第6夜 黒金
やっぱり、この女の子が道中聞こえた毒虎一家に忍び込んだ泥棒か。
それで、彼が7番街の狂犬。
赤毛の少年がフライング・ボードの高度を下げて俺の目の前に立った。
「見ての通り仕事中だ。早く話せ」
「とても失礼な事を承知で、お願いがあります。その女の子を、俺に引き渡してくれませんか?」
「ぁあんっ?!いきなり何言ってんだよ」
狂犬さんに胸倉を掴まれた。ハチから借りたジャージは伸びない様に、黒いTシャツだけ掴ませる。
「コイツ渡して俺らに得があんのかよ?コッチは事務所に侵入られて、ボスのに…。商売道具まで盗まれてんだ。面子の問題でも無理だ。慈善活動なら他を当たれ」
申し訳ない。狂犬さんの意見はごもっともだ。しかし、こちらも退けない。
「あなた方は、その女の子を連れ帰ったら酷い目に遭わせてしまいますね…?」
「情報吐かせて殺す」
「殺さないで欲しいんです。痛い目にも遭わせないで下さい」
「……水神様の教会の人間か?コイツ以外の捕虜なら、積む物次第で解放してやっても良いぜ」
残念ながら、教会の人間じゃない。
狂犬さんにも仕事があるのに、申し訳ない。
彼女を連れて帰らなければ、きっとファミリーでの信用を無くしてしまうだろう。
「今の全財産です」
股間に手を突っ込んで財布を取り出す。
「お前、なんて所から金出してんだよ!?」
「もっこりしてても、スラれないので……」
生温かい財布を狂犬さんに差し出す。
「おま、お、おま、お前え!!!良い加減にしろよ!ウチのファミリーおちょくってんのか?」
「毒虎一家と敵対する気はありません!俺は至って真面目です!俺の目を見て下さい!!」
「な、なんて真っ直ぐな目なんだ……!」
俺の近所でも評判の真っ直ぐな瞳を見て、狂犬さんがハッとする。
「って、なる訳ねーだろっ!!!」
狂犬さんが吠えた。
強い風が吹く。
俺は急いで、ハチから借りたジャージとマスクを空に投げて避難させた。
不可視の牙が体中を噛み、血が出てくる。
俺達のやり取りを盗み見ていた人達が、悲鳴を上げた。気の弱い御婦人方が気絶してしまう。
ここで初めて、少女が俺の方を見た。
「本当に真剣です」
せめてもの誠意として狂犬さんの攻撃を受けて、全財産を財布ごと渡す。
「この子も、盗んだ物は返して罰も受けました。女の子が体中傷だらけになって、顔にアザまで作っているんです。謝罪も、俺がしましたし…この子も反省してると思います。許して下さい」
女の子の肩を抱いて、一緒に頭を下げた。狂犬さんの反応は無い。
「黒髪、黒目、浅黒い肌。脳を溶かす美声に全身黒づくめの誰もが見惚れるほどの美丈夫……!」
空に避難させていたジャージとマスクをキャッチした。 狂犬さんは震えながら何かを考えている。
顔も赤い。
怒ってる?いや……興奮している?
「そうか、この事件は8番街の仕業だったんだな!!」
「違います!違います!」
8番街の所為にされては困る。というか、何で俺が8番街の人間だってバレたんだ。
全身から傷まみれで血が出ていたので、ハチから借りたジャージは女の子に被せてあげる。
「こんだけの情報量を持った美丈夫がお前以外に居るかよ!!お前はどう考えたって、スマイリー向日葵パラダイスのボス、黒金だ!!」
「今回の事とスマパラは何の関係も無いです!」
「嘘だ!早速、8番が戦争を仕掛けに来やがった!早くお嬢に報告しねーと!!」
狂犬さんは大慌てでフライング・ボードを地面に叩き付け、その勢いで毒虎一家の元まで飛んで行ってしまった。
普通のフライング・ボードと違って、かなり速い。
「とんでもない誤解をされた……。シロに怒られる…!」
早く帰ってシロに報告しなきゃだ。
女の子の手を握って、安心させるように微笑む。
「もう大丈夫だ。きっと何とかなるよ。一緒に帰ろう」
「…………っ。」
まだ喋れないか。
女の子の手は冷たかった。指先に血が通っていない。
手首に巻かれた痛そうな縄を千切り、ボサボサの髪を手櫛で整える。
「怖かったよな……」
不安も痛みも出さない少女は、Tシャツを握る事で俺に頼る意思を見せてくれた。
怖くない様にそっと背中に乗せて、8番街に戻る。
ゆっくり。ゆっくり。
ゆりかごを揺らす様なリズムで、森の中を歩く。
何処から来た誰なのか、分からないけど、連れて帰ろう。
誰かが迎えに来るかもしれないし、家族はもう居ないのかもしれない。
どんな子かも分からない。
ただ、この子が辛い目に遭って泣き果てて、何も喋れなくなった事だけは分かる。
こんないきなり現れた俺の他に、アテが無いのなら。それは、とても寂しいから。
「そのジャージを貸してくれた子は、とっても気が効く良い子なんだ。ハチって言って、犬みたいにシロに懐いてる」
「シロは、俺の幼馴染なんだ。ずっとずっと大親友。夜みたいに、とっても綺麗だよ」
女の子が『夜』という単語にピクリと反応した。言っちゃいけないワードだったかもしれない。
「俺には、双子の妹がいるんだ。日向って名前でみんなはヒナって呼んでる。ヒヨコのヒナみたいに黄色い頭で、寝癖がぴょんぴょんしてると凄い鳥っぽい。言動はちょっと馬鹿だけど、他人を傷付ける事は言わない。優しい妹だ。きっと仲良くなれるよ」
森を抜けて、ようやく赤い線を抜けた。
俺達の8番街に帰ってこれた。
「俺のファミリーは、上から落ちてきた奴ばっかなんだ。ぶっちゃけ言うと情報が無い奴がいる。それでも良いか?」
返事は無い。
「寄せ集めで血の繋がりはないけど、家族なんだ。増えたり減ったりするし、親は俺とシロ。子供でも働かなきゃ駄目だし、カゲとも戦う時もある。普通の家じゃないけど、来て欲しい」
「ずずっ……」
鼻水をすする音がした。背中に顔を押し付けられる。
「家族になろう」
彼女が頷くのを感じられる。小さく、何回も頷いている。
「良かった。嬉しい!」
「うぅ〜〜〜……!」
背中が温かく濡れてきた。
ゆっくり。ゆっくり。
彼女が泣き止むまで、ゆりかごを揺らす様なリズムで遠回りをした。
【ヒナのお勉強コーナー】
影の国にある108の街は、それぞれ非公認の組織に治められている。
黒金がボスを勤める『スマイリー向日葵パラダイス』は8番街を取り仕切る組織。
構成員は全て未成年であり、ほとんどが光の国から落ちてきた人間である。