いつまでも、あると思うな、パンと髪
鏡を覗き込んだ澄人は、自分の姿に仰天した。
「な、なんこれ!?」
鏡の中には冴えないオッサンはおらず、そこには千夏と出会う前のイケイケの自分がいた。
美大に入ったばっかの俺は、自称芸術家として随分ヤンチャをしたっけ……。へへっ。
モヤシを卒業しようとして焼いた肌も、オシャレのつもりで開けてた舌ピアスも懐かしい!
ピアスは無いけど、触ると穴の感覚がある。
まぁ、これは置いておいて、問題は頭だ。
俺が国宝級に大事にしていた頭髪がなくなっている。
ツルッパゲでイケイケの兄ちゃんが、鏡を見て口を開けていた。
自分が頬をつねると、鏡の中の人間も頬をつねる。
変顔をすると、変顔をする。
キメ顔をすると、そこそこ凛々しい表情になった。
もしも若い頃の自分に戻れたら、脱色しないって決めてたのに……!
「髪が無い!!」
震える指は頭皮を掠めるだけだった。
ハゲはギャグの1つとしてポピュラーなものだが、ハゲる事は恐怖だ。
若い頃にはあって、ほとんどの人が持っているものが日に日に失われていく。
今、笑ってる奴は、この恐ろしさを知って欲しい。
これが妻のコネで転生したなら、若くする代償に髪の毛を奪わなくても良いじゃないか。
俺を若返らせる事に比べれば、髪をフサフサにする事なんて、50円引きクーポンレベルだろ?!
俺はハッとして、自分のズボンの中身を確認した。
ナニとは言わないが、息子は無事だった。
「カゲ……君?カゲ君が、俺の髪の毛を食べちゃったのかな?」
カゲ君の機嫌を損ねないように、なるべく優しい声で話しかける。
「ん」
カゲ君はお腹が膨れたのか、ウトウトしていた。
俺の情報を”食べた”というならば、消化する前に吐き出す事は出来ないだろうか。
「カゲ君!カゲ君?」
「むにゃむにゃ……」
寝ないでー!
窓から来るポカポカした陽射しで、カゲ君は眠りについてしまった。
その顔は俺の髪の毛を奪った悪魔と思えぬほどに、あどけない子供のようだ。
「ウチのが申し訳ありません」
「いえ」
初対面の印象は悪かったけれど、あの三人の中でこの人が1番、まともそうだ。
ドS青年の手のひらに城のようなホログラムが現れた。
スマホと同じようにスッスと操作して、どこかの部屋にカゲ君が転送される。
この世界には、魔法のような技術が、たくさんあるみたいだ。
いや、ここがゲームの世界ならば魔法もあるかもしれない。
自分が若くなった事を考えると、カゲ君は髪など物理的なもの以外に、人の時間など抽象的なものも食べられるのだろう。
だとすると、髪の毛以外の何かを食べられている可能性もある。
例えば、才能。あとは、記憶とか。
妻や家族、元の世界や友人の事は思い出せる。
記憶は食われてないのかもしれない。
(無いものは思い出せず、気付いていないだけの可能性もある)
この力を病気や怪我などの治療に使えれば、たくさんの人が笑顔になるぞ!
しかし、怪我や病気が不味かったり感染るものだとすると、カゲ君が大変だ。
保護者のドS青年に目を向けると、
「せめて、最高級のカツラを用意いたします」
と言って謝られた。
「それはありがたいです」
こういう時は見栄を張らずに、頭を下げる。
「あの、これって……」
「消化した情報は戻りません。カゲがもう吐けないと言っていたので、そういう事です」
「そ、うですか。ありがとうございます」
もう少し質問をしても良いだろうか。
他に聞きたいことがたくさんある。
目が覚めたらゲーム世界にいて、謎の空間で妻に会えたと思ったらさよならをして、自分は若返って髪を失って……。
「あの、トイレって借りられますか」
ドS青年はフンッと鼻で笑った。
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長谷川さんが人間の尊厳を失っている一方……
光の国の出国手続きを済ませた女が、薄明の7番街経由で影の国の8番街へ向かっていた。
真っ白な床と7角形の天井。
真っ白で全てが狂いそうになる空間の中で、距離感を保たせる為に立てられた7角形の柱。
「影の国へお戻りの方には、記憶消去を行わせていただきます」
頭から爪先まで、白い布に覆われた嘴のある人間が、影の国へ入国する前の人間に7角形の注射針を刺す。
光の国の情報を不正に持ち帰らせない為に、影の国の人間は記憶消去の術を受けて元の場所へ堕とされる。
私が今並んでいる列は、2年の兵役から帰る人間の列。
影の国で能力を持つ者は、権力を持つ人間など一部の例外を除き徴兵される。
「お次の方どうぞ」
私の前に立っていた男が、注射を打たれてからフラフラとエレベーターに押し込まれた。
「ん」
私は光の国の王の印が付いた勅令書を、嘴の人間に見せた。
「あぁ、お疲れ様です。これは酷い命令だ……。8番街の華衣凪様ですね。能力は、両手で触れたものを消滅させる。ほぅほぅ。何か身分を証明する物はお持ちでしょうか?」
コイツ、よく光の国の王が公認してる命令を「酷い」って言ったわね。
「これで良い?」
私は左手にはめていた手袋を口で外して、両手で相手の服を掴んでやった。
白いローブは砂になり、その砂が地面に落ちる頃には消えていく。
カシャンッカシャッカシャッカシャッ
自分を収納していたものが消えて、大量の注射器が地面に転がった。
「ぁ、ぁわわ…」
真っ白な空間に溶け込む真っ白い肌に、場違いなほど真っ赤なブラジャーが目に焼き付く。
ローブの下には何も来ていなかったのか、下着姿の女性が注射器を拾った。
黒い短髪を耳にかけて、女性は注射器の埃を払う。
「ばっちぃな」
「ご、ごめんなさい!」
もぅ!私ったら、何やってんのよ!
まさか相手が女の人だとは思わなかったので、軽い気持ちで服を消してしまった。
落とした注射器も、私のせいで使えなくなったかもしれない。
自分の上着を、急いで女性にかける。
「おや。これは……あったかいですね」
彼女がくつくつと笑うと、嘴の形をしたマスクがペコペコ凹む。
どこからか現れた嘴の仲間が、彼女に新しいローブを渡してくれた。
「本人確認が取れたので、お通り下さい」
「本当にすみません!」
「ごめんなさいの方が好きなのですが……」
「ごめんなさい!」
「冗談だ」
下着の上からローブを羽織った女性がクスリと笑う。
私の馬鹿!お馬鹿!
敵地のような場所で恥をかいて、本当に情けない。
既にぎゅうぎゅうのエレベーターに荷物と一緒に滑り込むと、重量が規定の量に達したようでランプが光った。
エレベーターのドアが振動しながら閉まる。
私に裸にされた女性が蛇のようにくにゃりと腰を曲げた。
「次は打たせてくださいね」
絶対に嫌よ!
相手の言葉には気付かなかったフリをして、私はぎゅうっと目を閉じた。
目をぎゅっとした事で、目の端っこから水分が出てくる。
チーンッ
エレベーターは大きく揺れて、遥か地下へと降り始めた。
意識が混濁して「うーうー」呻く人間に潰されながらも、お昼ご飯に買っておいたパンに齧り付く。
ガタンッ
エレベーターが揺れるたびに、扉に胸を押しつぶされて、オデコを何かに打ち付けた。
なんて惨めなの。
「ぐずっ……」
「ぁああーーー、ぁ、ぁ、あはっ」
何と喋ってんのよ。
「うぅっ……」
誰かが漏らしたのか、ツーンとしたアンモニア臭が鼻を刺激した。
「ぐすっ……ひっく……」
このくらいじゃ負けない。
誰かの荷物が膝裏にぶつかった。
私は悪い女になるのよ!
天井から何か垂れてきた。
「ひぐっ」
私は何があっても、黒金ちゃんを騙してでも、光の国に連れて行くの!
「ぁ」
最後の一口が胸と壁の隙間に消えていった。
パンの入っていた袋を握ったまま、固まる。
「うぅ……ぐすっ」
こんな私、死んじゃいたい。
【薄明とは】
光の国と影の国の間にある土地。
何処の国にも属さず、神の教えに従い世界の秩序を保つ。
7つの街からなり、7柱の神に祈りを捧げる。
街は1番街から7番街まで、階段状にあります。




