58.命運のレメンティ
クレージュ一行は一人増えて七人になった、宿に戻ってきた。
救い出したハンナだけは、また透明化をかけて、こっそり入らせている。
この子がここにいる、という事は、隠し通さなければならない。
キューチェとハンナは、再会を喜び合っている…。
「…これからは、ずっと…一緒…」
「一緒です…離れないです!」
ぎゅっと、抱きついて、小さな親友同士が、目を潤ませている。
「キューチェのお友達だったら~、わたしたちのお友達だよ~」
「そうですよ! 今日からはみんなお友達ですからね!」
ミミアとメメリも、この二人の上から抱きしめて、新たな出会いを歓迎していた。
ハンナは、あの店に売られ、毎晩別の男の相手をさせられていた、と語った。
中にはあと四人、別の子がいたらしい。
けれど、ハンナにしても顔を見知っている程度で、話をしたこともない…
そこにいた他の子達を助けることはできなかったのは、ちょっと心が残るようだけど、まあ仕方のない事だとは思っているようだ。
お腹をすかせているハンナのために、料理を注文した。
もちろん、その子がいることは宿の人にも秘密に、それを三人にも徹底させる。
四人で遅い夕食を頂いていた。
楽しそうに話をしながら、仲良く食べている…
…さっきも食べていたような気もするけれど。
クレージュとレメンティは、この街の夜の景色を眺めながら、二人で飲んでいた。
この宿の屋上が、野外酒場になっているのだ。
ふたり、とは言うけれど、ラシュナスもここにいる。
いつものように酔って寝てしまっているだけだ。
「結果的にハンナちゃんは助け出せたんだし、ま、これで良かった、って事でしょ?」
向かいの席に座ったレメンティがクレージュのグラスにお酒を注いだ。
「そうね…。キューチェの“母親”として、願いを叶えてやれた、って事だしね」
クレージュは充足した面持ちで、夜景を肴に、そっとグラスを呷った。
「ラシュナスにあの子達を連れて行かせて、救出させる…
そこにあたしたちが駆けつけて、連中の記憶を消して、撤退…
全部、アナタの筋書き通りになったわね」
クレージュは答えず、ずっと遠くの光を見つめていた。
この町は夜でも明るい場所が各所にある。
その遠くに見える並んだ街灯が、美しい夜景を生み出している。
他の町では見かけない景色だ。
闇の商会に買われたあの子を、買い戻すのは難しかった。
この町の底の見えない闇の勢力との取引き…それは今後ずっと関わりを強いられ、どこかで弱みを握られる可能性が高い。
取引きが無理なら、行方不明という形にするしかない。
良く言えば虐げられた少女の救出だけど、つまるところは誘拐である。
ただ、誘拐の痕跡が残らなければ、ただの行方不明事件にしかならない。
あの子ハンナは合法的に富豪から闇の商会に身請けされ、この町の法では何ら問題のない仕事をさせられている。
ここでは、あの子自身の意志は問題にされていない。
だけど、ハンナが虐げられていると思っているなら、“救出”するのは道義上の話になる。
フローレンたちがいつも山賊を倒して拐われた女の子を救出してくるけれど、ある意味それと似たようなものだ。
ただ、相手は山賊ではなくいわば私兵であり、ここはアングローシャという大きな町だし、これからも何度も訪れる必要のある場所だ。
かなり厳しい条件が揃っていた。
クレージュは変装して、事前にあのいかがわしい店に客として入っていた。
記憶を消すべき目撃者が、外に出ていないのを見張るためだ。
女の子たちを攻撃から守るためじゃあない。
それは今回、ラシュナスとレメンティの役割だった。
それに加えてクレージュは、あらかじめ店の客たちを外に出すように仕組んだり、外に出ようとした黒服の私兵をこっそり倒していたり、割とお膳立てをしていた。
結果的に多少の荒事にはなったけれど、倒れていた男どもは短期記憶を消されているので、何が起こってそうなったのか、全くわからないだろう。
この町で、クレージュが表立って動くわけにはいかなかった。
最悪でも、クレージュの身元だけは割れないようにしないと、今後アングローシャに来て、商取引を行えなくなるからだ…。
三人娘とラシュナスに救出に行かせ、レメンティとクレージュがサポートする…
あの短い時間の中で、かろうじて立てた計画だった。
幸いこの町には女性の冒険者や女性の団体も多い、そもそも女性兵士も公私共に大勢いるのだ。
だからクレージュたちの一行が女性の集団だからと言って、それ程目立つわけでもない。
ただ、明日この町を出るまでは油断できない。
騒ぎの中で行方不明になった少女を、店の関係者、その上層の商会は探しているだろう。
だからハンナは荷物に隠して絶対に外には出してはいけない。
彼らに顔を知られているのは、あの子だけなのだから…。
この町の、どこに連中の目があるかわからないのだ…。
それに、今回同行したミミア、メメリ、キューチェ、そしてラシュナスやレメンティも、念のためしばらくはここアングローシャには同行させないようにする。
「でもさあ…もし、あの子達がアナタの帰りをずっと待って、ラシュナスが言っても動かなかったら、どうしたのよ?」
聞きつつレメンティも自分のグラスに注ぐ。これが二杯目だ。
「いいえ…あの子たちは動いたわよ…
自分の事は自分の手で解決する、三人とも、そういう子たちだからね。
あの子達だけじゃあ力不足だったから、ラシュナスに同行を任せただけ。
それに…」
クレージュは夜の光を映した瞳を、レメンティに向け、
「あなただって、最初の占いで結果がわかっていたから、私の救出計画に賛成したんでしょ?」
と、問いかけた。
「まあ、そうね」
レメンティもそこは淡々と還す。
<<三本の宝剣を携え、訪いし金襴の園にて、三の次を得る、その台座は彼方へ>>
という、この町に来る前にレメンティが出した占いの事だ。
「でも…あなたの占いはすごいものね…。ここまで正解を予言できるものなの?」
台座、というのは、助けられなかった女の子たちの事、
クレージュは今のところ、そういう解釈をしていた。
「いーえ! そうでもないわよ…! 制約も多いし、ね…」
レメンティは決して謙遜している訳ではない。
「これまで、後にならないと意味がわからない事も、何回もあったしね…
全然違う解釈してて、全く役に立たなかったりした事も、ね…
今回はわかりやすかったから、良かったけど…」
実は、レメンティの占いには、数々の制約があるのだ。
そういう時は、占っても答えが示されない。
例えば、一度占った事は、二度占えない。
そこに内包される事も含めて、行えないのだ。
先程、あの子達があの店に行くのが吉か凶か、という事も、実は事前に占ってみたけど、答えは出なかったのだ。この町に来る前の占いに内包される事なので、答えが出ないのだ。
そして、細かい選択などはいちいち占えない。
占えるのは、大きな行動、あるいは、大きな流れに関する時だけなのだ。
「でも、いつも思うんだけど…
貴女の占いのとおりになる、って事は…
最初から運命のほうが決まっている、みたいな考え方になるわよ?」
これはいつもクレージュが抱いている疑問だった。
他のメンバーは深く考えないかもしれないけれど、考えてみれば奇妙な事だ。
「そうだけど?」
レメンティはあっさりとそう答えた。
「あたしは命運神オギュリーヴの信徒だもの。
運命が決まっている、って考えるのは当然よ!
だいたい…あたし自身、その啓示に導かれて、この国にやってきたんだから!」
すべての運命はあらかじめ決まっている、レメンティはそういう考えを持っている。
彼女だけではなく、この世界の占い師は、だいたいそういう考えだ。
占いとは、命運神オギュリーヴの信託なのだ。
ただ、決まっているから何もしない、というのとは違う。
当人の技術や努力がなければ、いい啓示が出ない、という考え方だ。
ちょっと…理解できるようなできないような…
これは考え方の違いだから、何とも言えない事ではある…。
「えとね、クレージュ…ちょっといいかしら…?
占い師としてのあたしから一つ…伝えておきたい事…」
レメンティは強く息を吸って、クレージュの目をじっと見つめながら、こう言った。
「あたし達は、何か、大きな流れの中にいるのよ…」
「?」
クレージュには、その意味がすぐには飲み込めなかった。
「…この時代に翻弄されてる、って事?」
不景気の中で、フルマーシュの店が立ち行かなくなっている。
居所を失った女の子たちが、集まってきている。
そういう事を言っているのか、とクレージュは考えた。
でもどうやら、そういう意味ではないようだ…。
「ううん、時代の流れも、今、激しく動いているけれど…
その中にあって、私達の位置付けがね…
大きな流れを変える、力になる、って言うのかな…」
「大きな…流れ…? 私達が…?」
ますます意味がわからない…
「まあ、これは…あたしにも、朧気に見えてるだけなんだけどね…」
レメンティの口ぶりは、何か非常に重たい…。
彼女が何か見えているといえば、そうなのだろう。
意味のないことなら、わざわざ自分に対して話す訳はない、とクレージュには分かっている…。
自分たちの行動が、この国?、世界?、時代?、に影響を与える…?
そこまで自分たちが影響力を持つ存在になる、という事なのだろうか?
ただの小さな行商組織に過ぎない、自分たちが?
やっぱりクレージュには実感がわかなかった。
でも、レメンティの大袈裟な言い方を、切り離して考えれば…
所詮は人と人の関わりなのだから、自分たちの行動は大なり小なり、世界に影響を与えることにはなる…。
(要は、自分の信じることをすればいい、って事ね)
だからクレージュには、今の時点でそういう解釈しかできなかった。
もし逆らえない運命の流れがあるとしても、自分は、自分が正しいと思う道を貫くだけだ。
そして自分の役割は、たった一つ。
関わる人達の生活が立ち行くように、人と物を動かす。
それは、変わらない。
今までも、今からも。
「それと…わたしたちの大きな流れ、その中心にあるのは…」
レメンティはまたここで大きく呼吸を整え…
そして言った…
「花と月」
「花と、月…?
フローレンと、アルテミシア…?」
「私もそう思ったんだけど…そうとも言えるし、そうじゃないとも言える…」
クレージュやレメンティじゃなくても、店の全員が、花といえばフローレンを、月といえばアルテミシアを思い浮かべるだろう。
「あー、えっと…
その流れの中にはね、他にも沢山のイメージが浮かぶの…
虹とか、氷とか、炎、風、光、宝石、金、銀、木、ハート、とかいっぱい見えたから…それらは曖昧なイメージュなんだけど…、その中で他よりはっきり見えたのが、花と月だった、って事…」
レメンティにも曖昧なものしか捉えられていない
でも、ここで話す意味があると思って話している…。
花と月、と言えば…
ルルメラルアが滅ぼした、北のブロスナム王国の紋章が、「桜花」
そして、そこから西に位置する、神聖王国ラナの紋章が、「三日月」
これは、偶然…なのだろうか…?
ブロスナムでは未だ指導者が野に顕在で反乱が起こり、
ラナは旧ブロスナム領の西端にて、ルルメラルア軍と対峙しているという。
元々ブロスナムとラナは協力関係にある。だからルルメラルアの敵だ。
ならば、大きな流れというのは、この二国の事、なのでは…?
この二国のルルメラルアとの戦いが、クレージュたちの店や行商に関わる…?
そんな事は、まったくもって実感がわかない…。
(わからないことは考えない…)
いつもフローレンはそう言っているのを思い出した。
そして、
(わからないくても、とりあえず覚えておく事♪)
アルテミシアがいつも心がけていることだ。
(じゃあ、私も、そうするべき、かな)
と、クレージュも今の、花と月の話は、心にしまい込んでおく事にした。
「それと、最後にもう一つ…、
これも、あたしの今までの色々な占いの結果から感じている事なんだけど…」
レメンティは、かなり重たい面持ちで、クレージュを見つめている。
「あたしたちの運命は、どうやら、北に向かうことになるわ」
「北…?」
「今すぐそうなるのか、それとも…先の話になるのかは、わからないけどね…
そして、そこで大きな運命の流れに、巻き込まれる事になる…
それが何かは、私にも見えないけれど…
私の予想…いえ、占い師レメンティの“予言”では、きっと、そうなるから…」
そう言ったレメンティは、話す事に熱中して、手に取ったまま飲むのを忘れていたお酒を、一気に呷った。
(それにしても、北、か…)
それは、反乱の起こっている、旧ブロスナムの地、の事なのだろうか?
自分たちも、この先、北の内乱に関わる、という事なのだろうか…。
戦いの地だ。吉事ではなく凶事の可能性が高い…。
そこで、何が起こる…?
自分たちを巻き込む、何が…?
(まあこれも、考えても、しょうがないわよね…)
「さ、そろそろ戻りましょうか…明日は出立だからね」
レメンティが全部飲み干したのを見て、クレージュが立ち上がった。
「ええ!
…こら! ラシュナス! 起きなさーい!」
レメンティも神秘的な占い師から、だらしない妹分をしかりつける、いつもの姿に戻っている。
で、無理やり起こすけれど寝ぼけて歩けないから、レメンティはラシュナスをおぶって一階の部屋まで運ぶことになる…
「もう…世話がやけるわねえ…」
気を操るレメンティだから、気を筋力に集中して、軽々と運ぶ事もできるのだ。
そんな苦労を知らない“妹”は、“姉”の背中で幸せそうな寝顔を見せていた…。
翌朝。
ちょっとしたウワサが流れていた…
歓楽街の、あるお店で、喧嘩騒ぎがあった。
それだけの事にされていた。
事件、というにも物足りない程度だ…。
兵団筋の話だと、そこに倒れていた十人ほどの男が、兵士たちに取り調べを受けたそうだ。他には何もなく、特に問題もないらしい。
ああいった店は、このアングローシャでは違法でもないし、
この街の領主筋にも、商会を通して上納金を治めているだろうし、
今回のことでどうなる、という事もなさそうだ。
クレージュはそれとなく、町で情報を集めた。
ある情報屋の話では…公表されていないけれど、その騒動に紛れて、女の子が一人、行方不明になっている…との事だった。
だから、その店と背後の商会が、この子の消息を探しているだろう…とも。
お昼前、アングローシャを後にする。
慎重に動かなければならない。
ハンナはちょっと窮屈だけど、荷物の箱に隠れてもらう。
そして念のため、縦貫街道の通る中央門じゃなく、南の西門から町を出る。
その門は、クレージュと懇意にしている貴族の持ち場なのだ。
通行前に挨拶を入れて、売らずに残してあった砂糖と香辛料を上納した。
その貴族の部下に当たる、門の守衛隊長も知り合いだ。
だから、あいさつついでに、通り際に金貨一枚渡してあげれば、大いに機嫌を良くして、荷を検めるような事もしなかった。
行商人はこういった困った時の抜け道を、いくつか用意しているものなのだ。
普段からの根回しは、いざという時の自分を救うことになる。
迂回して縦貫街道に入った。
何事もおこらなかったけれど、用心の甲斐があったのかもしれない。
そのままフルマーシュの店を目指して帰還する。
自分たちの帰還を待って、今度は入れ替わりで出発するのだ。
何人かの女の子たちが、森にあるエルフ村へと。
そこで自給と交易品の生産を行う事になる。
昨晩のレメンティとの話じゃあないけれど…確かに…
自分や店の女子たちを取り巻く運命が、大きく動き出している…
クレージュは、それを感じずにはいられない…。




