第4夜 道連れおじさん、喰われる
【自分を殺そうとした相手に武器を渡す】
それだけを聞くと正気の沙汰とは思えないだろう。
しかし、この非常事態やおじさんの様子を考えるに、大丈夫なんじゃないかと思っている。
あのおじさんは根っからの人殺しではなさそうだし、後悔もしていた。1回自殺をして冷静になったはず。
協力をした方がお互い生存率は上がるだろう。
おじさんが今も赤い線の上を歩いている事を願って、早歩きで移動する。
もう空は暗い。
宙に浮く巨大歯車の周りを飛んでいた飛行船は消えて、街灯のない道が黒く染まっていく。
ビーーーーーーーーヒュンッ
初日と同じ様に、風が破裂して抜ける音がした。
大きな音にビクリとして、空を見上げる。
ビーーービーービービーービーービービビーーー
昨日の夜と同じく、連続する空気音。
筒状の物体が音を立てながら打ち上げられている。
「明らかに不吉な音……」
鞄から拳銃を取り出して、胸元で握り締める。
現代の日本人はほとんど握らないだろう鉄の塊を持って、緊張で吐きそうになった。
たぶん、安全装置を外して引き金を引けば使える。
パンッパンッパンッ
何処かで空の花火が打ち上がる。
この音を、昨日は音だけの花火だと思っていたけど、本当は銃声だったのかもしれない。という事は、誰かが戦っているという事。
合流するべきかどうか。相手は友好的なのか?
私が他の人と合流したら、同郷のおじさんはどうなるんだろう。
悩んだ結果、合流しない事にした。
銃声から遠ざかる様に、川沿いを歩く。
人間と共に行動したい。生きたい。この世界についての情報を手っ取り早く知りたい。1人になりたくない。
それでも、誤射されては堪らないし、合流するなら昼の方が印象が良さそうだ。
それに、銃で攻撃をするという事はソコに敵対する何かが居るという事。素人の私がノコノコ現れたら危険だ。
私には、一晩ガタガタの夜を生き抜いた実績もある。
「これが安全装置……かな?」
白い石に囲まれた噴水に座って、銃の出っ張った部分をソッと動かしてみる。
ここは床が反射する分、辺りより明るいから安全に銃を観察出来ると思ったけど……。
銃には数字も説明も書かれていなかった。凹凸の加減を見ても……うん。そりゃそうか。
「せめて順番が書かれてたら、ここを動かした後にパーンッてするのが分かったのに」
やっぱ素人が使う物じゃ無いな。
「あの……」
「ぴぇっ!?!?!」
突然、背後から声を掛けられて跳び上がった。
カシャーーー
と滑る銃を拾って、声の主に向ける。
「あー!あぁー!!あぁぁーーー!!」
お前!お前、おじさん!
私をビビらせた張本人が、申し訳なさそうな顔でハンズアップする。
「ごめんなさい。その……謝っても良いですか?」
おじさんは邪気の無い表情のまま、私から一歩離れた。
「タオルと水筒……。ありがとうございます。君…ですよね?」
怯える私を気遣って優しい声を出すおじさんを見て、何も言えずに固まっていた。
「本当の本当にありがとうございます」
おじさんが深々と頭を下げた。
その顔は駅で見た時と違う、澄んで誠実そうな表情をしていた。
年上のお兄さんの目から、ボロボロと涙がこぼれる。
「ごめんなさい…。本当にごめんなさい。申し訳ない…です!!」
「…………。」
「君は俺を救ってくれたのに………俺、お、ずずっ私は君を殺した。電車に……」
やっぱり、この人は私を道連れに死のうとしたんだ。
「こんなに優しい……人を…。ごめんなさい。優しい人に謝って、ごめんなさい。でも…でも…俺……本当に嬉しぐで…。君に救われたって……!」
謝った姿勢のまま、お兄さんは小さく丸くなっていく。
どうすれば良いんだろう。
心から反省して謝ってる人を責める気にはなれない。
かと言って、直ぐに許したら私も相手も気不味い。この人は罰を受けたがってるから。
「ちょっとコッチ来て下さい」
私は銃を握ったまま、年上のお兄さんを噴水のへりに座らせた。
「じっとしてなさい」
彼の肩からタオルを取って、噴水の水につけた。
ビチャビチャで冷たいままのタオルを、お兄さんの顔に押し付ける。
「うぅっ……?」
「あなた、何歳ですか?家族は居るんですか?」
タオルをビチャッと引き剥がし、また水につけた。
「長谷川 澄人……。現在、無職の29歳です」
「長谷川さんですね」
なんだか職質みたいな答えが返ってくる。
「家族は……妻と子供は半年前に交通事故で………死にました。でも、山梨の田舎の方に両親が居ます。こんな俺を見捨てない良い両親です」
長谷川さんが悲しそうな顔をしてから、ちょっぴり微笑んだ。それからまた悲しそうな顔に戻ってしまう。
ぅっ……。間を埋める為の質問がとんでもない事になった。
「君にも、君にも愛する家族が居たのに…うぅ〜〜!!」
「ぎゃー!せっかく拭いてるのに泣かないで下さい!!」
急いでタオルを水に付けて、長谷川さんの顔に押し付ける。
「ごめんなさい…!君にも君の家族にも申し訳ない!!」
お母さん……。
長谷川さんの言葉で、今更押し込めていた感情が胸を締め付ける。
「黙って!ちょっと頭を冷やして下さい!」
こちらは被害者で立場が上なので、長谷川さんの顔を雑に噴水に突っ込んだ。
座った体勢で頭だけ噴水に突っ込まれて、長谷川さんの手足がアワアワする。
そろそろ良いかな?って所で水面から引き上げた。
「ゲホッゲホッ!!ずびっ!」
やっぱり後頭部が薄い長谷川さんが、激しく咳き込んで鼻をかむ。
「いきなり謝られても、許す許さないの次元じゃ無いんですよ」
何度も濡らしたタオルを、長谷川さんの手に押し付けた。
「今、私達は地獄にいるのか天国にいるのかも分かりません。ここが何にせよ、この変な状況で私が頼れるのは貴方しかいません!貴方も!私しかいません!」
お互い、お互いが必要というのが現状だ。台詞が恥ずかしいけど。
長谷川さんは私の言葉をよく噛んで、飲み込んだ。
「はい」
「私の名前は牧原 のぞみ。日本美術大学のデジタル美術専攻です。家族は3人。母、父、姉。祖父母は九州にいます」
「日本美術大学ですか……」
長谷川さんの顔が少しほころぶ。
「俺と妻も同じ学部の卒業生なんです」
「マジっすか!!」
デジタル美術専攻は最近出来た学部だから、初期の卒業生かもしれない。その卒業生同士が結婚したなんて、青春臭くて推せる。急に親近感が湧いてきた。
「こんな所で後輩に出会えるなんて嬉しいなぁ〜」
「私もです!」
良かった。長谷川さんに、余裕が戻ってきた。
「本当にすみません」
「もう謝らないで下さい。貴方の誠意は、これからの行動で判断します」
「はい。絶対に何とかして元の世界に帰って、牧原さんを家族に会わせます!それが俺の赦される時です!」
そんな難しい事まで要求するつもりは無かったけど……。
拳を握り締め、やる気のある長谷川さんを見るとこの場だけでも信じてあげたくなった。
やわらかい気持ちで微笑んで、小指を差し出す。
「約束ですよ」
ぎこちなく差し出された指と指を絡めて、縦に振った。大事な事なので、指切りげんまん。
「指切りなんて子供の時以来です。息子がちゃんと生まれてたら……こんな事もたくさんしたのかな」
長谷川さんの泣いて赤くなった目が、うるんでキラキラと光る。
その光を遮るように、2人の上に影がさす。
「よっ」
シャランッ
突如、空から落ちて来た黒い塊が地面に当たって粉々に砕けた。
馬の形をしたカゲは粉々になり、空に消えていく。
音もなく消えた巨塊に唖然とする2人を見つけて真っ白な少年がニコリと微笑んだ。
「恥ずかしいとこ、見られちゃった?」
ズキューーーーーンッ!!!
音にするなら、そんな音が、のぞみの脳内で鳴った。
巨塊が地面に衝突する寸前、離脱した少年。彼は重力が無いような軽さでこちらに歩いてくる。
彼が動く度に、耳に飾られた豪奢な金細工がシャラシャラと音を立てていた。
透明感のある白い肌、白い髪、好奇心旺盛な銀色の瞳に、黒から灰色のグラデーションがかかった角。
「こんばんは」
繊細そうな見た目に反する低い声。
「うっ!」
のぞみは心臓を掴んで後ずさった。
「大丈夫ですか!」
長谷川が慌てた様に、のぞみと少年の間に割って入る。
「……大丈夫じゃないです」
のぞみは膝から崩れ落ちたまま、声を絞り出した。
それはもう大丈夫じゃなかった。大丈夫じゃないちゅうの大丈夫じゃないだった。
超タイプ!!!!私の好みを的確に捉えていらっしゃる!!
シルバー君は性格で沼ったけど、この方も逸材過ぎる。
のぞみは異世界で運命の恋を見つけたかもしれなかった。
作画コストの高そうな服装、可愛い顔して低い声、悪戯っ子な微笑み。全てツボ過ぎた。
「ごめん、借ります!」
のぞみの異常なリアクションを見て、これは不味いぞ!と判断した長谷川はのぞみから銃を奪い、安全装置を解除した。
「動くな」
「分かった」
長谷川に銃を向けられた少年はピタリと足を止める。少年が素直に応じると思っていなかった長谷川は、拍子抜けした。
この少年が降って来た瞬間を長谷川はシッカリ見ていた。
少年は大きな化け物を脱ぐ様に飛び出し、音も立てず地面に着地した。
「よっ」
と軽い掛け声と共に。
その異様な姿も、尋常じゃない動作も、只者ならぬ気配も、全てが目の前の少年は人間で無いと教えてくれる。
「怖がらないで。俺は良い子だよ」
少年は警戒する俺を見て、悲しそうに眉を下げた。
これは長谷川の個人的な意見だが、自称 良い子にロクな奴はいない。
「長谷川さん…」
俺の背後にいる牧原さんが、不安そうな声で袖を引く。
「大丈夫」
俺なんかじゃ安心させてあげられないと思うけど、恩人を守る為に1歩足を前に出した。
正確に撃つ為に足を開いて、標準を固定する為に手を支える。
人生で銃を撃ったのは、1度だけ。
ゲーム開発の為にアメリカで体験したのが1回だ。
「すぅ……」
息を止めて、体の震えを止める。
集中。
ゴトッ
あ、落とした。
銃が重い音を立てて、足元に落ちた。ドッと体中の体温が上がって、背中がチクチクする。
こんな時に何で銃を落としたんだ?不味いぞ。早く拾わないと。いや、そもそも撃てたか分からない。でも、銃を拾え。急げ。あぁ、でも相手が明らかに化け物でも、形は人間なんだから直前で躊躇した可能性がある。そもそも、この少年を撃って何になるのだろう。大切な恩人を守る為に出来る事は……
一瞬の思考する時間が何倍にも引き伸ばされる感覚がする。
「腕…?」
腕が無い。腕が無い?
「大丈夫。ちゃんと味はしないよ!」
腕が無い…。腕?腕?腕が無い??
視線を上げると、人の良い顔で少年が親指を立てている。
「凄い情報量だね。手を使う仕事をしてたでしょ?尊敬するなぁ〜」
何の痛みもなく腕が消えた。
肩から伸びる黒いモヤが、少年に巻き取られ消えていく。
それと一緒に、自分の情報が抜かれていくのが分かった。
血みたいに情報が消えていく。それが分かる。
気が付いた頃には、上半身は消えていた。
もうそろそろ全身が喰われて消えるだろう。
俺は死ぬ。これが当然の罰か。それとも救いか。
「約束を守れず、すみません」
姿は無いのに、呆然とした表情でへたりこむ牧原さんが見える。
謝ってばかりで困らせてばかりだな…。
結局守れないし、何の役にも立たなかった。自分が情けない。
あれ?でも、何を守らなきゃいけないんだっけ。
最後の情報も少年の手に巻き取られてしまった。
「お腹いっぱい…。ごちそうさまでした。こんな御馳走は初めてだったよ」
少年の真っ赤に熟れた舌が唇をペロリと舐める。
黒いモヤになった長谷川さんは、服すら残さず消えてしまった。
1発も撃たれなかった銃が、ただ転がっている。
少年がのぞみの目の前に立った。腰が抜けて力が入らない。
スッと少年がのぞみと視線を合わせる様にしゃがんだ。
少年は困った様な笑顔を浮かべて、のぞみの頭に手を乗せる。
その手の人間と変わらない温かさに、のぞみは少年が良い人なのかもしれないと思った。
「残念だけど、これ以上は食べてあげれない。ごめんね」
無邪気な少年の瞳には、現実感の無い死が渦巻いていた。
「ひゅっ」
のぞみの喉が恐怖で啼く。
淑やかな指が頬を滑り、のぞみの顔を少年と同じ方向に向けた。
「白い光だ。綺麗だね。もう朝が来るよ」
建物の隙間から、白い光が射し込んでくる。
暗かった夜が嘘みたいに、綺麗な朝だった。
「っ………。」
訳も分からず涙が出るほど、朝日は眩しかった。ふと気付くと、少年は自分から離れており日陰の下に立っていた。
その瞳は、子供らしい純粋さと老人の様な穏やかさでキラキラ輝いていた。
少年が気持ち良さそうに手を広げると、その周りでだけ風が吹く。
少年の耳飾りが光を反射して、シャラシャラと回転する。
「極夜で会おう」
何も無かったかの様に日は昇って、少年の姿は消えた。
【のぞみメモ】
極夜とは、白夜の対義語である。
極圏において、冬至をはさみ日の登らない期間をさす。
つまり、終わらない夜の事。