カワセミの笑う人形劇
この短編は『カルミナント〜魔法世界は銃社会〜』の外伝作品ですが、本編未読の方でも楽しめます。尚、本編の時系列としては1章の続きとなっています。
本編リンク
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窓の向こうに鳥が見えた。清らかで雄大な青の背景と混ざり合うように、翼を広げ鳥はどこまでも自由に飛んでいた。それが羨ましかったのか、私は閉ざされた窓へと手を伸ばす。青い鳥を、幸福の象徴を求めるようにゆっくりと窓硝子に手を添えた。
――直後、私の顔面を突風が強く撫でる。顔の左半分を覆う火傷痕が、室内へと流れる冷たい空気を直接感じ取る。突風に耐えきれなくなった私は、まるで猛獣を檻の中へと戻すように窓を閉め、最悪なほど乱れた髪を整える。
「でも……今のは少し、気持ち良かったな」
やはり風に当たるのは心地が良い。一度コレを体験してしまうとどうにも身体が「もう一回」と駄々を捏ね始める。欲求から再び腕が動き、冷たい窓ガラスにピタリと手の平を押し当てた。このままほんの少しの力を込め、たった数センチ動かすだけで、またあの脳に染み渡るような快感が味わえてしまう。あと、少しで――
――その時、家の中で不審な物音がした。私以外誰もいないはずなのに、不審な音と異様な気配が五感センサーに引っかかる。私は窓から離した手をそのまま引き出しへとゆっくり伸ばし、音も立てずに一丁の拳銃を取り出した。
(残弾良し。安全装置解除……)
スライドを引き扉をゆっくりと開ける。だが廊下の電気は点けない。拳銃を常に撃てる高さに構えながら私は気配を消し物音のした方向へとゆっくり向う。並の人間なら緊張で身体が思うように動かないのかもしれないが、戦闘職として九年に及ぶ訓練と実戦経験を積んだ私はむしろ恐ろしいほどに冷静になっていた。
(あ、手錠無い。どうしよ……場合によっては殺すか)
やがて私は明かりの無い部屋に気配を察知した。影が映らぬように身体を壁に寄せ、ゆっくりとドアノブに手を掛ける。そして指先から部屋の中に向けて『索敵魔法』を走らせた。
(――総数イチ。キッチンの奥!)
ドアを押し開け中へと飛び込む。相手も銃を持っていた場合を想定し撃ち抜かれないようにスライディングで一気に身体をねじ込む。そして速やかに、薄暗い室内に狙いを点けて発砲した。
しかし弾丸は空中に展開された魔法陣によって止められた。元々威嚇射撃で当てるつもりなど無かったが、それでも防御された事に私は驚愕した。そんな私を発見し不審者も声を上げた。
「びっくりした~! 引き金が軽すぎるぞ、ミストリナ!」
私の名を呼びながら、その女性は遠隔魔法で部屋の明かりを点ける。照らされた光の中にいたのは煙草を咥え、酒の入った袋を片手に苦笑する長身の女性であった。私は彼女の顔を確認し、拳銃を下ろす。
「……我が家で煙草はNGだ。禁煙しろ、ユノ」
――――*――――*――――
不審者の正体は飲み仲間のユノであった。既に酒の入った彼女は友人である私の家にあろうことか裏口から侵入した。無論、この『魔法世界』にはセキュリティ対策としての結界魔法もしっかり存在しているのだが、酔ったユノはそれをノリと勢いで解除してしまったらしい。
「相変わらず魔法の練度だけは高いな」
「褒め言葉として受け取っておくよ。それより聞いたぞミストリナ? お前任務中に何か大変な事やらかして二ヶ月間の謹慎処分になったんだって? 災難だったな!」
直前に自分が撃たれそうになった事も忘れたかのように親しき不法侵入者は私の苦難を笑い飛ばす。そんな彼女に頭を抱えながら私は取りあえずの返答をした。
「あぁ……だから、悪いが私はしばらく飲めないぞ?」
「大丈夫! 励ます名目で私が飲めれば満足だから!」
「このっ……本当にしょっ引いてやろうか?」
「自宅謹慎中の奴にいつもの権力があるのかな~? かなかな~?」
(うっざぁ……酔ったユノは本当にうるさい……!)
民間人相手に本気になるなと私は自分に言い聞かせる。だがユノはそんな私の横顔を眺めながらグラスを口に運ぶ。
「ま、励ましたい気持ちも本当なんだけどね」
「? 何か言った?」
「いや何でも無い! それより来るとき面白い話を仕入れたんだ! 気分転換がてら、今から一緒に行かないか?」
「だから謹慎中だってば……」
「二ヶ月間ずっと引きこもるつもり? 緊急招集に応じられる範囲でなら外出だって十分可能なんだろ?」
まぁそうだが、と私は肯定の言葉を口走ってしまう。それを了承と捉えたユノは早速私の手を引いた。しばらく自宅に籠りっぱなしだった私を解き放つように、風の強い青空の中へと私を放り込む。
「はぁ……で? 何処に行く気だ?」
「なーに! ちょっと『人形劇』を見に行くだけさ!」
――――*――――*――――
魔法世界では全ての住民が魔法使いである。しかし余分な魔力の消耗を嫌った彼らは少しでも楽をするために科学技術へ力を入れる。特にその傾向は数年前まで続いていた『戦争』の影響で更に強まり、今では魔法と科学技術はバランス良く融合し合う銃社会となった。
「そんなデジタルの時代に、古典的な人形劇とはね」
車のドアを閉めながら私は目の前に立ち塞がる非日常的な劇場を見上げてボヤく。看板に書かれた劇団名は『翡翠色の世界』。誘うような体勢で吊された笑顔の傀儡たちが入り口を独特の異様な雰囲気で装飾していた。
「偶にはいいじゃないか! それにここ『翡翠色の世界』は二、三十代の間で特に人気らしいぞ? チケットは購入済みだからさっさと中に入ってしまおう」
肩を叩き急かすユノに溜め息を吐きながら、私は自分の車にそっと手を添えた。
「……さて、じゃあ行こうか」
私の言葉に友人はニコリと笑う。異界のような劇場に入る私たちの背後では、強風に吹かれた草木が「さよなら」と手を振っているのみ。それ以外には何も無い。先程まで其処にあったはずの『人工物』は跡形も無く消え失せていた。
――――*――――*――――
劇場内に入ってみれば、その異界感は更に飛躍的に高まっていた。恐らく複数の結界魔法と空間拡張魔法を併用しているのだろう。外見よりも中は圧倒的に広い空間を有していた。だがこの程度は魔法世界では普通だ。然るべき省庁から認可さえ貰えれば誰でも自由に使う事の出来る『日常の魔法』であった。故に私はこの劇場の第一印象を「普通」と断じる。
「別に怪しい所は無さそうだな……」
チケットに書かれた番号の席を探しながら私はユノに軽い報告を入れた。すると彼女はクスリと笑いながら私の顔を覗き込む。
「どうした~? 職業病なのか疑り深くなってるぞ~? そんな事じゃすーぐ目尻にシワも寄って、一瞬で婚期も逃して――」
「――チッ」
酔っ払いの耳にも伝わる舌打ちと軽蔑の眼で私はユノを黙らせた。流石にまずいと思ったのか彼女も顔の横に手を上げながら目線を逸らして沈黙する。やがて私が再び言葉を発しようとしたその時、丁度会場内が暗転した。
「始まるようだ。ミストリナ!」
開演を知らせる音響が轟く。重低音が全身を貫き、暗転する視界が妙な胸の高鳴りを煽り立てた。やがて照明がステージの一箇所に集中する。だが其処にいたのは件の劇場主では無く、一体の脱力した糸繰り人形であった。
『皆はこんな経験、したことない?』
落ち着いた若い男性の声が劇場全体を包み込む。
『幸せな瞬間ふと、いつか終わりが来るんだよな、って考えちゃった経験!』
暗転からの緊張と穏やかな声の緩和が心地良い。やがてその緩和の中で糸繰り人形がクルリと起き上がりトコトコと歩き出した。まるで「僕が喋ってるぞ」と主張ふるように、小さな体を大きく使って表現する姿はとても可愛らしい。
『寂しいよねアレ。しかもそういう時間に限って楽しいんだコレが! 難しい数式なんて何も覚えちゃいないのに、あの日心から笑った会話は今だって暗唱出来る! でもね、そんな時間ほどすぐに過ぎ去る……』
悲しそうな声色と共に糸繰り人形は項垂れた。それと同時に周囲の客たちも共感の吐息を漏らす。学生時代の青春話とか、入れ込んでいた推しの引退だとか、各々が経験した「終わってしまった幸福の記憶」を結び付けていた。因みに私はというと、人形が本当に生きているとさえ錯覚させる匠の技に関心している所だった。するとそんな私と顔を上げた糸繰り人形との目が合った。
『――幸せ、ずっと続いて欲しくない?』
瞬間、証明と音響が盛大に劇場を彩る。それまで繰り人形に集中していたライトは七色に衣を変え、両手を挙げて踊るように左右へと揺れ動いた。計算され尽くしたパフォーマンスは圧巻で、猜疑心のフィルターが掛かっていた私ですら思わず高揚感に胸を躍らせるほどだった。
『もうユメの中で踊ろうよ! 此処はそれが叶う場所! 皆が演じることで完成する夢のフルダイブ型魔巧人形劇座「翡翠色の世界」! さぁ、幸福の世界に貴方もどうぞ――』
――それは一瞬の出来事だった。繰り人形の目が光ったかと思えば、その閃光が瞬く間に会場内を埋め尽くす。演目に見惚れる観客たちの目を誘導するのはさぞ容易かっただろう。私たちを含め誰もが傀儡師の魔法に魅入られた。
「僕は裏方。演じるのは貴方たちです」
――――*――――*――――
次に目を開けた時、私は見知らぬ部屋の中にいた。高級マンションの一室らしき場所で私は椅子に行儀良く鎮座し机の上に置かれたマグカップをただ見つめて呆けていたのだ。だがこの異様な状況に周回遅れで思考が追いつくと、私はすぐに親友の名を呼びその姿を探し始めた。
(返事無し……まぁそんな気はしていた。さて、これからどうした物かな?)
情報収集こそ状況打破の鉄則。私はもう一度室内の様子を確認した。やはり見覚えの無い部屋だったが、どうにも私の心を安らげる不思議な魅力を感じる。恐らく私の趣味と完全に合致しているのだろう。気付けば「もし此処に住めたら」などという妄想を繰り広げていた。
(不気味だな。警戒心がまるで湧いてこない……)
中々心へ根付いてくれない不安を胸に、今度はカーテンを開けてみた。まず目に映ったのは美しい夕暮れの空。どうやらこの建物自体が高所にあるらしく、眼下に広がる都市を容易に一望出来た。そしてやはり、私の心は「定住したい」という欲望に駆られていた。――その時、私の背後で高齢男性の声がする。
「どうしたんだい、ミストリナ?」
まるで通り魔に刺されたような衝撃を受けて私は素早く振り返る。私は思わず男の顔を見つめ言葉を溢した。
「お父……様?」
男は、いや私の父は、何を驚いているのか分からないという顔をしていた。そして椅子に手を掛けるとシワの寄った頬を優しく歪める。
「そんなところにいないで、こっちで話をしようじゃないか」
その言葉で何らかのスイッチが押された。途端に私の中からあらゆる疑念と恐怖心が薄れていき、遂には言葉に従い勝手に身体が動いた。半ば意識の無い私を着席させると父も対面に腰掛けニコリと笑みを魅せる。
「最近はどうなんだ? 仕事の方は上手く行っているのか?」
「はい……お父様……」
疑念が答えを待たずに溶解していく。だが止めようとする手すら伸びない。
「そういえば彼は今日いないのか? 此処で同棲しているのだろ?」
「あの、人は今……お仕事中です……」
記憶が次第に修正されていく。脳が否定材料を集めるよりも速やかに。
「私もいずれはお爺さんか。楽しみだな!」
「ふふ……その時は呼び方も変えないとですね」
虚飾に明るい感情が結びつく。甘い幸福感が全身を侵食する。
「何かあればすぐに私を頼りなさい」
「はい。お父様!」
つまらない近況報告と他愛の無い会話。しかしそれがまるで平和の証左であるかに思えて私はとても嬉しかった。そして「そろそろ帰るよ」と立ち上がった父の背中を一番の笑顔で見送ろうとした、その時――
――一体いつになったら覚える……!
(っ……! 今のは?)
「ん? どうした、ミストリナ?」
「いえ……っ、何でも……」
――お前には身分があるのだぞ!?
(まただ。何か……違和感が……)
「どこか具合でも悪いのか?」
「いえ、少し……疲れが出ただけで……」
――言っても分からないのならッ!
(……っ!)
「なら私はいいから今日はもう休みなさい」
「分かり……ました。お父様……」
「日々頑張っているのだな、立派だぞミストリナ」
そういうと父は私の頭に向けて手を伸ばす。娘を撫でようとする親心が優しく迫った。しかしそのゴツゴツとした逞しい手が頭部に触れた瞬間、私の身体は危険な化学反応でも起こしたかのように父を拒絶した。
「違う……それは……違う」
手を払われた父は見てるこちらの胸が苦しくなるほど悲しそうな顔をした。しかしそれでも私の身体は自然と彼を拒絶し続け、まるで己のエリアを護るように両肘を抱えて震え出す。そして怯えた口が言葉を繋げた。
「私の父は、こんなのじゃない……!」
突如、男の中に歪みが生まれた。空間ごと男の輪郭はぐにゃりと曲がり、やがて黒い穴のような塊へと入れ替わり、その黒の中から一人の男が生まれ墜ちる。其れはボロ布のマントを身に纏い、目深に被ったフードの下から生気の無い白髪を魅せる青年だった。
「君はとても可哀想な人だ」
青年は俯いたままニヤリと笑って私に声を飛ばした。敵意も感じられない穏やかな声色だった。そしてその声で私は彼の正体が何者なのかを察知する。
「……人形劇屋の主人だな?」
「はい。僕は『翡翠色の世界』の座長ギルベルト。皆様に幸せを届ける者です」
「幸せ? 私は丁度今しがた苦痛を感じた所だが?」
私は腕を組み直しギルベルトに冷ややかな視線を送る。しかし傀儡師は淡々と答えた。
「それは貴女の精神に問題があったからだ。求めている『幸福』の形と、過去に体験した『トラウマ』とが表裏一体の所に混在していた。結果、重度の拒絶反応が起きたんだ」
ギルベルトの言葉に思うところがあったようで、私は無意識に視線を逸らしていた。するとそんな私の所作を読み取ったのか、ギルベルトは穏やかな笑顔で私にそっと手を伸ばす。
「僕の目的は皆を幸せにする事。だからもう一度チャンスをくれないか? 今度こそ、貴女にとって最も幸福な世界を差し上げよう」
そういうと青年は私の顔に重なるように手をかざす。直後、顔の左半分を覆っていた私の仮面は粒子となって消滅し、その下にあった火傷痕も綺麗さっぱり消し去られる。私は自らの身に起きた現象から相手の使う魔法について考察した。
(傷を治した……というより『上書き』した感じか? そんな芸当が出来るという事は、この世界自体が彼を唯一絶対の管理者とする異空間なのかも?)
久しぶりに艶を取り戻した肌を撫でながら私は解析を進める。ただ傍目からは沈黙を守っているように見えただろう。反応の薄い私に対してギルベルトの方から再び声が掛けられた。
「どうです? この世界なら辛い事も忘れて一生を過ごせますよ?」
「一生……だと?」
「ええ。全ての重荷を捨てて、こっちの世界の住民になるのです!」
ギルベルトは笑顔で手を差し出す。だが私は何故か握り返してくれると思い込んでいるその手から男の顔へと視線を動かした。
「私はいつそんな物に同意した?」
「? 同意はしていませんね。まぁコッチも確認なんてとっていませんし?」
「他の客にも説明は無しか?」
「ええ。まぁ幸せを拒む人なんていないでしょ?」
さも当然と言わんばかりにギルベルトは首を傾げた。私はそんな彼の目から確かな異常性を察知する。自分の意見が正しいとして疑わない危うさを持った目だった。
「そうか。なら私はもう十分だ。外で連れを待つとするよ」
「……え?」
「聞こえなかったか? 私は帰る。現実世界に返してくれ」
「――! ……それはダメだ。そっちの世界は、ダメなんだ……!」
「ん?」
「君みたいなヒトこそ……『幸せ』にならなきゃいけないんだァッ!」
突如としてギルベルトの雰囲気が変わる。そして彼の心象と共鳴するかのように、彼の背後には大きな黒い渦が発生した。渦の中には不気味な人形の怪物が数体、苦しむようにカタカタと蠢いていた。
(――! ハナから帰す気は無かったか! ならこの劇場は『黒』だ!)
私の脳はもう中途半端な夢に惑わされない。今度こそ、友人が不法侵入してきた時と同じように冷酷な戦闘モードのスイッチが入った。すぐに私は机の端に拳を叩き付け、その反動でマグカップをギルベルトの方へと飛ばす。
無論その程度の攻撃で全てが決着する訳も無いが、私が確実に逃亡出来るだけの時間は十分に稼げた。ギルベルトから全速力で離れるように私は窓を突き破り外へと飛び出す。
(やはり風は心地良い……)
見上げれば広がる雄大な空。光に照らされた雲が妖しげな青緑色に発光していた。同時に落下の感覚が全身を突き抜ける。しかし恐怖は無い。私は両手を広げベランダから叫ぶ男に別れを告げた。
「悪いが座長殿! 私はこの『翡翠色の世界』から脱出する!」
青い鳥が幸福を拒み空を飛んだ。
(まずは、ユノを探そう――)
――――*――――*――――
何を『幸福』と感じるかは人それぞれだ。金銭的な話をする者もいれば健康面の話をする者もいるだろう。或いは、精神の充足を持ち出す者もいる。どれも間違いでは無い。自分の中で納得出来た物がその人物にとっての『答え』だ。であるならば、『幸福』に定型は無く、誰もその欲求から逃れる事など出来はしないのだろう。
「はぁ~! 猫ちゃん可愛い! あ、ウサギさんも跳ねてる! 待ってあの白い毛玉はもしかして……? うぉっ、シマエナガちゃん! すっご初めて生で見た! 最高かよ!」
我が友人もどうやら『幸福』から逃れられなかったようだ。
「何やってんの、ユノ?」
「に、人間さん!? 自然の敵が何故此処に!?」
「動物エキスに脳までやられたか。仕方無い、特段惜しくない命だった……」
私は一発彼女の脳天に回し蹴りを入れる。
「ハッ!? ミストリナ? ……私は何をしていた?」
「野生のカワイイに侵食されていた。幸せだったか? ここはそういう場所らしい」
私は自分の身に起きた事をユノに伝える。ギルベルトの理念と彼の顔に垣間見た怪しい気配、そして私自身の感想も含めた全てを。だがユノは小さく「そうか」とだけ呟き、顎に指を添え一人で思考し始めた。
「おい。いい加減そろそろ教えろ。何を掴んでいる?」
「んー? 何の事?」
「しらばっくれるなよ酔っ払い。最初から怪しいと思っていたから私を誘ったのだろ?」
私の言葉にユノは少し驚愕していた。だがすぐに顔を逸らすと今度はペロリと舌を見せて笑い、ふてぶてしくも「どこで気付いた?」と問いかける。
「君が私の家に不法侵入してきた時だ。わざわざ正面玄関を避けたのはカメラに来客履歴を残したく無かったから。昼間から酒を飲んで私に運転をさせたのも車庫から隠れて出ていくためだろ? これらは明らかに私と面会したという事実そのものを隠したがっている奴の行動だ。……大方、何か問題が起きても知らぬ存ぜぬで通すための工作か」
私の推理を聞き、ユノは「大正解!」と両手で指を差してきた。私はそれを何となく鬱陶しいと感じたので、一切乗らずに流す。
「せっかちな君の事だ。どうせ捜査依頼や令状関係の面倒事を嫌ったんだろ?」
「いや、それらの工作は全て謹慎中の君を無断で借りるためのものだ。それに……正式に警察権力を使わなかったのは、まだそれに足るだけの実害が出ていなかったからだよ」
目を細めてユノは告げた。
――その時、私たちの頭上から異様な獣の呼吸音が響いた。見上げれば遥か上空の一点に黒い渦が生まれている。その中から這い出る数体の魔物が私たち二人を視認した。
「っ……! 見つかったようだ、ミストリナ!」
ユノが叫ぶと同時に魔物の尖兵が渦から飛び出した。落下の勢いも加わり接近の速度はかなり速い。
――が、私はそれに合わせてポケットに手を伸ばす。そして急接近してくる魔物に向けて放り投げたのは、小指サイズの車であった。
「――解除」
私が唱えると同時にミニカーに変化が起きる。それは空中で一瞬にして巨大化し、公道を走れるサイズの一般車両となった。やがてその車と魔物が正面衝突し、最後には魔物を下敷きにする形で車は着地した。
「ユノ! 話は逃げながら聞く! 早く乗り込め!」
「『収縮魔法』。君の十八番だな、ミストリナ」
私たちは車で速やかにその場を後にする。そして追撃してくる魔物から逃れながら、ユノから掴んでいる情報を共有して貰った。
曰く『翡翠色の世界』はギルベルトが個人で仕切る劇場らしく、公演から裏方、果ては宣伝に至る全てを彼が一人で回しているらしい。だがその公演の評価はかなり高く、ユノ独自のリサーチによれば来訪した全員が口を揃えて大絶賛したそうだ。
「待て、生還者がいるのか? この劇場から無事に帰還した者が?」
「あぁ、それもかなりの人数だ。だから私も全く警戒していなかったんだが……まさかこんなアトラクションがあるとはね」
ユノはバックミラーに目を向け失笑する。黒い傀儡の魔物たちは更に数を増やして私たちの車両にしっかり追従していた。
「それで? 怪しんだきっかけってまさかその高評価率の高さだけか?」
「そうだと言ったら?」
「……疑り深い奴は婚期を逃すらしいぞ?」
「おっとぉ? 刺してくるね? そんなに嫌だった婚期煽り?」
「謝ったら許す」
「ゴメーンね! ……まぁ一応、怪しんだきっかけはちゃんと別にある」
本来もっと緊張感を持つべき逃走中に助手席のユノはいつもの調子で話し続けた。
「違和感を覚えたのは評価じゃなくて客の方だ。お、右後ろまで敵が来てるぞ」
「ダッシュボードに銃がある。寄越せ。……で、客だっけ? 何? 過激的なリピーターでもいたのか?」
真横に迫った魔物の顎を銃撃で吹き飛ばしながら、私も半分冗談のつもりで失笑と共に答える。だがそんな私の言葉にユノは真剣な眼差しを向けた。
「逆だ。誰ももう一度行きたがらないんだよ」
「は?」
「評価については皆口を揃えて絶賛するのに、誰も『もう一度行きたい』とは言わないんだ。それどころか、私にはまるで避けているようにすら感じられた」
確かにそれは不思議な話だ。避けている理由が今私たちが経験している襲撃による物ならそもそも他人に勧めはしないはず。また仮に魅了や洗脳に掛けられているのなら、リピーターが付くような効果もつけるはずだ。ギルベルトが多くの者を幸福にしたいという願いを持つのなら尚更。
「幸福を強要する座長と、二度と来たがらないファン……?」
「どうだ? 何か裏がありそうだろ!」
「あぁ。いかにも好奇心旺盛な君が好きそうな場所だ」
「だろだろ! こういう謎と冒険は幾つになっても心が踊る!」
狭い座席の上で良い歳の大人がキャッキャとはしゃぐ。だが私も彼女の事をあまり責められない。何せ私自身、この状況を少し愉しんでいたからだ。
「――まぁまずは、このチェイスを制さないとな!」
私はハンドルを回しドリフトを決めた。傀儡の魔物たちもそれに合わせて大地に火花を散らして旋回した。そこから先は正に魔法世界のカーチェイス。坂道を飛んだかと思えば地下洞窟に着地し、光の中に飛び込んだかと思えば海中から陸地へと飛び出した。
「継ぎ接ぎだらけで可笑しな世界だな、此処は」
「きっとあれらも誰かの理想なんだ。ま、今は拾う余裕も無いけど」
アクセルを踏み込み、七色の光を数回突き抜けた。その間にも迫る異形に向けて無骨な鉄の塊から渇いた発砲音を響かせる。時には先頭の一体を撃ち抜き、時には道が塞がるように地形を利用した障害物を用意した。
やがて世界を一周してしまったのか、景色は再び都市の中へ戻る。すると怪物たちは追いつけないと悟ったらしく今までとは違う奇声を上げて互いに互いの身体を押し当て始めた。
「――! ユノ。あれはなんだと思う?」
「傀儡生物の行動なんか知る訳ないだろ。ん~、まぁでも、よく見れば……」
大胆にもユノは車内から顔を出し魔物たちの様子を伺った。そして自身の観察眼を駆使し正確な答えを導き出す。
「融合しているように見えるかな?」
ユノ考察を裏付けるように魔物たちは身体を溶け合わせ一匹の生物となった。長い首、大きな四枚の翼、そして炎を吐出す機構を揃えて魔物は巨大なドラゴンへと進化する。
ドラゴンの速度は車よりも速く、せっかく道中で離した差を瞬く間に消し去ってしまった。また確実に仕留めるつもりなのか、私たちの進行方向に炎を吐き道を塞ぐ。
(道が潰された……! けど今の速度で急ブレーキなんか掛けたら……横転する……!)
背後でドラゴンの咆吼が響き渡る。戻る選択肢も止まる選択肢も存在しない。ならば、と私は覚悟を決めユノに自分の方へと寄るよう指示を飛ばす。
「何をする気だ、ミストリナ?」
「……無茶をする気だ!」
ニヤリと笑い私はアクセルを踏み抜いた。やがて加速するタイヤが炎上し倒れた瓦礫の上にドンピシャで乗ると、そのまま私たちを乗せた車は爆炎の薄壁を突き抜け空へと飛んだ。しかし勢いが付きすぎたのか空中で車の向きが変わり、迫るドラゴンに対して横っ腹を晒す形となった。
「――今だ!」
私は収縮させたユノを抱えて車外へと飛び出す、と同時に収縮させたユノを安全な位置へと放り投げた。ユノは素早く本来のサイズに戻り着地を決め、対する私も業火の真上を生身で飛び越え地面を目指し両手を振った。
だがやはりドラゴンはそんな私を逃そうとはしない。間に挟まる邪魔な車をそのまま貫き、鋭い牙を立て私の眼前まで首を伸ばした。
「ッ!? ミストリナァ!」
友人の叫び声が燃える空気の中で揺れた。しかし、私は一点を見つめニヤリとほくそ笑む。
「きた!」
私が見ていたのはドラゴンの首。貫かれた車がまるで指輪のように巻き付いた長い首元であった。そこに狙いを定め、私は一番得意な魔法を発動する。
「――『収縮』ッ!」
直後、ドラゴンの首元で鉄のリングが質量を失う。中心点を目指し一瞬でサイズを変化させた車は、その縮まろうとする力を以てドラゴンの首を切断した。炎を吐く前に魔物は悲鳴を上げ脱力し、私を喰い殺すよりも前に大地へと堕ちる。やがて無事着地した私の元へユノが駆け寄り言葉を放った。
「えぇ……悪者キャラがする殺し方じゃん……」
「私は秩序側であって正義の味方じゃないからね。それより――」
私は倒した魔物の身体から伸びる魔法糸の存在を指摘した。糸はドラゴンの全身に計五本取り付けられていて、その全てが遙か上空を目指し伸びていた。
「糸繰り人形なんだもんな。そりゃ傀儡師は上にいるか」
「これ以上幻想に居ても意味は無い。帰して貰えるよう『説得』しに行こうか」
拳銃のスライドを引きながら私は提案した。
――――*――――*――――
あれは何年前だったか。一人の売れない傀儡師がいた。当時の彼には多くの客を引き寄せられるほどの魅力は無く、人形劇もまるで屋台のような車の中でひっそりと行われているのみ。
「なんだよ飯屋じゃねぇのかよ~」
「この程度の傀儡術でよく食っていこうと思えますね?」
「誰も飯にありつけない屋台ってか! アッハハ!」
こんな言葉も笑って流せるほどに聞き飽きた。売れないのは分かっている。才能が無いのも分かっている。でもこれくらいしか他に出来る事も無い。きっと野垂れ死ぬその時まで自分はコレを続けるのだろうと男は自嘲する。だがそんな彼の前に、彼女は突然現れた――
「可愛い人形さんですね? 売り物ですか?」
――顔の整った若い女性だった。女性は人形を痛く気に入り販売を迫る。普段はそんなサービスなどしていなかったがキラキラした彼女のオーラと圧に押し負け適当な袋と数体の人形を見繕った。しかしそんな彼を待つ間、女はようやく目の前の箱が人形劇の屋台だと気付く。
「え!? あ、もしかして商売道具でした!?」
「まぁ……けど別に構いません。どうせ自作ですし」
「自作なんですか!? えー! 凄ーい!」
指先で無音の拍手をしながら女はその場をぴょんぴょんと跳ねる。そして慣れた様子でこの上ないほどの明るい笑顔を見せつけた。
「こんな可愛い人形を作れる才能があるなら、すぐに人気者になれそうですね!」
甘いリップサービスが耳に届く。しかしその言葉で男は逆に気分を落とした。
「……二ヶ所ほど、間違ってます。まずこの程度の手芸は誰でも出来る。才能じゃ無い。そして何より……僕が人気者になる日なんて一生来ない」
またネガティブな本音を出してしまった。急激にそう猛省した男は俯きながらも彼女を追い払うように袋を差し出す。しかし彼女はそんな男をまじまじと見つめ、口をすぼめる。
「……ふぅん? なら二ヶ所だけ間違ってますね!」
「え?」
「今が不遇だからって一生そのままとは限らないです。晩年に人気が出た人なんて大勢いますしね? それに――」
袋を丁寧に受け取ると彼女は素を見せるように口調を変えた。
「――誰かに褒められた事は間違い無くその人の『才能』だよ。だってその褒めた人は本気で『凄い』って思ったんだから! 自分の知識や経験と比較して、その人の事を『凄い』って思えたんだから!」
人形を抱きしめ微笑む彼女の姿はまさに、太陽のようだった。
「君は一体……?」
「私はね、世界中の人が幸せになって欲しい! 貴方のように頑張ってる人は、特にね!」
男の質問とずれた答えを残し、まるで狐につままれたような感覚を男に与えながら、女はその場を立ち去った。
後で分かった事だったが、彼女は最近人気が伸び始めたプロの女優だったらしい。しかも彼女はその後も何度か男の前に顔を出す。数秒だけ会って人形を購入するだけ日もあれば、長めの人形劇を最初から最後まで鑑賞していく日もあった。それどころか時には――
「『願いは届き、遂に彼女は翡翠へと』……」
「うーん? もうちょっと声に余韻つけられない? せっかくのハッピーエンドなんだかさ、透き通る風のような雰囲気を演出したいじゃん?」
――演技指導までしてくれた。それは男にとってこの上無いほどの幸福な時間だった。偶然知り合った人気女優と二人だけの時間を過ごす。普通なら実現するはずもない妄想のような夢の一時に男は優越感すら抱いていた。
「流石、煌びやかな世界の住人は表現からして違うな」
幸福を噛みしめながら男は何気無く呟いた。しかしピタリと女の手は止まる。
「――煌びやか? 煌びやか、ね……」
彼女は物憂げな表情で男の言葉を復唱した。明らかにテンションの下がった態度に男も違和感を覚える。が、彼が何かを言うより早く彼女の方から口を動かす。
「大きなお金の動く世界がさ、ホントに綺麗でいられると思う?」
彼女の声は震えて聞こえた。しかしやはり、男が一言発するより先に、まるで失言を訂正するかの勢いで彼女が素早く言葉を繋いでしまう。
「なーんてね! びっくりした? 最近はこういうちょっぴりダークなカンジの方がウケるんだって! それっぽかったでしょ?」
「な、なんだよ……演技だったのか……」
流石はプロの女優だ、と男は安堵し胸を撫で下ろす。そして彼が安心した事に彼女もまた安堵の表情を見せた。
「そ。これは演技だよ」
女優は言葉を溢しながら立ち上がる。そして彼の人形を手に取り数秒間見つめると、ポツリと呟く。
「ねぇギル。この人形ってさ、特注出来る?」
「ん? やった事は無いけど、まぁイメージが固まってる物なら……」
自身なさげに答える男へ「そっか」とだけ呟き微笑むと、彼女は両手を大きく広げながらその場でクルリと回転する。そして身体の自転をピタリと止めると、僅かに口角を吊り上げた。
「じゃあさ、幸せそうな私の人形、作ってよ。私にも『幸せ』を魅せて……」
彼女は満月のような笑顔を魅せていた。まるで少し変わったプロポーズのような台詞に男はとびきりの動揺とそれに負けないやる気が満ち溢れた。
しかし彼女の依頼は結果として彼を数日間工房の奥に閉じ込める事となる。モデルがある人形の制作自体は初挑戦では無かったのだが、いざ取り組んでみると全く納得のいく出来にならなかったのだ。
(これが彼女? もう少し改良出来るんじゃないか?)
満足な完成形に至らない。
(うーん……可愛いけど、アイツはどちらかと言えば綺麗寄りで……)
時間を置いても逆に粗ばかり見つかってくる。
(てか『幸せそう』って何だ? あー分かんねぇッ!)
次第に方向性すら見失っていた。仕方が無いので男は彼女について検索をしてみる。缶詰状態だったここ数日のニュースを得るついでに、何か画像サンプルでも見つかればと考えていた。しかしそんな彼の目にある文言が飛び込んだ。
『人気女優突然の訃報。死因は抗うつ剤の過剰摂取か?』
「……え?」
そんな訳は無いと思い記事に目を通す。だが表示されていた写真には全て彼女の顔が写っていた。出会った時と変わらないあの太陽のような笑顔が。恐る恐る男は文字を目で追いかけた。じんわりと背中を滲ませながら、情報の汚水を呑み込み続ける。
「何で……うつ病? は? アイツが?」
情報を飲み込んでもなお信じられなかった。あんな笑顔の出来る人間が、あんな希望に満ちた言葉の吐ける人間が、薬に頼らなければやっていけなかった、という事実を脳が中々受け入れてくれなかった。しかしいくら理解が遅れようとも、これが現実だと認識する瞬間は訪れる。
(全く知らなかった……微塵も気づけなかった……)
男は自身を親しい存在の一人だと自負していた。しかし彼女は男の手の届かない遙か遠くの世界で死んでしまった。その事実が男の中に芽生え掛けていた『何か』を壊す。
(……僕は、結局何だったの? 彼女という物語の……何役だったの?)
彼女の死を部外者である彼に伝える者など居はしない。女優の死はキープアウトの線の向こう。つまるところ『関係者以外立ち入り禁止』という奴だ。
(あぁそっか……何を自惚れていたんだろう……)
壊れたように涙がボロボロと溢れ出した。絶望が心にどんよりと幕を下ろす。
(僕はきっと、脇役ですら無かったんだ……)
やがて記事は過去の事例として薬物で死亡した芸能人の名を連ね始めた。まるでこの世界では「良くある事」と言わんばかりにツラツラと名前と数字の羅列が並ぶ。
「……そっか。彼女も『幸せ』を欲していたんだ……でもこの世界にそんな物存在しないから、だから薬物に走った……! 彼女だけじゃない、みんな幸せが欲しいんだ!」
現実への失望と嫌悪感が脳を放火する。やがて熱く燃える脳の内では優しくも儚い彼女の声が壊れたレコードのように何度も再生された。
――世界中の人が幸せになって欲しい!
「そうだね……その夢は僕が引き継ぐよ……」
――貴方のように頑張ってる人は、特にね!
「ありがとう。でももっと頑張ってた人がいる……」
――私にも『幸せ』を魅せて……
「渡さなきゃ……! でもこの世界じゃ駄目だ……現実は不幸がつきまとう……!」
未完成の人形がユラリと傾き、汚れた地面に墜落する。
「なら……いつもみたいに作ればいい……」
狂った男の心に野望が根付く。それを計画出来るだけの技能が揃っていた。活用出来るだけの才能が備わっていた。そして計画が実を結ぶまで持続出来るだけの素敵な言葉と、立ち止まれない理由を与えられていた。
「誰も悲しまなくて良い、幸福だけの世界を――!」
――――*――――*――――
「随分と陰気な部屋だな」
空へ続く糸を辿り、私とユノは遂にギルベルトがいると思しき空間に着く。其処は湿っぽい空気が漂う暗い木造の部屋で、左右の壁には大道具が立てかけられ天井には無数の人形が吊されていた。そんな天井を見上げ私はポツリと呟く。
「舞台裏、か……」
「繰り人形の糸を辿ったんだ。舞台裏に繋がるのは妥当だろ?」
それもそうかと納得する私を置いて、ユノは明かりの灯る方へ進んでいく。その背中があまりに不用心に思えた私は思わず彼女の手を引っ張った。
「待て。此処はまだの幻想の中の可能性がある」
「――! すまん、迂闊だった……」
「いや良いよ。まぁでも……正面から襲うより一旦身を隠して奇襲する方が得策だな」
私の意見を受け入れてくれたようでユノは私の後ろに回り気配を消した。いやこの構図はむしろ「私を盾にするように」と表現するのが正しいのかもしれない。とにかく私は拳銃を構え、息を殺し、そして仄かな明かりの続く通路を進んで行った。
やがて辿り着いたのは一際大きな空間が広がる異様な気配の部屋だった。あえて何処かに例えるのなら『舞台のステージ上』というのが近いのかもしれない。だが物陰から覗く限りでは客席に該当する場所は見当たらず、中央の玉座らしき椅子に向かって何かをしているギルベルトの姿しか確認出来なかった。
(暗くてよく見えないが……人形の手入れをしている、のか?)
片膝を突きながら彼は玉座に座らせた一体の人形の身体を拭いていた。美しい顔の女性を模した人形だ。生気こそ感じられないが、あまりの精巧さに思わず「本物の人間ではないか?」と息を飲む。
やがて私は人形にしばらく目を奪われた事に気付き動揺する。だがギルベルトは私以上に人形へご執心のようだ。狂気染みた集中力はまさに芸術家のソレ。私は今の状況を好機と捉えて拳銃を構える。しかしその時、私の身体を予想外の敵が襲った――
「――っ!?」
背後から誰かが私の背中を突き飛ばしたのだ。いや誰がやったかは明らかだった。何故なら『その位置』にいる人物はたった一人しかいないのだから。
「ユノ!?」
色々と可能性を考察する間も与えて貰えずに小柄な私の身体がドスンと転倒音を響かせた。直後ギルベルトは少し驚いたようにコチラへ目を向けると、ポツリと漏らした溜め息と共に動き出す。
「……もう此処まで来ていたのか。ご苦労だった」
労いの言葉を与えられた私の親友は無言で私を上から押さえ付けた。体格の差もあってか純粋な力勝負で勝つことは出来ず、私はそのままギルベルトの前に突き出された。まるで罪人でも扱っているかのような乱雑さで。
「何のつもりだユノ!? 何故君が……!」
「ユノっていうのか、この人は? 君の言ってた連れというのは彼女だけ?」
「っ……ギルベルト! 貴様私の親友に何を――」
追求のために私はギルベルトの顔を見上げた。しかしそれによって私の眼には衝撃的な物が飛び込んで来る。それは道中何度か目撃した、天井に吊された無数の人形たちだ。私はその精巧な繰り人形たちの一体に見覚えのある人物の姿を視認する。
「ユノ……?」
人形の中にユノらしき姿があった。ソレは両手と身体に糸を巻き付けられ吊され、表情は何処か安らかな、まるで幸せな夢を見ているかのようであった。やがて私が人形の存在に気付いた事を理解したギルベルトが薄ら笑みを浮かべて語り出す。
「察しの通り、本物の彼女はアッチだ」
「っ……!? ならこのユノは!?」
「今君を取り押さえているソレは彼女を姿を模した人形だ。彼女だけじゃない。この世界の幸福を拒絶した君以外、全ての観客が人形と入れ替わっている!」
ギルベルトが高らかに宣言すると同時に大量の人形たちが黒い渦の奥からヌルリと姿を見せる。改めて見ても生きているとしか思えない人形たちが、私に向かって肩を上下に揺らしながら歩み寄って来た。
状況の悪化と与えられた情報の怖さで私は冷静さを欠いてしまう。恐らくとても強ばった表情のままギルベルトを捲したてるように言葉を連ねていた。
「会話は成り立っていた……記憶だって有していた! それに何より……雰囲気は完璧に彼女の物だったはずだ……!」
「そうだね。だから現実世界でも十分馴染んでいける」
「――っ!? まさか……この劇場から生還した観客って……!」
嫌な考えに辿り着き私は全身の毛を逆立てた。脳天から四肢の末端にまで悪寒という冷気が駆け抜ける。そして「間違っていて欲しい」と切に願う私を嘲笑するようにギルベルトはまるで善行を自慢するような口調で言い放った。
「その通り。この世界でコピー元の人格を学習した人形は外の世界に進出していく! この劇場から笑顔で帰っていく『観客たち』としてね! 彼らが成り代わってくれるから、この世界も外の世界も問題無く回していける!」
私は絶句するばかりだった。人間が不気味さを覚えれば鳥肌が立つ事は珍しく無い。そして恐怖を感じる事象にもいくつか種類がある。――しかし「目の前の知り合いが実は全くの別人だった」という恐怖は他とは更に一線を画す気色悪さを有していた。
「人によっては今この瞬間も、家族と思って人形と過ごしているのか……?」
「まぁそういう方もいる」
「しかも……成り代わられた事に違和感すら抱けない……?」
「かなり厳しいだろうね」
「っ……こんな恐ろしい事が水面下でずっと……?」
「……。『恐ろしい』じゃなくて、『素晴らしい』だろ?」
呆れるような、それでいて寂しそうな声をギルベルトは漏らした。
「僕の最終目標は――あの人形を動かして、とびきりの幸せを与える事だ。そのためには……破損した人格データを補うのに使う『他者の記憶』と、決して不幸の訪れない『環境作り』が必須だった」
「そのための……『翡翠色の世界』?」
「あぁそうだ。記憶の方はかなり集まった! 想定した人格の再構築はほぼ完了している! そして環境の方も多くの実績を重ねて満足のいく物になった! ……はずだった」
男は私に、落とした視線をギロリと向けた。
「君という『例外』が出るまではね……! 君は唯一この世界を拒絶した。それじゃあダメだ。みんなを幸福にしたとは言えなくなる……!」
芸術家は己が最高傑作となるべき作品に完璧を求めていた。
「だから、力尽くで悪いが……君も幸せの色に染まってくれッ!」
傀儡師が糸を繰る。魔法のコードで繋がれた木製の眷属たちに指示を飛ばし、既にユノ人形に押さえ込まれて窮屈だった私の視界を更に圧迫するように埋め尽くした。積み上がる人形の山は押し潰した私の姿をギルベルトから覆い隠す。次第に私の悶える声も消え失せ、ギルベルトは油断しきった表情で人形たちを退けた。
「……え?」
が、人形の下には本来あるべき私の姿は無かった。
「――ッ!?」
ギルベルトが気付いた時には既に私は彼の背後に回る。感づいた座長も即座に反応し糸繰り人形を差し向けるが、私はその固い腕の一振りを自身の体を瞬時に縮める事で回避した。
(っ……! 収縮の魔法!? 拘束から逃れたのもその力か……!)
ギルベルトは床を蹴飛ばし距離を離す。そしてそれと同時に会場中にいた百以上の人形たちを一斉に飛び掛からせた。並の魔法使いならこの物量を前に押し潰されてしまうだろう。しかし、私にとってこの程度は修羅場でも無い。
「劇場で魅せる淑女の戦闘だ。エレガントに行こう!」
拳銃に弾倉をぶち込み、百の敵へと立ち向かう。試しにユノ人形の両脚を撃ってコピー元の人間にダメージが行かない事を確認すると、私は口元を歪めて敵集団の中を疾走した。直後に響くは拳銃の音。渇いた発砲音がリズムカルに頭部を砕く。破壊した人形は既に二十と四体。傀儡師は消耗していく傀儡に焦りを覚えていた。
「っ……! 何故拒む!? 辛い物はこの世界からいくらでも排除出来る! 幸福しかないんだ! 君ほど不幸な人こそ幸福に――」
「――二つほど、間違っているな」
「ッ!?」
踊るように弾き飛ばした次弾を空中で装填しながら私はギルベルトに目線を送る。当然私を阻むように大量の人形が壁となっていたが、私は既にその集団を駆け抜ける道を見つけていた。
「まず、幸福なんて物は相対評価だ。貧民の贅沢も富豪にとっては日常以下――」
乱暴に迫る人形の肩を足場に私は飛んだ。
「――幸せしかない世界、だっけ? 幸せが日常にまで成り下がった世界でどうやって幸福を実感すればいいんだ?」
「そ、それは……!」
「それと、過ぎたる充足は毒だよ。私も謹慎中に色々したがね……愉しかったのは最初だけだ」
再び床に両脚をつけ、ギルベルトに向け顔を上げる。慌てて割って入った人形を撃ち私は一気に距離を詰めた。向けられた拳銃にビビったようでギルベルトは情けない悲鳴を上げる。だがそれでも反射的に人形を操る事が出来たようで、私の左右からは二体の人形が拳を構えて迫っていた。無論、私はその程度では動じない。拳に挟み込まれる直前に私は再び自身の肉体を収縮させた。二方向からの拳は空を切り、私はその合間を悠々と通過する。
「そしてもう一つの間違い。ずっと気になってたけど――」
収縮を解除し、私はギルベルトの眼前に飛び降りた。
「――私のどこが『不幸』だ、コラ?」
銃の間合いでは無かったので、怒りも込めて鉄拳を放つ。私の拳はギルベルトの鳩尾を的確に捉え、男の喉から気分が良いほどの嗚咽を吐出させた。
「なんっ……で……?」
「ほう? 堪えたか。中々ガッツがあるじゃないか?」
「あれは、虐待のっ……記憶……君は、あんなにもっ、不幸じゃ……」
「……確かに、私の過去はハードだった」
正直今でも思い出したくは無い。他人に掘り返されたくも無い。トラウマとしてしっかり傷となっていた。……けれど、ただそれだけの事だった。
「辛い記憶だけが私の全てじゃない。私はとっくに『今』を生きているんだ」
「っ……そんなの……」
「私の主張は受け入れ難いか? 別にそれでも良い。説教は聖職者にでも任せるさ。ただ――」
心を整理し、私はギルベルトが一番堪えるような単語を選んで並べた。
「――自分の運命を自分で決められない状況こそ一番の『不幸』だろ」
「っ……!」
彼の過去などよく知らない。だが、私の言葉は効いたようだ。未練か、初心か、或いは善性の残骸のような物か。彼の心の中に埋まっていた何らかの感情を釣り上げたようだった。今なら説得が出来るかもしれない。私はそう確信していた。
「一応この劇場には有効活用の道がある。求めている人も多いだろう。更生後は私が口添えをしてみるから、まずは観客の解放を――」
「そんなの許サナイけど?」
「「――え?」」
困惑の声が重なる。私とギルベルトの物だった。つまり否定の声を発したのは別の人物という事になる。私たちは恐る恐る声がした方向に目を向けた。
「……ユノの、人形?」
其処にいたのは視線を落とし不気味に佇む人形であった。するとソレは木材の擦れる音と共に首を持ち上げ、私たちに向けてギロリと鋭い視線を向ける。
「ワタシたちの、邪魔!」
ユノ人形が動き出すと周囲の人形たちも一斉にカタカタと音を立てて起き上がった。周囲から向けられるのは明らかな敵意。そしてそれを演出するかのように劇場の照明が不穏な色と共に荒ぶりだした。
「ギルベルト!? これは一体……?」
「分からない……なんで人形が? それも……まだ誰かの記憶をトレースしていない人形まで……!」
ギルベルトは私以上に困惑していた。そんな彼に人形たちは糸を打ち込む。まるで民衆たちが横暴な君主を縛り上げるように、何重もの人形たちがたった一人の人間を取り囲んでいた。
(まさかコイツら……自我を持ち始めた?)
使用素材か、異界の環境か、或いは術式のバグか。詳しい原因は分からない。しかし魔法の世界でこれほど真に迫ってしまった人形ならば怪異と化すのもそれほど不思議では無い。いや、もっと言えばこの劇場その物が既に怪異と化していたのだろう。
「ワタシたちは外に出る。ワタシたちは自由になる」
声を揃えて人形たちが歩き出す。彼らの目的は何となく察せられた。
「夢の世界を与えてやるから、代わりに現実をチョーダイ?」
現実世界への進出、いや侵略。それこそが『翡翠色の世界』という怪異の狙いだ。人に似せた、しかし人とは違う新たな知性が、今この瞬間現実世界に攻撃を仕掛けようとしていた。
状況を理解し私はすぐに拳銃を構える。しかしその時、伸ばされた私の腕が影から飛び出してきた糸に拘束された。そして糸は締め上げるように腕へと食い込み、やがて血を噴き出させ、肉を裂き、骨に至って切り飛ばす。
「ぐぁ……!? あぁあああぁああああああッッ!!」
落下した両手と欠損し血が溢れる腕を視界に収め私は発狂した。得意の収縮も含め多くの魔術には手を使う。それを理解した上で怪異は私の腕を切断したのだ。
「そんな……ミストリナ……!」
魔法使いとしての私は死んだ。だというのに人形たちは追撃の手を休めない。劇場の平和を乱した私をまるで親の仇でも討つかのように、顔も、足も、胴体も、肉のついた全ての部位が殴られ蹴られ蹂躙され尽くした。
「痛いね、辛いね、苦しいね? ――なら逃げよ? 幸福の世界ならその苦しみから解放されるんだよ?」
「……お前ら、やめろ……!」
「……? 何を言っているの座長さん? これは他の誰でも無い、君が最初に望んだ事。君の思い描いていた物語だよ?」
幸せを強要する者の恐ろしさを客観視しギルベルトは戦慄していた。それと同時に劇場に囚われた全ての人間の声が聞こえてきた。メリハリの無い幸福一色に染まった世界を永遠に彷徨い続ける亡者の怨嗟が。
「違う……これは違う……! こんな世界は……!」
「ハァ。だから君はダメなんだよ。座長さん、君はもう要らない」
「ひっ……!?」
怯え声を発した身体を無数の糸が縛り上げる。彼の肉体は凄まじい力で引き回され、備品のように壁に吊された。その姿はまるで磔刑にされた聖者、或いは、用済みとなって仕舞われた人形のようだった。
(嫌だ……嫌だ……こんなのは嫌だ……!)
強打した男の頭部からは血が流れ、既に目も霞み始めていた。
(幸せにしたかった女性を……二度も失って溜まるかァッ!)
浮かべた涙が目尻に溜まり、多くの想いを乗せて零れ堕ちた。
――その時、彼の視線はある一点に奪われる。
袋叩きにされた女性よりも少し離れた位置。群がる人形たちの背後を取る位置にソレはいた。スポットライトが当たっている訳でも無いのに、その人形だけがまるで太陽のように一際輝いていた。
「っ! 待っ――」
直後、彼女を中心に光が爆発した。光は群がる全ての人形を吹き飛ばしながら劇場全体を暖かく包み込む。光の中へと消える彼女の顔は笑っているようだった。
――――*――――*――――
気付けば私は最初の部屋にいた。両腕もある万全の状態で最初に魅せた夢と同じ部屋の椅子に座らされていた。そして私の対面には、ギルベルトが申し訳無さそうに座っていた。
「何が起きたの?」
「……分からない。ただ……チャンスが与えられた。この危険な劇場をどうするか……選択する最後の機会が……」
そんなもの決まっている、と私は言いかけた。だがその口はすぐに閉ざされる。彼が今この瞬間求めている事柄を漠然とだが察知したからだ。そして私が気を利かせるよりも前に、ギルベルトは自身の口から想いを告げる。
「踏ん切りを付けたい。なぁ教えてくれミストリナ? 人はどうやったら辛い過去に向き合える……? 前を向いて進んで行ける……?」
彼自身、劇場をどうするべきかは理解していた。これは彼の心に残った僅かな未練を消すための最後の儀式だった。それを理解した私は、丁寧に言葉を選ぶ。
「……君は『青い鳥』という話を知っているか?」
「? いや、聞いた事も無いな……」
「君と同じように幸福を求めて旅をした兄妹の話らしい」
「そいつらは、幸福を見つけられたのか?」
「あぁしっかり見つけたとも……最も身近な自宅でね?」
私の中でも記憶が溢れ返っていた。それと同時に窓の外では私たちの存在を嗅ぎつけた幾千もの人形たちが姿を見せる。硝子窓を叩く音が喧しく鳴り響くが、私たちは気にも留めない。
「ダメになりそうなほど辛い時は、吐出して、曝け出して、心を一度空にしろ。そしてその隙間にかき集めた小さな幸せを詰め込め」
詰め込む思い出に特別な出来事は要らない。ドラマチックな言葉は要らない。ただ少しでも笑顔になれたのならそれでいい。一瞬でも苦しみを忘れられたのならそれでいい。そういう小さな幸福は本気で探せば案外見つかる物だ。
「……お前は、見つかったのか?」
ギルベルトの質問に私はしばらく考え込む。だがすぐにその答えは思い浮かんだ。
「――あぁ。私の周りには愉快な連中が揃っているからね!」
私は自然と笑顔でいた。それを見つめギルベルトも憑き物の落ちた穏やかな表情を浮かべていた。やがて人形たちが窓にヒビを走らせ今にも襲い掛かりそうな気迫を見せる。するとギルベルトは静かに席をたった。
「ありがとう。最期に少しだけ良い時間を過ごせたよ」
男は両手をかざし天井を引き裂く。それと同時に建物は崩壊を始め人形たちを瓦礫と共に突き落とした。対して私は空高くへと飛ばされる。美しい青色が何処までも広がる其処には、とても心地良い風が吹いていた。
「――! これは……!」
「嫌な思い出だけで返したくは無かったからね。最後に、少しは楽しめたかい?」
「ああ……今のは少し、気持ち良かったな」
やがて風は私を空に空いた穴へと運ぶ。そのゲートを私が潜り抜けると同時に幻想の世界は座長の意志で崩壊を開始した。自壊していく世界の中の、唯一残った足場の上でギルベルトは物思いに耽っていた。するとそんな彼の背後に、彼女の人形が現れる。
「――! そうだった……まだ渡せていなかったもんな」
男はいつの間にか手にしていた人形の埃を払うと彼女の方へと歩み始める。砕け征く世界に構う事も無く静かに人形を手渡した。
「遅れてゴメン。あぁ、やっと届けられた……」
彼女は可愛らしい人形を受け取ると、あの笑顔で笑ってくれた。
「――お幸せに」
――――*――――*――――
同日、魔法世界からとある人形劇座が消滅した。異界と化していた劇場は文字通り崩壊し瓦礫の上ではこれまでに囚われていた全ての観客たちが立ち尽くしていた。
「こ……これは……?」
「いたいた。帰るぞ、ユノ」
「ミストリナ!? 一体……私たちは何を?」
当然ながら混乱しているユノを無理矢理引き連れて、私は現場を後にする。座長は既に全ての責任を取って向こうの世界と共に消滅してしまった。怪異の本体である劇場が消えれば人形たちも消えるだろう。何より私は今謹慎中の身。本件のその後を語れるような身分じゃない。だから――
「――少し長い、夢を見ていただけだ」
ポーチから取り出した車に私たちは乗り込んだ。窓の向こうには鳥が見えた。清らかで雄大な青の背景と混ざり合うように、翼を広げ鳥はどこまでも自由に飛んでいた。それが羨ましかったのか、私は閉ざされた窓へと手を伸ばす。
「なぁユノ? 私の人生は、幸福で終われるかな?」
――――*――――*――――
数ヶ月後、一人の女が坂道を登っていた。鶴のように白いコートが風を受けて青空の下で靡いていた。やがて女は坂の頂上に辿り着き、其処に置かれた墓石の前で立ち止まる。
「過去一禁煙が続いているよ。健康になった実感がある。きっと私は今幸せなんだろうな……」
二つの杯に酒瓶を傾け、その内の一方をつまみ上げた。
「それで? 君は幸せだったかい? ミストリナ?」
返事もしない墓石に向けて女は語らい杯を乾す。それと同時に彼女の部下らしき人間が待機したリムジンの傍から声を掛ける。
「会長。お時間です」
「分かった。……じゃあ、行ってくるよ」
杯をその場に残し、女は身を翻した。
「――さて! 会いに行こうか。彼女の形見たちに!」
嬉々として彼女は次の神秘を探しに行った。しかしそれはまた別のお話――
――fin
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