65.聖地エルロンドを越え
行軍七日目の朝。
ユーミと七人の女兵士たちが、出立の準備をしている。
さすがに七日目にもなると女兵士たちも手慣れたもので、馬や荷馬車の確認、積荷の状態なども手早く行えるようになり、怠り無く目を配っている。
フローレンたち冒険者組の四人は地図を広げて行軍の確認だ。
今日は女兵士リーダーのユナも同席させていた。
「今いるザハ村から北への街道は二つあるんだけど…」
「そう、方向的に近道は西、なんだけどね…♭」
地図に記されているとおり、その西側ルートには、ルルメラルア最西の町トルティがある。
「? この町を通らない、という事ですか…?」
地図に目を落としながら、ユナが尋ねた。
女兵士八人のリーダーであるユナは他の子たちとは違って、この行軍中にも意欲的に様々な事を学んでいた。
ずっと小さな村暮らしで地図になんて縁がなかったけれど、この数日で行軍ルートのみならず、国内の大体の地理を頭に入れてしまっている。
その地図で見ると、王国西端の町トルティを経由し、北へ抜けるのが目的地への最短距離だ。
普通に考えれば、町にはしっかりした宿施設もあり、良いものも食べられる。
彼女たちのここ数日の経験では、町を通る方がよい、という事になるだろう。
ユナは今、この町を通らない理由を考えているのだろう。
「クレージュからね、この村を東から北上するように、指示があったのよ」
ユナの疑問に答えるように、フローレンが説明した。
「それも、かなり強い指示よ♪
まあ、経緯を説明しておくとね…」
アルテミシアが説明を始める。
ユナに話しているようで、フローレンやレイリアにも、聞かせているのだ。
トルティは王国最西の町である。
領主はドボシュー侯爵。
街の規模からすると本来は第5位の伯爵位だけれど、特例的に一段上の第4位の侯爵位を授かっている。
辺境の町を治める領主は、他国や異種族との接点になる事から地位を高く評されるのだ。
緊急の際の対応を鑑みれば、権限を与えておく必要がある為だ。
そして同時に…他国に寝返らないように配慮も必要だ。
ルルメラルアには他にも、ショコール王国との境に当たる最南東の町ショコラメルの領主や、同じくヴァルハガルドやラファールといった他国に近い最北東の町エクレールの領主も、同じように侯爵位を持っている。
「ここで問題になるのは、ここの領主、ドボシュー侯爵についてよ♭」
ドボシュー侯爵は、王弟であるガランド公爵と親しい人物だ。
そして、フローレンとアルテミシアが持っている行商証書を出してくれたメディウス公爵は、ガランド公爵とは、政治的に対立している。
メディウス公は第一王子リチャードの片腕として内政を取り仕切る、誠実に民の暮らしを考える人物であり、強欲で独善的なガランド公とは対立が絶えないのだ。
フローレンやアルテミシア、クレージュといった平民に対しても気さくに丁寧に接した事で、その人柄が推し量れる。
ガランド公は王国一の財産家である事は間違いなく、王国の経済の大部分を支配していると言われる。そして更なる蓄財と権力に対する欲求を募らせている。
二人の王子をどこかで追い落とし、自らルルメラルア王国の王位を窺っているとも噂されているが、多分にありそうな話だ。
そんな訳で、その権力者に阿り、自らの地位や権益を得ようとする者が多く、その町トルティの領主ドボシュー侯爵も、その派閥の大物である、という事だ。
「だからこの証書は役に立たない、どころか、逆効果になる危険がある訳♭」
下手にもめ事を起こすと、今後の交易にも差し障る…。
そして、こういった証書がなければ、確実に多くの荷を持っていかれる。
それも、通常の通行税と、北への物資提供義務とかいう名目で…。
「荷をいくらか持っていかれるだけだったら、まだいいんだけど…♭」
アルテミシアは話を続ける。
何年か前…エルロンド大聖堂に向かう神聖王国ラナからの巡礼団が、通行料を払えない事があったらしい。
するとドボシュー侯爵は、通行料の代わりに巡礼団の中から若い娘を一人、代わりに置いていくよう命令したという…。
それ以外にも、難癖をつけて若い女を取り上げるような事を平気でするらしい。
商隊の中には、献上用に女の子を用意しておく者もいるとか…。
そうやって取り上げた若い女の子を、女兵士という扱いにして、さらに西の辺境にある警備拠点に配属し、辺境警備に当たる兵士たちに対して、“雑務”の支援を行わせるらしい。
「…というわけだから、その町を通ったら、何を要求されるかわからない訳#」
女子ばかりという、かなり目立つ集団だし、場合によっては、女兵士を一人置いていけ、とか言われかねない…
「ゼッタイ駄目よね!」
「ええ、ダメです!」
そういう話を許せないフローレンが怒りを表し、ユナもそれに同調した。
言うまでもなく、トルティの町を抜けるルートは論外だ。
クレージュの指示通り、村を出て東側の道を北上する。
その北、大聖堂のあるエルロンドへ。
休憩を挟みながら、延々と北へ北へと歩を進める…
…そして夕方になると、また小さな村の宿に泊まる訳だけど…
「このお宿…作りがいい感じですね…」
ユナが言う通り、今まで泊まってきた同じような小さな村の宿屋と比べると、しっかりした作りの宿だという印象がある。
「いままでの村は、村に宿泊施設を作ってる感じだったけど、この辺りの村は違うのよ♪ まず街道に、巡礼者のための宿場が設置されて、そこから村に発展したような感じ♪」
元々はエルロンド大聖堂が出資し、巡礼者の雨露を防げる宿場を作った。
それが発展し、宿の周りで店を出す者が現れ、やがて住み着いて農耕を始めるものも現れた、という事だ。
お店にもそれなりの物が並んでいて、ちゃんとした食料品があるのは、お肉やお酒がないと不機嫌になる人達のいるこの一行にとっては、助かるところではある…
八日目の行軍。
本日中には、この北の巨大な聖堂があるエルロンドの地への到着を目指す。
その日の昼過ぎには、北の果てに大聖堂の姿が小さく映り始めた。
近づくにつれ、その姿が徐々に大きくなってゆく。
小高い丘の上に聳え立つ壮厳な姿は、遠くから見ても、神々しい一枚の絵のような印象を受ける…。
いつの時代に建てられたか、それすら定かではない大聖堂。
古代ヴェルサリア時代より、もっと古い時代に建てられたとされている。
この地で崇拝される、十二の神々をまとめて祀った中央神殿であるという位置づけだ。
大聖堂の周囲には、それを管理する十二の村があり、それぞれの神の名を冠し、それぞれの神に仕える神官や聖兵、聖女を排出する習わしである。
先程の村にも、合わせて十二人の神官や兵士がいたけれど、それぞれ十二の村からの出身者で構成されている一団なのだ。
女兵士たちは、エヴェリエ公国の青と白の荘厳な町並に続いて、この壮大な大聖堂の姿に興奮を隠せないでいる。
だから、
「あ、今回は大聖堂までいかないから」
というフローレンの一言に、女兵士たちはちょっとがっかりした感じではあった…。
大聖堂を遠目に、かなり手前の宿泊地で、最後の宿泊を行う。
大聖堂とその十二村は更に奥だ。
フローレンが言う通り、今回の行軍でそこまで行く予定はない。
ここは村ではなく、大きな宿屋だけがぽつんと立っている感じだった。
巡礼者はその信仰心から、もっと奥の聖堂に近い場所に泊まろうとする。
だからここは、商人たちを対象にした宿屋だ。
人の集まる場所は、必ず物資も集まるので、大聖堂という聖地とは言え、商人が活躍するわけだ。
そして商人は金を持っている。
だから商人向けのこの宿屋は設備がいい上に、食事も良いものが食べられ、売店もあってけっこういい物を売っているのだ。
だから景気の良い人達は、大量に肉料理を食べたり、良いお酒を注文する訳だ…
そう、そこにいる二人のように…。
まあ…この人たちの場合、お金を持っているのは、商人ではなく冒険者だからだけど…。
この周辺は大聖堂所属の兵士が守護している。
この宿にも何人もの兵士が駐留している。
ルルメラルア王国内と言え、聖堂の領域に王国の兵を進める行為は禁止されている。
南のエヴェリエ公国と並んで、また別の自治区なのだ。
このエルロンド大聖堂の自治勢力との交渉権を持っているのは、現在北の地で軍政を行っている第一王子リチャードその人だけである。
それほどに聖地エルロンドの自立性は高いものなのだ。
「明日は野宿になるからね、今日はしっかり休んでおいて」
フローレンは女兵士たちに指示した。
いよいよ目的地のエルフ村が近づいてきている。
明日はもう文明圏から外れ、明後日には山中に入ることになるだろう。
「スィーツ、買ってきたわよ~♪」
商品が多いので、肉と酒の人たちだけでなく、スィーツの人もご満悦のようだ。
アルテミシアの開いた布の包みには、それぞれデザインの違う十二種類の焼入れのあるクッキーが、包まれていた。
「大聖堂のお土産って言ったら、これよ、これ♪」
「“3”の次は“12”な訳ね…」
エヴェリエは3、そしてエルロンドは12、
それがそれぞれの地における神聖な数であるらしい。
数字と言えば、クレージュは“7”に過剰にこだわるところがあったりする。
そして彼女自ら“7”を引き寄せてくるところがある。
その包み布には、十二の紋章が鮮明に描かれていた。
紋章は、円環を描くように並んでいる…。
その円環に並んだ紋章が、なぜかフローレンには非常に印象的だった…。
「これ? 十二神の紋章よ♪ エルロンドは十二神すべて祀っているの♪」
じっと見つめているフローレンに、アルテミシアが説明した。
よく見ると、そのクッキーの焼入れ模様も、その十二の紋章と同じ形だった。
「はい、ひとり一枚、取って♪」
ちょうどこの一行も十二人だ。
一人一枚、みんなで頂く。
「お土産っていうより、縁起物よね、これ」
そう、味は普通だった…。
満足いかなかったアルテミシアは…
「一番いいスィーツを♪」と注文して…
十二種類のフルーツを使った特大ケーキがやってきた。
大きなケーキの上には、例の円環状に十二種類のフルーツが所狭しと乗っている…
「は~い♪ これならみんな満足よね~♪」
アルテミシアのスィーツに掛ける情熱にはみんな、呆れる、を通り越して感心すら覚えている…。
例によって女兵士たちも恩恵に預かり、まんざら悪い感じでもない雰囲気なのがまた…
「そうよ♪ スィーツは女子をひとつにするの♪」
「スィーツが嫌いな女子なんていない♪」というのが、アルテミシアの口癖だ。
まあ実際に、フローレンの知る限り、スィーツが嫌いな女子はいないし、
もしそういう女子が現れればアルテミシアは、
「アンタなんか女子じゃない###」と不満を言い出すだろう。
女兵士たちは、スィーツを楽しみながら、会話もはずんでご満悦な感じだ。
確かに、こういう光景を目にすれば、アルテミシアの言い分は正しいのだ、と認めざるをえない。
それに、女子軍なのだから、これくらいの女子らしい楽しみはあってしかるべきだ。
肉と酒にしか興味なさそうなユーミとレイリアですら、ケーキを満喫している…
彼女たちもやっぱり女子なのだ。
宿の部屋は施錠もされ、さらに夜も聖堂の兵士が見張っている。
今日はフローレンも女の子たちと一緒に部屋で寝ようと思っていた。
…そうしたら、既にユーミが馬小屋で転がって眠っていた…。
もう馬小屋で寝るのが癖になっている感じだ…。
九日目。
このエルロンドからエルフ村の経路は、フローレンたち四人もよく理解している。
少し前に通ったばかりだ。
あの時は急いでフルマーシュに帰るために、エルロンドから東へアングローシャ経由という最速のルートを取ったのだった。
宿を出てここから西に向かう。
この道はしばらく進むと南に折れて、王国西端の町トルティへと至るのだが…
周囲に他の旅人や馬車がない事を確認し…
ここを南ではなく西へ直進する。
道はない…
ように見えるが、草に埋もれて使われなくなった道が、実はあるのだ。
草深いけれど、地面はしっかり慣らされていて、馬車でも問題なく進むことができる。
地図を見ても、それより北も西にも町はなく、山や森に入ることになる。
誰かに見つかれば、当然行き先を疑われる事になる。
エルフ村の事は公表するつもりもないし、誰かに知られる状況は避けたいのだ。
西進し木立の中に入った。
実はこの林にも、馬車の通れるこの道だけじゃあなく、人が通れるような道は各所にある。だが知る者はいないだろう。
冒険慣れしたフローレンたちでさえ、森妖精のロロリアに教えてもらって、始めて知った道だ。
ここを半日近く進むと、その北にあるスィーニ山に抜ける古い街道に出る事になる。
西へ進む道は、森の中になったり、また開けた草地になったりを繰り返す。
ところどころ元の道の様相を保っている場所もあり、馬車の進行に困ることはない。
開けた場所に、巨大な二本の木が立ち並んでいる、広場のような空間があった。
「停止! 今日はここで野営よ」
フローレンが声をかけた。
ここを通る時は、この二本木の広場で野営する事にしているのだ。
まだ明るいけれど、だいぶ日が傾いてきていた。
意外な感じだけど、今回の行軍で、今日が始めての野営になる。
女兵士たちが野営の準備をする。
それも訓練の一環だ。
ユナが中心になって指示を出しながら、野営の準備を始めた。
八人が手分けして馬に草を食ませたり、夕食作りの準備を行っている。
近くに水が湧く岩場があるので、煮炊きに困ることはない。
ただ今日は入浴はあきらめる…今回、お風呂セットは持参していないのだ…。
ある程度準備が進んだところで、ユーミが弟子の女兵士レメッタを連れて狩りに行った。
この辺りには灰色熊など、凶悪な獣が出るので、女兵士たちだけでの森への立ち入りは禁止だ。
フローレンはイーナを連れて、食べれそうな野草や木の実を採りに行った。
シェーヌはレイリアについて荷馬車の点検を行って、修理の必要そうな箇所がないかどうかを調べている。シェーヌは毎日、レイリアに聞きながらこの作業を行っている。
夕食作りはユナが中心になり、妹のフィリアとランチェ、家事向きなマリエとナーリヤが調理を行う。
野菜の皮を剥いて刻んだり、それを炒めて味付けしたり、お鍋で湯を沸かたり、そこにお米を入れたり…
十二人もいるので、お鍋二つで大量にお粥を炊いている。
調理道具は換装武器に入っているので、持ち歩く必要が無いのが良いところだ。
この五人は、エルフ村に行っても、場合によってはしばらく料理を担当する事になるだろう。
いずれは料理の得意なメンバーもそちらへ行くことになるだろうけど、それまでの間は増えたメンバーの食事作りをエルフの子たちにだけ押し付けるわけにはいかないのだ。
アルテミシアは二本の木を中心に、いつもの感知魔法を掛けている。
長い時間を掛けて、ちょっと複雑な手順を使って、しかも二本の木に何かを仕掛けているような感じだ。
西の空が茜色に染まり始めていた。
フローレンとイーナの採取組、ユーミとレメッタの狩猟組が戻ってきて、野草を刻んでお粥に加えたり、肉を捌いて火に掛けたりしている。
やがて日が落ち、火を囲んでみんなで夕食となった。
レイリアはひっそりお酒を嗜み、ユーミは早々と眠ってしまった。
アルテミシアが歌を歌い、フローレンは女兵士たちに冒険談を聞かれている。
フローレンは以前、ショコール軍の女兵士たちに囲まれ、同じように過ごした日を思い出していた。
自分の鍛えた女兵士たちと一緒に、同じものを食べながら語らい合う。
冒険者仲間だけの野営とはまた違った趣がある。
こういう野営は大好きだ。




