは、本当に辛かったのだろう。
二人の小さな女の子たちは涙ぐんでいた。
「さっきのって、芥子の花術よね?♭」
「ええ、そうだけど…」
フローレンはここを発ってしまえば、もう術はかけられなくなる。
「知り合いの薬師に、分けてもらえないか頼んでみるわ…#」
アルテミシアもそれがわかっているから、なんとかしようとしている。
でも難しいかも知れない…その表情からは、そんな感じがした…。
一般には使用禁止の薬物だ。
ただし例外はあって、戦場では重症を追った兵士などに投薬されたり、一般の治療にも、痛み止めとして使用される事もある。
「あなた達も、しっかり食べて休みなさいよ…!」
フローレンは四人に向かってそう声をかけた。
看護する側が疲れて倒れてしまう事は、よくある事だ。
そして泣いている二人の小さな子をそっと両手で抱きしめた…。
結局…
院長さんは、町の中央にある施設に入院する事になった。
その芥子の痛み止めの薬はやはり販売する事はできない、との事だった。
だけど、ここに入院することで、薬師が直接薬を打ってくれる事になったのだ。
そして四人は、これまでどおり、交代で泊まり込んで世話をするらしい。
「これで…お義父さん…苦しまずに済みます…」
「ありがとう…よかったー…」
「ほんとに、ここまでしてもらって…」
「まあ、だって…あなたたちの大切な人なら、わたし達にとっても、他人って訳じゃないでしょ?」
「フローレン…その…」
リマヴェラが病室から追ってきた。
フローレンとアルテミシアが、入院のお金を払ったことに、気がついている。
「いいわよ、仲間なんだから…」
「そうよ…お義父さんに、最後まで付いていてあげて♪」
「…ありがとう」
リマヴェラは瞳を濡らしながら、去っていくその姿をずっと見つめている。
お店に返ったフローレンは、アルテミシアと、クレージュと、ラクロアへ行く人選を話し合った。
リマヴェラたち四人がしばらく町に留まる。
孤児院を引き払うので、二人の小さな子、ミウとブルーベリも、このお店で引き取る事になった。
同じちびっこのプララ、レンディ、フォアが仲良く接しているけれど、さすがに二人は院長さんの事が心配で、元気がない…。
「フローレンは、誰を推薦する?」
クレージュはフローレンの、人を見る目、を信用している。
「ミミアとメメリね」
フローレンは迷わず答えた。
この二人は、なるべく早めに、大樹のほうにいってもらったほうがいい、
と、フローレンはあちらにいるときから、ずっと考えていた。
現状、女兵士たちの“上”にいる立場なのは、チアノ。次にウェーベルだ。
そして早いうちに、ユナがその位置に並ぶと思われる。
この三人は年長者なので、そういう形が自然だと言える。
だけど、ミミアとメメリは、女兵士たちの“中”にいる感じだ。
後から来た子たちにも優しく接し、面倒見が良い。
性格も明るく、裏表ない性格で、誰からも好かれ慕われる子たちだ。
そして、努力を惜しまない。
あの南街道の行軍で実戦を経験してから、武術の腕の上昇が著しい。
だけでなく、文字を学ぼうと頑張って、最近では読むだけじゃなく、書く事も学んでいる。
ただし、よく食べる。
…まあ、それはいいか。
いっぱい働くんだから、いっぱい食べるのは、ある意味当然なのだ。
あの村では、その食料を多く作る事が必要である。
全員を食べさせるのが主目的なのだから、当然である。
その為には、農耕が最も重要な課題であるのは明白だ。
幸いあの村は実りが早いので、今から耕しても収穫は間に合う。
二人とも、もともと農家の娘だ。
ミミアは豪農の娘らしく、小麦と葡萄の栽培を始め、色々な作業を実際に行っていて、経験と知識を持っている。
メメリは貧しい中で育っているので、上手く節約したり、道具を大事に使う、上手に使う事ができる知恵がある。
人望のあるこの二人が村の農作業の中心にいれば、他の子たちを引き付けて、作業が進みそうだ。
ミミアとメメリは女の子らしく、おしゃべりが好きだ。
とにかくよく話し、よく聞くので、中には役に立つ話題も出てくるだろう。
この子たちの知識や技術は、他の子たちにもぜひ学んでほしいところだし、他の農家の子の持っているものも引き出せるかもしれない。
「そうね♪ ミミアとメメリに関しては、私も賛成♪」
アルテミシアも、この二人が女兵士たちの中心的存在である事はなんとなくわかっていた。
「私は、その二人と仲のいい、あの二人を推薦するわ♪」
キューチェと、その相方のハンナの事だ。
キューチェは、可愛いのは言うまでもないけれど、とにかく頭がいい。
全員の行動予定を細かく組んだり、効率的な荷物の配置を考えたりするのが得意だ。
頭の中でパズルを組むようにして、それらを自然に組み上げていく。
この店でお風呂の段取りやお掃除洗濯などの順番を決めたりしていたのも、彼女だった。
エルフ村でも、人数が多くなってくれば、必ず必要になる人材だろう。
住む人の数が増えてくればくるほど、彼女のちっちゃな頭に頼るところが大きくなる。
その親友、というかそれ以上の存在っぽい…ハンナ。
この子は非常に人当たりがいい。そして身軽である。
ここに来てまだ日も浅いのに、もう全員と旧知のような感じになっている。
人の間を取り持つのが上手いので、彼女がいると、みんなの会話や作業が円滑にすすんで、雰囲気がよくなる、そういう能力を持っている子だ。
「なるほどね…あの四人か…」
クレージュも異論はなさそうだ。
四人とも、このお店に思い入れはあるようだけど、エルフ村に行くことにも希望を感じている。
仲のいい全員一緒なら、問題ないだろう。
ウェーベルとアーシャ、アジュールとセレステは、お店の仕事の関係で、まだすぐには動かせない。
客足が遠のいたとは言え、まだセリーヌ一人ではさすがに料理は回らない。
エルフ村のほうのご飯づくりがまわらなくなるので、キャヴィアン、トリュールの料理人母娘は、今回の便でラクロアに行く。
だから、ウェーベルとアーシャが残らないと、店の女子たちのごはん作りまで、まわらなくなる…。
「キャヴィアンとトリュールが行く、って事は、当然、フォアちゃんも…?」
「そうなるわよね…♭」
ちびっこのフォアも揃って三人の母娘だ。
小さな子が一人残る理由はない。
「せっかくプララとレンディと仲良しになったのに、ね」
毎日この三人が一緒に遊んで、お手伝いをして、食べている姿を見ているクレージュには、ちょっともったいない感じもする。
「あ、そこなんだけど…」
「プララとレンディにも、行ってもらおうと思うの」
「「え…?」#」
このフローレンの意見は、さすがに意外だったようだ。
「と、いうのもね…あの村に、もう三人も小さな子が集まってきてるのよ」
フローレンの考えは、プララとレンディに、その小さな子たちの中心になってほしいのだ。
この二人は、ずっと大人や年上の子たちの中で暮らしてきている。
そういった大人との関わりが上手だし、みんなに可愛がられている。
二人が中心になって、子供達をまとめてくれたら、色々なことで助かるのだ。
ただ、親元を離れることに抵抗があるかもしれない。
二人の気持ちも大事だし、母親のカリラとセリーヌが、良いと言うかどうかだけだ。
カリラは商売担当、セリーヌはここの料理長だ。
酒場担当のクロエと合わせて、最初からここにいるこの三人は、このフルマーシュの拠点がある限り、ここから動かす事は考えにくい…。
「成る程ね…推薦の理由はわかったわ…。
彼女たちに意見を聞いてみましょ」
クレージュはそこで席を立った。
とりあえず人選会議は一旦終了、となった。




