2.女兵隊と海賊討伐(前)
~数日前~
ルルメラルア王国、フルマーシュの町、クレージュの酒場にて。
昼下がりの、まったりとした時間。
昼食時の客入りの多い時間を過ぎ、店は静けさを取り戻りている。
店奥のひときわ大きなテーブルで遅い昼食を終えた四人の女性と、その隣、カウンター席の三人の女性。
食後のデザートの時間だった。店主のクレージュはいつも自作のスィーツを出してくれる。今日のデザートは果肉入の果汁のゼリーだった。鮮やかな色合いが乙女心と食欲をそそる。
その自家製スィーツと一緒に彼女から提供されたのは、仕事の話だった。
「メルクリウからの依頼…?」
フローレンは桃色の透明なゼリーに匙を入れながら、クレージュに言葉を返した。
「そう。あなた達にお願いできないかと思って」
クレージュはこの飲食酒場の女主人。
他の六人の冒険者女子に比べると、クレージュは一回りか二回り年長で、おちついた大人の女性の雰囲気に満ちている。
そしてその格段に大きな、大きすぎる重たい胸を、前に組んだ両腕で抱えるようにして語りかけていた。
その問いかけは主に、隣席のフローレンと向い席のアルテミシアに向けられてる。
「メルクリウって確か今、ショコールの将軍でしょ? 依頼って…?」
会話の合間にクレージュ作の自家製果実ゼリーを口の中で蕩かしながら、フローレンが尋ねる。
「っていうか、元々将軍だったのが、修行とかの名目で冒険者やってた感じ?♪」
アルテミシアも同じスィーツを嗜みながら、会話に加わっている。
「メルクリウの部隊が海賊の討伐をする、って話なの」
クレージュは依頼の内容と、作戦の概要を説明する。
船上の戦いは片が付くであろう目処が立っていて、そこから先の展開、海賊の残党が数十人程度が篭る事になる島を制圧する、その戦いへの参戦依頼のようだ。
その島も、かつて小さな漁村があった廃地で、それほど硬い防衛拠点という感じでもないらしい。
「ショコール軍って女の子部隊でしょ? 海では強いけど、陸での戦いはあんまり、って聞くし… だから単に、苦手な上陸戦に助けがいる、って事でいいのかな?」
フローレンは自分なりに解釈を述べると、止まっていたスィーツの手を再開しつつ、
「でも、こんな程度だったら、わたし達が行かなくても、メルだけで充分よね…」と続け、そして甘みを口に運ぶ作業に戻る。
「そうなの。私達が行く程の事でもない気がするのよね…」
説明する当のクレージュも、この案件をやや訝しんでいるところがある。
「まあ…何か隠れた意図はあるかもね…♭」
アルテミシアはその真意を勘ぐろうとしているのか、考え事が増えた分、ちょっとスィーツに匙を入れる角度が先程とは違っていた。
「ちょっと不明なところもあるけれど…行ってくれる?」
それでもクレージュは、助けるべきと考えているようだ。
「わたしは別にいいけど…」
「私も♪」
フローレンとアルテミシアに異論はない。
「レイリアは…って、やっぱり、行く気なし、よね?」
フローレンが話を振ったのは、長身で見るからに気の強そうな女性、レイリア。
カウンター席に座り、組んだ長い脚をカウンター上に乗っけて、椅子を揺らしながらお酒のグラスを傾けている。
「アタシがわざわざ海の上なんて行くわけないだろ! それに…」
と、そのお行儀のよろしくない長身女子は、不機嫌そうに言い放って、グラスを口に運んだ。
「まあまあ。レイリアはメルクリウと仲が悪いから…まあ、そうなるよね…♭」
レイリアの意図を組んで、アルテミシアがその言葉を引き継いで話した。
「火と水だからね。合わないのは、まあ、仕方ないわよ…♭」
アルテミシアは独特な口調の、気分が下がるときの♭な低い声色な口調で、そう続ける。
レイリアは炎を操る巫女で、メルクリウは水術使い、つまりとても相性が悪い。
お互いの術が邪魔をする、とかで大喧嘩したこともある。それも、戦闘中に敵を放っておいて、だ。
アルテミシアがそう言うまでもなく、尋ねたフローレン自身、メルクリウとレイリアの相性の悪さは知っているので、もともと前向きな返答を期待してはいなかった。
「でもレイリアって、南のレパイスト島の出身でしょ? 海を渡って来たんじゃないの?」
そのフローレンの質問に、レイリアは「嫌な事を聞くな!」と言わんばかりに鋭い視線を返し、そして不機嫌な面持ちのまま、一気にグラスのお酒をあおった。
いまひとり、
少女のように小柄なユーミは話に加わらず、さっきからずっと山と積まれた肉料理と格闘している。他の全員昼食は終わっているが、この娘だけはまだ延々と食べ続けている、それも肉ばかりを。
この小さな食い気女子は、対照的な外見のレイリアと、とても仲が良い。
相方であるレイリアが来ないなら、仲良しなユーミも当然来る事はないだろう。
つまり、この話には全く関心がなく、聞いてすらいないように思える。
ユーミが今 興味があるのは、その小さな身体のどこに入るかが全く以て謎であるが、大量のお肉を接種することだけだ。
あとは… カウンター端の席のふたりだが…
真っ昼間から飲んだくれてうつ伏せに眠っている、薄く肌露出の多いひらひら衣装の踊り子ラシュナスと、
その隣で話に加わる機会もなく頬杖をついている、異国風の装いでヴェールを被った占い師レメンティ、
この二人はわりとここの新顔なので、依頼主のメルクリウと一緒に冒険した事はなく、当然、面識がない。
そんな訳でクレージュからもこの二人には頼みにくいし、当の二人もこの話に入ってくる様子はない…そもそも片方は寝ているし。
「本当だったらお店閉めて私が行くところだけどね…。メルには借りがあるから」
少し年上のクレージュは、今はこの飲食酒場の女主人だが、元々は彼女も冒険者仲間である。
メルクリウとは歳も近いこともあり、一緒に冒険する機会も多く、仲も良かった。
「クレねえが行ったら、だめ~~~!」
それまでお肉にしか興味のなかったユーミが、突然騒ぎ出した。
で、手に持った巨大お肉のカタマリを骨部を持って振り回しながら、
「あーしらのごはんつくるひと、いなくなっちゃうじゃない!」と。
それを聞いたクレージュは「そこ!?」と、がっかり驚いた感じだったが、
そのユーミの言葉を聞いていたフローレンもアルテミシアもレイリアも、納得、といった感じに揃ってうなづく。
冒険者としては超有能でも、生活女子力に難がある彼女たちにとって、その件はわりと深刻な問題と言えるのだ…。
「えっと…
占ってみたんだけど、なんかね…」
ここでこれまで存在感の無かったレメンティが、ここで話に入ってきた。
「これが、始まりになる、って出た」
と言って、占いに使う金属の札の並びを「ほら」と見せてきた。
「「何の!?」♯」
告げられた意味不明な占いの結果に、咄嗟に聞き返したフローレンとアルテミシアの声が重なった。
「さあ…わたしの占いはいつもこういう感じでしょ? 自分でもわかんないんだってば!」
このヴェール姿の外見だけは神秘性な占い女子は「べ、別に、信じなくたって、いいんだからねっ!」とか言って拗ねはじめる… 彼女がこういう尖った反応を見せるのはいつもの事だ…。
レメンティの占いの結果は、このようにいつも不明瞭なのだ。
札の並びを見せられても、なぜそういう解釈になるのか、彼女以外にはわからないし…。
だけど後で振り返ると、彼女の占いは外れていたことが一度もない。
その事をフローレンもアルテミシアも知っている。
だから、その意味不明な占いが、最後の背を押したようになった。
「私は行くわよ♪ メルにもクレージュにも、借りがあるからね♪」
「私も。メルの依頼でクレージュの頼みじゃあ、断る理由はないからね!」
レイリアは「任せた」って感じに手を振り、ユーミもお肉を頬張りながら手にしたお肉を振った。
クレージュもレメンティも、うん、と頷き、ラシュナスは最後まで妖艶な横顔で寝息を立てている。
島の全容が見えてきた。
海賊のものだったらしい船が何艘も沈められ、半分の姿で傾いたままだったり、残骸や破片が所々に浮かんだりしている。
さらに、小船や泳ぎで逃げられないように、水術で海流に干渉して島に閉じ込めているとの事だった。
ショコール王国は海洋国だから、水の流れを操る魔術師、水術使いも何人もいるのだろう。
実際、メルクリウは凄まじい水術の使い手である。
一緒に冒険をしていた頃、ダンジョンを探索中に大量の水を発生させ水没させてしまった事もある。
船ごと壊滅させられるような大渦を発生させる程度の事は行えるはずだ。
そして兵士の女の子たちも海歌族、つまり海の妖精であり、人魚族の末裔である。
代を重ねる中で妖精の血の薄まっている子でも、水上や水中での動きは他の地の者たちよりずっと馴染んでいるだろうし、妖精の血を強く引き継いでいる女子の中には、人魚の姿になれる者もいるはずだ。
一般の兵士の中にはいないであろうが、メルクリウはじめショコール王国の女士官の中には何人もいる事だろう。
尤も…
この程度の海賊相手なら、人魚化するまでもなくメルクリウが水術だけで片付けたと思われるところだが…。
「徹底的ね♪」
あちらこちらの海賊船の残骸を眺めながら、アルテミシアはあきれたように言い放った。
旧友メルクリウからの依頼は、海賊討伐への参加、という事だったが、海上での戦いはあら方終わっていて、あとは最後に逃げ込んだ拠点の島を叩くだけ、らしい。海賊のカシラや主だった幹部も既に討ち取ってしまっているとの事だった。
予想されていた通り、作戦は最後の一手、上陸しての討伐戦を残すだけ、というところまで来ている。
島に篭った残党が数十名、取り逃がせば討伐が面倒になるから必ずここで片付けるように、そう本国からの司令があった、と、メルクリウは言っていた。
「つまり、掃討作戦って事でしょ? でもなんだか、追い込みすぎな感じ…」
一箇所でも逃げ場を残しておいたほうが、敵の士気を挫きやすいのだ。追い詰められると、全力で反撃してくる。逃げ道がないから、戦うしかなくなるのだ。
以前に学んだそういう話を思い出しながら、フローレンは島の方に目を遣った。
砂浜の向こうに石の塀が聳える。漁村の石の塀のようだ。
その上に、まばらな人影が映る。こちらを“歓迎”する準備は、整っているわけだ。
その風化した石積みは所々が破損し切れ目が見える。そこが攻め口になるだろう。
フローレンが見たところ、そもそも敵陣から覇気を感じない。つまり強そうな感じが全くしない。
彼女の戦場の経験からすれば、敵の構えや配置、そういったものである程度、相手の力量を測れる。
この距離からでも感じるのだ。その弱さを。
「敵も少なそうだし…こんな程度じゃあ、私達いなくても、大丈夫じゃないの?」
まず迎え撃ってくるには、数が少ない。
ずらりと隙間なく並んでいるならまだしも、あんなまばらな数だと、弓を射てもあまり効果はない。矢は雨のように降り注ぐから対処しきれないのであって、単発で飛んできても防ぐのは難しくない。
多少の被害は出るだろうけど、あの女兵士たちだってそれなりに対処できるはずだ。正規に戦闘訓練を受けているのだから。
「そうよねぇ… 海賊のカシラももう討ち取っちゃったってお話だし…、残党ならあんな程度、じゃあない?♪」
アルテミシアも同じように、大した敵ではない事を見て取っていた。
彼女は既に先程から、何かを飛ばして様子を探っている。
それは、魔法的な目であり耳である。
魔法的な知覚なので、通常では見えない壁の裏や建物の中、はたまた土の中までもある程度は感知できるのだ。
「何だと思う…? メルが私たちを呼んだ真意…♭」
アルテミシアは唐突に聞いてみた。
まもなく戦闘に入る。相談するならこれが最後の機会だろう。
「さぁ…単純に、怪我とかする子を減らしたい、とか、そういうわかりやすい理由じゃないのかな? 矢も飛んでくるだろうし、多分罠も仕掛けてある。意外な損害を出す可能性はあるからね。部下思いなんじゃない? メルって冷たそうに見えて、以外と面倒見いいからね」
フローレンは、最初に直感で感じたのがその答えで、そこから先は考える事をやめている。
「まあ、それよね♪ あの子達を無駄に死なせないことが、まずは重要よね♪」
アルテミシアはずっと考えているが、結局はその答えしか見つからない。
結局、旧友メルクリウが自分たちを呼んだ、真の意図はわからずじまいだ。
言葉数の極端に少ない旧友から受けた言葉は、一緒に戦ってくれる事への感謝、それだけだった。
だが、かつては一緒に戦った冒険者仲間である。
つまり自分たち二人の事はよく知っていて、冒険者としての何らかの経験を買っているものとは思われる。
普通の兵士では対応が難しいような、厄介な地形や仕掛けでもあるのだろうか。
冒険慣れしたこの二人なら、どんな状況でも自然と対応してしまうであろう。
「さて…空間探知…完了…っと♪
みんな~、罠の場所に目印打つわ♪ その場所は避けて通ってね♪」
《空間↓目印》スペーシアルマーキング
単純な落とし穴が数か所、その全部に、上から「↓ここ危険!」的な、看板のような赤い光の表示が描かれた。
罠は、地面から生えている岩を避けた道順や、石塀の切れ目の位置など、さすがに通りやすい場所に仕掛けられている。が「ここ」って示されてある罠にかかる者はいないだろう。
「伏兵みたいな隠れた敵もいないわ。まったく以て、脆弱な感じね…♪」
アルテミシアは細い指先で、そっと山高帽のつばを軽く押し上げる。
「じゃ、手早く終わらせちゃおうか」
フローレンは両手に頭上に伸ばしながら、ちょうど中天にある太陽を背景に、海の風を思いっきり吸い込んだ。
「上陸!」
メルクリウ将軍の隣りにいる女隊長が号令をかけた。
女兵士たちが次々に船を飛び降り、島に向かって泳いでゆく。兵装とは言え、軽い兜と胸当てに紺色ボディスーツ系の泳ぎやすそうな衣装である。
女兵士たちは浅瀬を軽々と泳ぎ、砂浜を上がってゆく。
まだ矢の届く距離ではない。そこで全員が降りて揃うのを待つようだ。
「お先に!」
相方にそう言い残し、フローレンも船を飛び降りた。鎧の赤い花びらが、軽やかにふわりと舞う。
浅瀬に身を沈めることもなく、水面を大きく跳ぶように、水に浸からず陸まで駆けてゆく。
そのフローレンの右手には、いつの間にか華麗な細身の長剣が握られていた。
花園の剣 シャンゼリーゼ
レイピア形状とまではいかないが、通常の長剣にしては細身の剣だ。
剣の柄は蘿や茨の絡んだ花壇のようであり、そしてその刀身には、花の幻が咲き誇っている。
今の花は、白薔薇。そして白百合や木春菊、その他の白い花が合わせて咲いている。
幻花の色は彼女の感情を表す。
まだ戦いは始まっていない、心が平穏の時は、白い花。
彼女の闘志が高まると、次第に花は桃色に、そして真紅に染まってゆくのだ。
整列する女兵士たちの先に立ったフローレンは、一度軽く、斜めに剣を払った。
陽の光の元、白い花びらの幻影が、弾けるように舞い散った。
それを「行けるわよ!」という合図と受け取ったのか、女隊長が号令を掛けた。
「突撃!!」
浜辺で整列する女兵士たちが、一斉に動き始めた。
フローレンとアルテミシアは将軍メルクリウから「友人」という紹介をされている。それだけで女兵士たちは、部隊長から一兵卒に至るまで誰一人その実力を疑わず、最初から上官のような扱いだった。
加えてアルテミシアの歌曲を聞いて、女兵士たちは心を惹き付けられている。
二人とも、この可愛らしい兵士たちと一緒に戦う事に異存は無い。
メルクリウからは「好きに戦っていい」と言われている。
(だったら先頭を駆ける!)
人について行く生き方は、性に合わない。
「先陣は預かるわ! いくわよ!」
フローレンは真っ先に飛び出した。女兵士たちが続くように突撃する。
彼女の剣に咲く花は、ピンクの薔薇や山茶花、桃の色に染まり始めている。
距離を詰める。
矢が届く距離、まばらに飛んでくる。
風を切る音。自分に向かってきた、矢。軽く、叩き落す。弾かれ、砂に刺さる。
矢の雨というには程遠い。これだけ数が少ないと見切るのは容易だ。
そもそも一斉射撃ではなく、各々が勝手に射ている感があった。
敵は統率が取れていない。
焦りや恐怖に任せて矢を放っているのが、それだけで見て取れる。
女兵士たちは盾を持って防いでいる。
だがその盾も完全に身を隠せるという大きさではない、
一度に複数が迫ると、防ぎきれないかもしれない。
何人かは矢を防ぎきれていない様子が、軽い悲鳴となって伝わってくる。
そして矢を受けた女兵士が砂浜に倒れ込む音が、背中でいくつか聞こえた。
「ひるむな! 進め!」
女隊長の声が響く。
女兵士たちは負傷した仲間の姿を横に見ながらも、誰一人怯まず進んでいく。
全員まだ乙女と言える歳の女の子だけれど、立派に訓練された兵士だった。
砂浜で走りにくい上に、盾の重さも加えて、女兵士たちは進軍が遅くなっていた。
フローレンは先頭に立って進んでいた。
砂地に足を捕られることもなく、軽く地を蹴って駆ける。
自然と、一人だけかなり突出している形になっている。
当然、矢が自分に集中してくる。
だが、それを狙っているのだ。
飛んでくる、危険な距離に三本、瞬時に見て取った。
目前に迫る。一本を頭上に払って落とし、続く二本目は刀身で受け止めた。
そのまま右に短くなぎ払い、三本目を叩き折る。
躱すほうがはるかに簡単だが、流れて後ろの味方に危険が及ぶ事は避けたい。
先頭に出たのも、自分が矢に対処することで、彼女たちにできるだけ怪我をさせないためだ。
駆けた。石塀が近づいてくる。
見上げた。
荒んだ外見、薄汚れた衣類、粗野な振る舞い。
立ち並ぶのは、どう見ても賊としか言えない男たちだ。
高さは背丈二つ分はある石塀。その上から射下ろしてくる。
塀上の荒くれた目が、こちらに集中する。
前に転がる。自分のいた砂の地面に矢が二本、突き立った。
賊のいる石塀の下にたどり着いた。
塀が崩れて二つに別れた場所、その切れ目から中に駆け込んだ。
塀の上にいる敵からは見えない、死角に入る形になった。
だが、賊のいる石塀の上、そこまで上るための階段などの足場がない。
背丈の倍という高さは、ただ跳び上がるだけでは届かない。
ならば。
崩れてほぼ垂直に切り立った石の塀。軽く助走をつけ、そのままそこの石壁を垂直に駆け上る。
自分の背ほどの位置で、脚をバネに壁を蹴り、宙を返るように一回転、後ろに跳び上がる。
青空と太陽を背景に、花が舞った。
アルテミシアが絶世の歌声の美女ならば、フローレンは絶世の戦舞の美女。
彼女の剣から舞い散る、無数の麗しき幻花。
彼女の身体から溢れる、瑞々しい果実や、咲き誇る花の、甘い香り。
肌を多く晒した鎧姿で魅せる、花の戦姫。
露出した細腰を括らせて、駆ける姿も、跳ぶ姿も、比類なき妖艶。
その顔立ちは、色香を漂わせながらも、それでいてやや幼さを残すくらいに可憐。
フローレンは剣士でありながら、可愛らしさと色っぽさを兼ね揃えた、花妖精の血を強く継いでいるのだ。
花びらの鎧をひらめかせながら、至高の戦姫が、舞う。
上は、窮屈そうな花びらの胸当てから溢れ出しそうな、豊満すぎる丸みが躍動する。
下は、花びらの後ろ垂れが翻り、可愛らしくも小さくはない年頃の女の丸みが見え隠れする。前垂れは翻っても、決して中は見える事はない。乙女の秘密は、常にぎりぎりで見えないものなのだ。
石塀の上、降り立った。
敵の真横に。
目に映る近距離に五人。
不意を突かれた賊どもの、あきらかな狼狽の表情。
見失った相手が突然目の前に現れれば、こういう間の抜けた顔になるだろう。
立ち直る隙は、与えない。
間を入れず駆け寄りながら、赤い花咲く剣を、後方に、流すように構える。
《鈴蘭・連咲の舞》
花の姫から繰り出されるのは、幻の花を纏った剣の絶技。
目の前に、一人。その後ろに四人。細い塀の上をなだらかな曲線上に薄紅の花が駆け抜け、
そしてその軌跡に五つの幻花が並び咲く。
それは、鈴蘭の花。
赤い花咲く花園の剣から放たれた、純白の連花の幻影。
戦を舞う、フローレンの美麗なる戦技、敵でなければ見とれてしまう事だろう。
だが、対峙した海賊共には、見とれている間もなかった。
いや…最期に見た光景、になったのかも知れない。
一斉に倒れこむ気配、背の向こうに捉えながら、そのまま駆ける。
さらにその先方。気配を察し、寄ってきた、敵が…五人。
弓を捨て近接用の曲刀を抜いたのが、三人。
そしてまだ弓を持ったままの後ろ二人が、こちらに狙いをつけている。
今は味方の遮蔽になって放てない位置だ。
隙を作って射させてから近づいたほうが早く終わる、直感的にそう判断した。
紅花の剣を斜めに構え、遮蔽をずらす…飛んでくるはずの矢に、意識を合わせる。
その時。
突然、閃光が迸った。
時にして一瞬。自分のすぐ隣からだ。
《月色雷撃》ライトニングボルト☆ムーンレイ
月色の電光が走り、賊たちが五人揃って倒れこんだ。
「あら。余計だったかしら?♪」
足場さえ無いはずの、真横から声がした。
フローレンにとっては、別に驚く事でもない。
アルテミシア。
綺麗に脚を組んで“三日月”に腰掛けたまま、軽く上下に揺れている。
普通、魔法を使う女性はホウキに乗ることが多い。
だがアルテミシアは三日月にも乗る。
正確には、三日月の形をした、宙に浮く魔法の乗り物だ。
アルテミシアは“月船”と呼んでいる。
この魔法的乗り物は、彼女が奏でていた、三日月琴が姿を変えたものだ。
楽器にも乗り物にも、他にも多くの姿を持っている伝説級魔法道具なのだ。
月船の難点は、垂直に上下しかできない、という事。空を飛び回る事は別の手段が必要なのだけど、今のように高台に登るだけなら何の問題はない。
フローレンは振り向きもせず、突如真横にあらわれた相方に答えた。
「いいえ、ありがとう。手間が省けたわ」
こんな連中を片付けるのは、まさに手間でしかないのだ。
歓声が聞こえた。
眼下に見えるのは、追いついてきた女兵士たちだ。かなり押し寄せて来ていた。
残った海賊どもが競うように、石塀を駆け下りたり飛び降りたりしている。
石塀の防御線を放棄して、後方に逃げ出していた。
その先に見えるのは廃れた漁村で、いくつかの粗末な建築物が残っているのが見える。
逃げ切れずに投降している海賊もいる。
そういう者たちの手足には水が絡みついていて、動きを封じてられいた。
水術に心得のある女兵士が使う、水をロープにして束縛する術のように見える。
ショコール軍には一般の兵士でも、簡易な水術を扱える子もいるのだ。
女兵士たちは逃げた海賊を追って、廃村へと向かって走っている。
フローレンとアルテミシアも石塀を下りて、賊を追いかけた。
「あら? 逃さないわよ♪」
《魔的月光誘導弾》マジックミサイル☆ムーンライト
アルテミシアの手を伸ばした先、空中に描かれる、月色の魔法陣と無数の魔法文字。
光る魔法陣から放たれた月色の魔弾が幾筋も、逃げる賊に追うように襲いかかり、次々にその背や足を撃う。
アルテミシアは通常の学術系魔法に、彼女独自の月の魔力を乗せることで、効果を上昇させる事ができるのだ。
月は、太陽に隠れて光を放たなくとも、ちゃんとうっすらと空に見えるのだ。
しかも、月の照らす夜なら、彼女の魔法は更に威力を増す事になる。
アルテミシアは、月の妖精である月兎族の血を色濃く受け継いでいるのだ。
逃げ惑う賊が方々で倒されている。
女兵士の中には水鉄砲のような弾丸魔法を放っている子も何人もいた。
「あの子たち、やるじゃない!」
フローレンも遠隔攻撃手段を持っているが、今はただ走って距離を詰めるだけだ。
賊の掃討に容赦はなかった。
今まで好き勝手に弱い一般庶民から奪い、殺め、拐かしてきたのだ。
そして多くの女の子たちを辱めてきた。女子たちに報いを受けるのは当然だ。
それに、これまで海賊との戦いで命を落とした女兵士も何人もいることだろう。
この中には戦友や姉妹を失った失った子も、きっといるに違いない。
手向かってくる相手だけでなく、逃げる相手にも、女兵士たちの攻撃は手加減ないように見える。
だが、投降する者はとりあえず殺さず束縛しているあたり、かなり冷静に対応しているのは意外な感じではある。
かつての漁村は、ほとんどが崩れ去った家の残骸だった。
ひとつだけ雨露を防げそうな大きな建物があり、戸が閉められている。
足跡が残り入り口が雑に乱れている、ここに残敵が籠もっているのは間違いないだろう。
「待って! 不用意に近づかないで♯」
戸を調べようとした二人の女兵士に、アルテミシアが強い♯な口調で制止を促した。
「だいたいこういうケースはね、入り口で待ち伏せしているはずよ。
だからそのまま入ったら、不意を打たれて怪我をしかねない訳」
フローレンの説明を受け、女兵士たちは「確かに」といった感じに頷き、気を入れ直した様子だった。
「まあ、中を見通せれば何の問題もない、って事なんだけどね♪」
《空間検知》スペーシアルデテクション
アルテミシアの意識には中の様子が、壁を通して見るように感知される。
近距離だから人の形まで、はっきりとわかったりするのだ。
入り口で二人、武器を構えて待ち伏せている。その向こう側に武器を構えた三人と…?
奥に…何人か…うずくまった、小柄な影…?
「人質? 賊にさらわれた…女の子みたいね…三…いえ、四人いるわね…♭」
アルテミシアは目を閉じて指を額に当てたままの、集中した姿勢のまま話した。
「助け出す? 一気に突入するけど?」
フローレンなら一瞬で敵だけを斬り伏せる事は容易いだろう。でも…
「中の人、全員眠らせれば問題ないでしょ♪」
そちらのほうが簡単だった。捕まっている子も眠らせても問題はない。
《眠りの歌》スリーピングソング
《上記魔法の発生位置を指定》
→前方の空間、五米先を起点に指定
アルテミシアが歌を歌っている。歌っているが、その声はその場の者たちに歌は聞こえない。
魔法の歌声の発生位置が建物内に指定されているのだ。
少しして、戸の向こうで人が倒れる気配があった。立て続けに二、そして三、四と続く。
その動きが収まった後、フローレンが紅花の剣を構えたまま戸を開く。
賊が五人、眠っていた。
その奥に、両手両足を縛られた女の子が四人、蹲るようにして、眠りに落ちていた。
突入してきた女兵士たちがこの場を制圧した。