38.~~リルフィと歴史の教授~~
リルフィはいつもの朝を迎える。
朝起きて、家の裏の孤児院の、黄色の髪の子、「ひよこちゃん」に朝のあいさつをする。
リルフィとひよこちゃんの間の、ちょっとした日課になっている。
リルフィが外泊する時や、朝早く起きれない時は、魔導書を窓際に置いておく。
あの表紙のメダルの、キレイな七色の光の反射が、リルフィ不在の合図なのだ。
その魔導書について。
いつのまにか、そのメダルを囲むように並んでいる十二の紋のうち、二つ目にも色がついていた。
最初の黄金色のセイラ神の紋様に続いて、ふたつめ、軍神であるシュリュート神の紋様が、赤桃色の金属色に輝いている。
ルーメリア歴では、今の二月目の守護神でもある。
軍神の月にあたる2月は、何かと騒々しい。
学園でも武芸大会があるし、帝都でも闘技大会がある。
大通りでは軍のパレードがあるし、新しい兵士の配属もこの月だ。
リルフィの住む第26区にも新規に兵士が配属される。
大半は男性の帝国正規兵だけど、この地域に限定された女性の兵士もいる。
今年はその中に、幼年学校でリルフィの一つ下だった女の子もいるのだ。その子は中等学校ではなく軍学校にすすんだので、リルフィはもう4年も会っていない。そのお母さんとは町でよく会って話もするのだけれど。
今日も両親は不在。
いつものように、ひとりで朝を食べて、お着替えをする。
(あの夢で見た、形の変わるアクセサリー…いいなー…)
夢の中のみんなが楽しそうに付け変えしてた可変するアクセサリーは、この帝都ルミナリスでも売っているのを見たことがない。高度な魔法道具の中には、ああいった物もある、というお話は聞いたことがあるけれど…。
ウェンディさんは今日も笑顔で、その双子のレーゼルさんとフィアナさんは今日も「遅刻~」と言いながら駆け抜けていき、その妹のアイシャちゃんは今日もコケた。
変わらない日常だ。
学園のお友達も変わりない。
ミリエールは、今日もエレガントで明るい。そしてよく食べる。
メアリアンは、今日も丁寧でしっかりしてる。そしてよく食べる。
キュリエは、今日もお上品でおとなしい。そして可愛い。
ファーナは、今日もいない。
午前の休憩時間。
リルフィの作ってきたカップケーキを、みんなで食べる。
今日は人数分しか作っていないので、そこで物欲しそうにこちらをじーーっと見ている男子たちの分はナシだ。
だけれども…リルフィはひとつ忘れていた。
ファーナは今日、アマチュアチームの招待選手として遠征試合に行っている事を…。
なので、カップケーキがひとつ余った…。
「これは~困った状況よね~」「うーん…どうなるのでしょう…」
また二人がひとつのケーキを巡って向かい合っている。
またお互いに譲るつもりのないオーラがにじみ出ている…。
またあちら側では男子連中もみんなそろって、無言で名乗りを上げている。
「はい、今日はおしまい!」
リルフィがケーキの箱を閉じて、冷戦終了。
「あ~…ケーキが…」という感じの二人を置いといて…。
可愛いキュリエは最後まで、小さなお口でお上品にケーキを召し上がっていた。
そして放課後…
いつもはここからみんなで繁華街に出かけるのだけど…
メアリアンは仕事がある日なので、急いで帰っていった。
そういう日は、ミリエールもキュリエも寄り道せずに帰宅する。
「リルフィ、じゃあね~!」
「…またあした…」
校門のほうに向かう二人のお友達とは逆、
リルフィは学舎を出て、教授棟に向かっていた。
その手には、手作りお菓子の箱がある。
歴史学教授 ルターゼ・ベルシュロット
リルフィは昨年、この歴史の先生に、大変お世話になった。
この教授は、今年に入ってからしばらくお休みしていて、今日が初めての授業だったのだ。
何か国の大きな役目を担当している、と他の人から聞いたことがある。
経済や軍事や魔法の専門ではなく、歴史の先生なのに、だ。
この教授の知識は歴史にとどまらず、政治学・経済学・兵学・魔法学はじめ多岐に渡る分野に精通している。
大臣や有力貴族からの引き立てもあり、将来は学園長になるのか、それとも宮廷の高官に上る可能性すらあるという。国家有事の際には軍師か参謀として招聘される。そんな噂まで囁かれていた。
授業はいつでも自分のペース、愛想も悪く学業単位も容易にくれないことで有名で、性格もとっつきにくい…
いわゆる変わり者であり、ほぼ全ての生徒から嫌われずとも敬遠されていた。
だけどリルフィにとって、他の生徒の評価なんてものは、まさににどうでも良かった。
こんこんこん、扉を軽くノック。
「先生? いらっしゃる?」
そっと扉を開き、半ば隠れたまま、辺りを窺う小兎のように、リルフィはひょこっと顔を見せる。
細い視界に移る景色は…
部屋の各所に、所狭しと詰まれ、山を成しているた書物、書物、書物…
その中には、かなり年代物な書類も混じっていそうだ。
その書山の奥に鎮座する、知性に満ち溢れた眼鏡姿の端整な壮年の男性。
歳は四十頃、と噂されているけれど、外見はもっと若く見える。
でも実際の年齢はもっと上なのだ。
ベルシュロット教授は真正面の机につき、分厚い書物に目を落としていた。
軽く目を上げる。半分扉に隠れている可憐な小動物と目が合った。
「先生! こんにちは!」
反応はない。
その瞳は、「要件は何だね?」と語りかけてくる…。
こういう反応は、毎回の事だった。
「お菓子を焼いてきたのよ、ほら!」
リルフィは嬉しそうに、可愛らしい紙の箱を見せる。
「お茶にしましょ!」
笑顔でそういうと、リルフィは飛び跳ねるように部屋に駆け込んだ。
戸棚を開ける。お茶葉入れの瓶、適量を取り出し、元あった場所に戻す。
リルフィは昨年から何度もこの教授の部屋に通っていた。だからすべての行動が、手馴れている。
リルフィの薄桃色の唇が、軽くなにかを呟く。
火をつける魔法だった。初歩の魔法だ。
水を湛えたガラスの容器の真下に火が点る。
お茶を沸かす。カフアという、お茶だ。
正確には茶葉ではなく、豆を砕いた粉である事をリルフィは知っている。
海を超えた南の大陸特産のこの飲料は、帝都民の間ではミルクで割り、砂糖を加える飲み方が一般的だけれど、この苦くてやや酸っぱい茶をそのまま飲む変わり者もいる。
この教授がそうだ。
変わり者の教授は、好むお茶についても変わり物だった。
魔法の火にかけられたガラスの容器。
沸かされた水が茶葉の色に染まる微妙な変化を、まるで初めてそれを行う少女のように、熱中した面持ちで瞬きもせず、じーっと見つめる。
当の教授といえば、リルフィが入ってきた時に少し目を遣っただけで、後はずっと書に目を落とし続けている。時々、ページをめくる事だけが、それ以外の行動だ。
リルフィは手作りお菓子の箱から、自作のカップケーキを取り出し、お皿に乗せた。
その紙箱は、休憩時間に友人に振る舞ったものとは異なる。
まだ未開封のもう一箱を用意していた。
そっちにも二つ入っていて、教授と一緒に食べる予定だったのだ。
けど、リルフィは午前中にひとつ余った分を頂く。
先生のお皿には、二つ乗っけた。
やがて、お茶だと知らなければ毒ではないかと疑うような、真っ黒な飲み物ができあがった。
教授の前に入れたてのお茶を運ぶ。
「先生、お茶が沸きましたわよ!」
ティーカップの取っ手の向きにまで、気を使う。変わり者の教授は左利きだった。
リルフィの分のお茶はない。この部屋にはミルクが置いてないからだ。
このカフアという漆黒のお茶は、リルフィにはそのまま飲むには苦すぎる。
リルフィは教授の真正面に座ると、少し身を乗り出す。両手で頬杖をつくようにして、教授を見つめる。
「おいしい?」
「悪くない…君の沸かすカフアは、何故か味がいいからな…」
教授は左の手で持ったカップをソーサーの上に戻すと、視線を書物に落としたままにそう言った。
「…わたし、ケーキの味の感想を聞いたんですけど…!」
リルフィはちょっとふくれ面だ。
教授はケーキをフォークで切ると、そのまま口に運んでいる。相変わらず、視線はまっすぐ書物の上だ…。
「先生、昨年はお世話になりました」
リルフィは改めてお礼を言った。
「それで? 今日は何の用だね?」
教授は言葉だけをリルフィのほうに向けた。視線は全く変わらない…。
「あ、それは…」
リルフィは何も考えていなかった。
単に、新年のあいさつをしなきゃ、というくらいにしか考えていなかった。
「えと…フルマーシュの町について、教えていただけますか?」
即興でその名が出たのは、夢に出てくる世界の中心だからだ。
クレージュの店があり、フローレンやアルテミシア、その他にも大勢のステキな女の子たちが活動する町…。
「あ、えっと…昔は寂れた田舎町だって、聞いたんで…。逆にアングローシャが大きな都市だったって」
リルフィには、ある程度予想がついている。
自分の見ている夢はおそらく、過去の世界についてだ。
自分の暮らす、この世界での、共通する地名がいくつもある。
幼年学校でも中等学校でも、歴史の時間に必ず習う、このルーメリア帝国の前身のルルメラルア王国…。
そこが夢の世界の舞台である、と思われる…。
と、なると…リルフィにとって一番の関心は…
『フローレンやアルテミシアは、実在した人物なのか』という事だ。
リルフィは夢に出てくるみんなが大好きだ。
素敵なお姉さんクレージュ、格好いいレイリア、かわいいユーミ、
まだあまり夢には出てこないけれど、ラシュナスとレメンティ、
森の村にいる、ロロリアとアルジェーンも…
そして、可憐な花の剣士フローレンと、神秘的な歌姫アルテミシア…
みんな大好きだ。
そして、ここでもう一つの疑問が浮かんでくる。
その9人以外の、
『登場する女性たちは、どうしてリルフィの知っている女性たちなのか…?』
リルフィも色々考える。
あの夢について、考える。
するといつも、その二つの疑問の狭間でわからなくなる…。
そんなリルフィの気持ちなど知りもしない教授は、静かに語り始めた。
「アングローシャはかつて、この国の前身に当たる、ルルメラルア王国時代、経済の中心都市だった。
そのルルメラルアの末期、王国の経済を思うがままに動かしていた時の権力者がいたが、謎の大火によって命を落とし、それ以降、アングローシャは経済の中心という地位を失っていく事になる」
それを語る教授の目線は変わらず書物に向いている…ように見える。
「今の話は、ルーメリア帝国建国より以前の話だ。
そして首都がオーシェからルミナリスに遷都された事により、経済の中心はそちらに移ることになった。
アングローシャからすぐ北にある帝都ルミナリスに移住する者も多かった事もあり、大都市アングローシャは衰退の一途を辿る事になった」
教授は利き手である左手でカップを掴むと、熱いカフアを少し、口に含んだ。
アングローシャは現在では、工業の盛んな中規模の町として残っているが、他に特色のない地味な町だ。
「それと、フルマーシュか」
フルマーシュという町は、帝都民憧れの行楽地だ。
温泉で有名な町で、宿泊施設が溢れかえっている。中には帝国有数のホテルや、最高級の料理店もあり、その隣の町クレフまでの街道はすべて、温泉宿や飲食店、娯楽施設で埋められている。
「かの町で温泉が発見されたのは、ルーメリア帝国建国後だ。
ルルメラルア王国時代、フルマーシュは林業が盛んな町であったが、次第にその地位を西のタムトの町に奪われた。フルマーシュは一時期、人口減少が止まらず、村の規模まで落ち込んだ時期まであったくらいだ…
それを立て直したのは、一人の女商人であった、と言われている…。その女商人の従える商会がかの地に温泉が湧くと見て採掘を行い、見事にその通りになった」
リルフィには、女商人、という言葉が印象に残った。
だけれど、温泉が見つかったのが帝国建国後、だとすれば、夢に出てくるあの女商人クレージュとは違う人物、ということになるのだろう…。
何だか、夢と現の狭間にいるような感覚を覚えた…。
昨日の夢の余韻が残っているせいかもしれない…。
夢の中の物語。その歴史の真実性を解明することはできるのだろうか…。
去年…リルフィは同じように、立て続けに夢を見たことがあった。
その時に、この歴史学のヴェルシュロット教授にお世話になったのだ。
だけど…
なぜかその夢の記憶はおぼろげで、断片的にしか覚えていないのだ…。
とても、わくわくする夢だったことだけは確かなのだけれど…。
でもそれ以降、リルフィはこの教授を尊敬し、時々お菓子を作っては持参し、カフアを沸かして、ちょっとお話をする…。それが楽しみですらあった。
だけど教授は、そんなリルフィの気持ちなど知る由もない。
相変わらず、分厚い書物に目を落としたまま、ただ一言、こう言った。
「話はこれでいいかな? 用事が終わったのなら帰り給え」
「もー…先生ったら! そんなイジワル言わないで~!」
立ち上がっておしりをふりながら訴える、そのリルフィのカワイイ動きに対しても、教授は重厚な書物に目を落としたまま、反応ナシ。
クラスの男子がリルフィにこんなギャルアプローチをされたら、それだけで向こう三日くらいはメロメロ状態になるだろうに…
まあ、リルフィはいつもこういう反応をして、それに対する教授もいつもこういう反応なのだ。
リルフィもあきらめ、荷物を持って席を立った。
これもいつもどおりの展開だった。
「じゃあ、失礼致します!
今日は、ありがとうございました~」
一度閉めた戸を、また開けて、
「また来ますからね~」
ばいばーい! と手を降って、二本指を目のところに添えるギャルポーズを残し、帰っていく。
これもいつもどおりなのだ。
教授は相変わらず書物に目を落とし続けている。
これにて4章終了です。次回からやっと外出開始~
ここから先、ちょっと書くペース落ちるかもしれません…




