第7夜 傷口に絆創膏を
陽が傾き、家に着く頃には、少女は泣き疲れて眠っていた。
通りからは夕飯の匂いがして腹が鳴る。
「ただいま」
廃工場を改造して出来上がった、建物に足を踏み入れる。
俺を心配して入口の前をウロウロしていたシロが笑顔で駆け寄ってきた。
「お帰り!」
胸に軽く衝撃が走り、シロが俺の肩に額を擦りつける。
「待っててくれてありがとう」
少女を片手で背負ったまま、もう片方の手でシロの頭に手を置いた。
「僕がクロに早く会いたかっただけだよ!お腹空いたよね?今日は街の人達からのお礼で……」
「ん?」
それまで可愛らしい笑顔にあふれていたシロの表情が凪いで、氷点下の視線を向けられる。
何で怒ってんだ?
「似合ってて気付かなかったけど、服が破けてる。その怪我、どうしたの?」
「怪我?」
そういえば怪我したな。
血も止まったし、あんまり痛くないから忘れていた。
俺は正直にどうして怪我をしたのか話した。
「犬に噛まれた」
狂犬さんは【7番街の狂犬】の名に恥じない犬っぷりだった。
これは嘘じゃない。ギリギリセーフだ。
この女の子のお世話をしなきゃいけない状況で7番街と戦争になりそうだとシロに知られれば、拗れる。
「犬……7番街の狂犬だな?」
シロが興奮して、口調が荒くなる。
シロはハチから、「黒金が7番街に向かいました」という報告を受けていた。
それに、この辺りで【犬】関連の2つ名を持つ人間はハチと7番街の狂犬しかいない。
クロが犯人を誤魔化してもバレバレであった。
シロは大切なクロを傷付けられ、激怒だった、。
鼻息も荒く、華奢な腕をブンブン振り回す。
そんなシロを見て、クロは困った顔をした。
自分の為に怒ってくれるシロを見ると、「好きだなぁ」って温かい気持ちになる。
でもやっぱり、シロを怒らせたり悲しませたりするとどうして良いか分からなくて困る。
「うーん……」
帰るまでに説明の仕方、考えときゃ良かったな。
新しい家族に浮かれて、この子の事しか考えていなかった。
お蔭様で、女の子の寝る場所と明日からの仕事の準備はバッチリだ。
「怒ってくれてありがとう。俺は大丈夫だよ。そろそろ日も暮れて寒いし、中で話そう」
シロが暴れてズリ落ちた上着を肩に戻してやり、手を引く。
「絶対に報復するよ!」
「もちろん」
_______
それから眠る女の子の世話は、同じ女の子のハチとヒナに任せた。
俺は、シロの治療を受けながら7番街で起こった事を報告する。
残ったメンバーも俺の報告を聞いて、眉を顰めた。
「事情は理解した。クロなりの最善は尽くしたんだね?」
「ごめんなさい……」
俺の人助けにみんなを巻き込んでしまい、申し訳ない。
項垂れる俺の背中に、ボムが寄り添った。
ボムを包み込むように、長身のアチョーも俺の背中に抱き着く。
「謝るのはOKっすけど、ボスはボスのままで居てくださいね。ここにいる全員が、ボスの人助けに助けられた人間なんすから」
「ボムの言う通りです」
俺の家族、みんな優しい!!
2人の優しさにジーンと感動していると、鼻先にデコピンを食らう。
「えぺっ」
「お前等、黒金を甘やかし過ぎ。コイツの無鉄砲な所は改善するべき部分でしょ」
ミラの言う事はもっともだ。
鼻をつままれたのでフガフガ口呼吸をする。
「毒ミラ!僕の大事なクロに暴力を振るわないでいただねますぅ?!」
「出たな、モンペ筆頭」
シロとミラは俺の教育方針でよく揉める。
これはとても有り難い事だ。
褒めて伸びる人間も叱って伸びる人間もいないように、全てはバランスが大事。
シロが甘いミルクで、ミラが苦いコーヒー。
どっちも居てくれる俺は幸せだ。
「俺、2人の為にも、絶対挽回するからな!」
「当然」「あんまり頑張り過ぎないでね」
シロが頑張り過ぎないでねって言うなら、そうするか。
時間が経って傷が見えなくなってしまったので、穴の空いた場所を目印に絆創膏を貼ってもらう。
「今度は怪我しないでね」
と言う言葉で、やっと許してもらえた。
シロの眉間が普通に戻る。
「シロ、そこは怪我してないぜ」
「穴が空いた所からクロの乳首が見えちゃうでしょうがぁ!!」
「あ、うん」
何故かシロの口から『乳首』という単語を聞きたくなかった自分がいる。
シロは集中しきった顔で俺の乳首に絆創膏を貼った。どうせ着替えるのに、もったいない。
物資の管理はシロがしてるから良いのか??
「何か変な感じするな……」
これ、お風呂で剥がして良いモンなのか?
後でヒナに聞こう。
タイミング良く食堂にカラカラ音がして、ヒナが現れる。
「お兄ちゃん、女の子起きたよ〜。なんかプルプルしてる」
「ありがとう」
起きたら知らない人しか居なくて、不安なのかもしれない。
相手に圧迫感を与えないように、シロだけ連れて女子部屋に行く。
「1人で移動出来て偉いな」
「馬鹿にしないで!それよりも、喋れないハチだけ残して来ちゃった」
「両方共、不安だろうな」
怯える少女と狼狽えるハチを想像して、俺は歩くスピードを早めた。
ヒナは車椅子で、1人で移動するのが遅い。俺達を連れて来るだけなら、ハチの方が速かっただろう。
きっとハチは、ヒナを守る為に報告に行かせたのだと思う。
弱った女の子が相手とは言え、初対面の人間を抵抗力の無いヒナと2人きりにしなかった。
ハチは自慢の番犬だ。
「すぅ……」
女子部屋の前に着いたので、相手が驚かない様に息を整えてドアをノックする。
「俺とヒナとシロだ。開けても良いか?」
中で足音が動いて、ドアが開いた。
「お疲れ様」
ハチがホッとした表情を見せて、俺達を部屋に招き入れる。
女の子は、ヒナが言う通りプルプルしていた。
ジャージを握り締めた状態でベットの下に隠れている。
みんなに目で合図をして、顔見知りの俺が女の子と話をする事にした。
トントントンッ
女の子を怖がらせない様に、そっとしゃがんで床をノックする。
女の子の目線がコチラに向いた。
ニコッと笑って、首を傾げる。
女の子は警戒したまま俺の様子を伺っている。
手だけをゆっくり、女の子の側に近付ける。
「大丈夫。大丈夫。俺の手を握ってみな」
「…………。」
まだ怖がってる。
あまり間を作らず、低い声でゆったり話しかける。
「俺の手は、魔法の手なんだ。握ると変な音が鳴る。どんな音だと思う?」
指を誘う様に動かした。
「どんな音……?」
小さな声で質問される。
「ピヨピヨって言うよ」
「ぴよぴよ?」
「うん」
手を近付けた。ベットの下に引っ込められていた手が、少しだけ手に触れる。
「ピヨピヨ」
女の子は信じられないモノを見る目で俺を見た。もう1度手が触れると、
「ピヨピヨ」
と鳴く。手が触れるたびに鳴く。
「そこが鳴るの?」
女の子がおかしそうにクスクス笑う。
「不思議だろ?」
「面白い」
すっかり笑顔になった女の子の手を、優しく包み込んだ。
人間の体温を感じれば落ち着くはず。
「俺は黒金。あなたは洞窟の主様ですか?」
「ふふふ、違うよ」
「それでは、穴にはまったお姫様ですか?」
「それも違います」
「うーん、では誰でしょう?」
自己紹介を求めているのを察して、女の子がベットの下から這い出てくる。
「牧原 のぞみです」
「マキハラ・ノゾミ姫でしたか!素敵な名前ですね」
マキハラ・ノゾミが照れ臭そうに微笑む。よしよし。
「ここら辺では聞かない、風変わりな名前ですね。遠方から来たのですか?」
しまった!
何処から来たのか問われ、マキハラ・ノゾミの顔が曇っていく。
繋いだ手もスススと引っ込んでいってしまった。
やっぱ堕ちたばっかだったのか。なのに故郷を思い出させる話なんかして……俺は馬鹿だ!
話の流れを切らない程度に別の話題を持って来る。
「マキハラ・ノゾミでは長いので、あだ名をつけても良いですか?」
「はい……」
マキハラ・ノゾミはしょんぼりと俯いたまま、頷いた。
「んー、『マラ』と『ノミ』どっちが良いですか?」
名前の意味が分からないので、区切られた単語の最初と最後の2文字を呼び名にする。
それまで不安そうだった少女は、いきなり強気な口調で
「どっちも嫌です!」
と言った。
「えぇっ?と……マラノミ?」
「なんか嫌です!その変なあだ名を、私の美意識が許しません!!」
床をベチンと叩かれる。
美意識かぁ〜〜。
8番街では気にする人は少ない概念だ。
何でも良いから、マラノミが元気になって良かった。
「どうしてそんな綺麗な顔で、変な事ばっか言うんですか!顔面と声の無駄遣いですよ!!」
マラノミは顔を真っ赤にして床をベンベン叩き続ける。
「そう言われても……」
俺は変な事を言ったつもりは……小芝居が原因か?
「あなた、どうして乳首に絆創膏貼ってるですか!変態なんですか?!」
「あ、あんま見ないでくれ……」
マラノミの視線を遮る様にTシャツの穴を塞ぐ。
そんな見える角度だったのか。恥ずかしい。
「僕の大事なクロを視姦するなぁ!」
「あでっ」
シロが投げた本が、マラノミの頭に当たった。
「もう我慢出来ない!クロに優しくされて逆ギレするとか信じらんない!!」
「わ、服を着たアポロン!?!」
ハチがシロを止めるかどうか迷った末、金属バットを女の子に向けた。ヒナは楽しそうに部屋の隅でニコニコしている。
「みんな落ち着け!ハチはシロを止めろ!」
「ハチ、僕を止めるな!」
ボスと大好きな飼い主の命令が拮抗して、ハチは床に座り込んだ。
バットで殴りに来ないだけマシだ。
「この糞女〜〜!!よくもクロ乳首を……!!」
「ちょっと待って!今、この人『乳首』って言った?こんなに綺麗な顔してるのに?!」
「マラノミは、シロの魅力が分かるのか!良い奴だな!」
「私は、のぞみです!」
現場は混沌であった。
その後、俺はシロからノゾミを守った事で、ノゾミの信頼を勝ち取った。
シロはノゾミに謝られた事で落ち着きを取り戻し、今は俺の腕の中に収まっている。
ハチは、ボスと飼い主が仲良しで万々歳。
ヒナはというと、部屋の状況に飽きたのか食堂で夕ご飯を食べていた。
_______
「これよりスマイリー向日葵パラダイスの家族会議を始めます。議長は、マキハラ・ノゾミさんを保護した俺と、シロで勤めます」
「「「「「「賛成」」」」」」
長いテーブルに座った面々が一斉に机を叩く。
テーブルを叩く大きな音が、自分を責めるみたいで怖かった。
のぞみはテーブルの一番端で、裁判を待つ被告人の様に縮こまる。
_____
のぞみは謎の鬼に目の前で長谷川さんを殺され、異世界で生まれた希望を潰された。
そうして何をすれば良いのか分からなくなり、涙が出なくなるまで泣いた。
まだ社会にも出ていない女の子が、よく分からないまま恐怖と死だけを理解させられ、知らない世界で突然ひとりぼっちにされたのだ。
三日三晩泣いたって責められないだろう。
それからのぞみは脳に浮かぶまま様々な事を考えて、ボーッとしていた。
自分が失敗した事、出来たかもしれなかった事、長谷川さんの事、自分の家族の事、鬼の事、長谷川さんの家族の事、顔が酷いことになってるかもしれない事……。
そうして色々な事を考えているうちに、のぞみの前に人間が現れて、すぐに囲まれた。この世界には、ちゃんと人間が居たのだ。
今更、現れても遅い。
自分の世界では【普通】じゃない格好の人達を見て、自分が知らない世界にいる事を実感させられる。
私のいたはずの場所が、とても遠い……。
長谷川さんの落とした銃を抱き締めながら、人混みが割れていくのを眺める。
「お前が毒虎一家の事務所に忍び込んだアホ犬か?」
「………。」
動物が着ける様な口枷を着けた少年が私に声をかけて来た。
真っ赤な髪と同じく太陽みたいな目が、ギラギラと罪の意識を照らし出す。
私は毒虎一家という名前に心当たりがあったので、頷いた。
確かに私は、人間の住む家に侵入して好き勝手してしまった。ヤバそうな事務所の窓を破り、可愛い日記や武器を盗んだ。
でも、それは誰も住んでないと思ってたからで……でも、実際は住んでいて……。
謝って終わる問題では無い。
「…………。」
「っ」
初めて、男の人に胸倉を掴まれた。無理矢理立たされて、至近距離で睨まれる。
ああ、でも私を道連れに死のうとした長谷川さんの目の方が怖かった。
話せば良い人だった。私が居たから殺された。血が噴き出るでもなく、悲鳴が上がるでもなく。
人1人の命が消える瞬間は、呆気なかった。
「死んだ目してやがる……」
「ぐっ………。」
胃に膝がめり込んでいる。
「いっ………。」
顔を殴られた。痛い。痛い。女の子なのに。
こんな場面、お母さんが見たらなんて言うかな。
もう1発、強く頬を殴られた。
受け身も取れずに地面に倒れる。
「お前……」
少年がまた、顔を至近距離まで近付けて来た。
誰にも聞こえない様な小さな声で
「捨て駒にされたのか…?」
と聞かれる。
そう言う少年の顔は、とても悲しそうで私を気遣う目をしていた。
この人、良い人か悪い人か分からないよ……。
「うぅっ………」
涙も出ず顔を歪めただけの私を見て、少年は私を立ち上がらせる。
「コイツは毒虎一家の狂犬が預かった。コイツの持ち物は毒虎一家から持ち出されたもの。勝手に拾った奴は居ないか?」
少年は私が逃げられない様に、手首に太い縄を巻いた。
「あ、あの……その女の子の持ち物、落ちてたので拾いました」
「私もです」「俺も」
銃以外の無くなっていた持ち物が私のリュックに戻って来る。
みんなが募金するみたいに並んで、少年の持つリュックに全部の持ち物が集まった。
「これは確かに、拾ったんだな?もう他に落ちてるのを見た奴は居ないか?」
周囲がザワザワしている。少年に掴まれた腕が痛い。
「信じるぞ」
それだけ言って、少年は犬の描かれた板を地面に叩きつけた。
反動で板が浮き上がり、そのまま空中に固定される。
「来い」
少年は私を捕んだまま板に乗った。
板は魔法のじゅうたんみたいに空を飛ぶ。
えっ何これ?何この乗り物??
異世界産の不思議な乗り物を見て、さっき殴られた事も、泣き疲れて気力が無かった事も忘れた。
夢の空飛ぶ乗り物に夢中になって、観察と考察をする。
「お前、何処から来た?」
「日本……」
この板、どういう原理で動いてるんだろう。揺れを全く感じ無い。
空に飛んでるというよりも、空に地面があるみたいになめらかに滑っている気がする。
操縦方法は体重移動。空気抵抗も感じず安全なフライトが楽しめる。
こんな事、魔法か超凄い科学でしかありえない!
ここが死後の世界だというなら、天国かもしれない。
「お前、嘘吐いてないよな?ニホンとか聞いた事ねぇぞ」
地獄の番犬なのに、日本をご存知でない……?
当たり前の日本をどう説明しようか迷っていると、
「すみませーん!犬のフライング・ボードの方、少し止まってください!」
声変わりを迎えていない少年の様な、曖昧な声が空まで響く。
わ、人の心にまでよく通る声!ウィーンの少年合唱団に入団して欲しい!
身長が高くて体格もしっかりしてるから、肺活量がありそう。どんな歌を歌わせようかな…。
「って、なる訳ねーだろっ!!!」
ボーッと自分の考えに沈んでいたら、強い風が吹いて、誰かの腕の中に居た。
驚いて現実の景色が目に映る。
「本当に真剣です」
ありきたりな展開に、思わず見惚れてしまった。私を抱きしめているのは、正義感の強そうなイケメン。
マスクを外した少年は、言動含めて王子様だったのだ。
美、早く描かないと……!
こんな100億ドルの名画に勝る逸材を、記録に残さずに放置するなんて狂気の沙汰だ。
あたたかな腕の中からソッと解放されて、一緒にお辞儀をさせられる。
少年、謝っている。私の代わりに。
なんで?
私が毒虎一家さんに迷惑をかけた事と、この人は何の関係も無い。
こんな事をしてくれる人は、親か先生しかいないと思っていた。
美しさと知らない人の親切に困惑しながら、慌てて
「申し訳ありません」
という言葉を絞り出す。
泣いたり驚いたりで喉が限界を迎えており、ちゃんとした声が出なかった。
私を捕まえて事務所に連れて行くはずだった少年は、飛ぶ板に乗って流星の速さで消えてしまう。
正直、このまま犬の少年に連れて行かれるのは怖かったのでホッとした。
「もう大丈夫だ」
体温の残る赤いジャージが、私を包むようにかけられる。
「きっと何とかなるよ。一緒に帰ろう」
『帰ろう』という言葉に大きな違和感を感じて、何かを言おうとした。
それよりも大きくて優しい何かで、喉がグッと狭くなる。
「…………っ。」
少年に握られた手の体温から、優しさというお湯を注ぎ込まれた様に感じた。
凍えて硬くなった体が、ゆるやかに溶かされていく。
「怖かったよな……」
その言葉で何かが救われた気がした。
_____
長いテーブルには、私を値踏みする様に観察する少年少女達がいる。
負けられない。
私はこの人と絶対に家族になる。てか、寄生する!
帰る家はいくつあったって良いじゃない?
のぞみは先程の『乳首絆創膏事件』ですっかり持ち前の図太さを思い出せた。
シルバー君と同じく、イケメンと絆創膏は、のぞみに生きる活力を与えてくれた。
ここからはずっと私のターンである。
「今回の議題は『マキハラ・ノゾミさんを家族に入れるかどうか』です」
【スマパラメモ】
スマイリー向日葵パラダイスは、主に7人の未成年だけが集まる組織であり、
廃工場を根城にしている。
黒金と血が繋がっているのは双子の妹のヒナのみ。
残りの白夜、手鑑が幼馴染で
ボムまでが初期メンバー。
アチョーはボムに誘われ、仲間入り。
ハチは白夜に飼われる事で、仲間に入った。