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一口の幸福-チーズクッキー-



夕暮れが紅く空を染めていた。

山の上から見下ろす景色は何も遮るものがなく美しく街を照らし、オレンジ色になった街にはチラホラとライトを点灯した車が家路へと帰っている様子が小さく見える。


「寒っ…」

北風がユウトの顔に容赦なく当たった。

───たまにはここからの景色を見てみようなんて柄にもねぇ事したからだな。くそっ。


エンジンを点けっぱなしにした車に戻り暖をとる。

僅かの距離を移動し、店の前に車を停めると荷物の入った大きめのボストンバッグとクーラーBOXを肩に掛け車の扉をバタンと閉めた。

店の前に立つとチーズの焼ける芳ばしい香りが漂っていた。

───いい仕事すんじゃねぇか


ニヤっと笑い、ユウトは店の扉を開けた。



───チリンチリン


チーズの香りがより濃くなった店内に入るとユウトはドサリとボストンバッグを投げ置き、クーラーBOXはテーブルの横に置くと蓋を開け中からビールを取りだすと、呼び鈴の音を聞いた店主が厨房から出てきた。


「いらっしゃいませ!遅くなってしまってすみませ……なんだ君か」


ユウトの姿を見て接客様の顔を崩した店主は、テーブルに置かれたビールを見て苦笑した。

「今日は泊まり?」

「そうじゃねぇと酒なんて買って来ねぇだろ。さっさとツマミ持って来い。こないだの貸しを回収しに来たんだ俺は」


貸しとは恐らくあのダックワーズの彼を送ってくれた時のことだろう。

店主は、横柄な態度を取る友人に「はいはい」と軽く返事をして、厨房に戻った。


暫くするとチーズ形のクッキーが乗せられたお皿と水の入ったコップが目の前に置かれた。

「この匂いの正体はコイツか」

ユウトが早速手に取ろうとした瞬間、スッとお皿が引かれた。

「なんだよ」

眉間に皺を寄せ、不機嫌な顔を隠すことなく店主を睨み返すユウトに店主はまた苦笑しながら説明した。


「今これ試作中なんだ。最後のスパイスどっちにしようか悩んでるから意見聞かせてよ。こっちがブラックペッパーで、こっちが七味…はい、食べていいよ」

「こんな時くらい何も考えずに食わせろよ。今日はお前に迷惑かけてやろうと思って来たっつーのに」


そう言いつつもこの乱暴そうな友人が、味見をしてきちんと意見をくれることを店主は知っている。

急に来たことに驚きはしたが、同時にラッキーと思ったのだ。


ユウトはまず、ブラックペッパーのクッキーに手を伸ばし口に入れた。

サクサクとした食感が心地よく、焼けたチーズの香りが鼻から抜ける。

粗挽きのブラックペッパーが口の中で砕かれるとピリっとした辛味が舌を刺激し、チーズの香りとブラックペッパーの香りが再び鼻から抜けた。


テーブルに置かれた水を一口飲むと、何も言わずにユウトは七味の方に手を伸ばした。


サク──と音をたててクッキーが口の中で崩れていく。

先程と同じようにチーズの芳ばしい香りが口いっぱいに広がると今度は黒胡麻がプチンと弾け、後から唐辛子の辛味が追いかけるようにユウトの舌に刺激を残した。


「どっちも美味い。でも俺はブラックペッパーだな。チーズをちゃんと引き立ててる。七味も良いが最後に唐辛子が勝っちまうな。ブラックペッパーは最後までチーズが残って香り高い」


きっちり感想を述べたユウトに満足した店主は、缶ビールに手を伸ばしプシュっと缶の蓋を開けた。

「ありがとう。やっぱりユウトはそっちかなって思った。はい」


満足気に笑う友人を睨みながらも手を伸ばし缶ビールを受け取ったユウトの眉間には深く皺をが刻まれている。

「なんだよそれ。まぁどっちもツマミには丁度良いから許してやる」



「「乾杯」」



ゴク…ゴク…ゴク───


喉を炭酸が刺激してチーズクッキーが奪っていった口内の水分をビールが潤してくるのが心地良い。

ユウトはブラックペッパーのチーズクッキーに手を伸ばし一瞬で口の中に入れ込み数回噛むとビールで流し込んだ。


「プハァっ。これ、あとなんのスパイス使ってんだ?」

「あぁ、これ?ちょっと待ってて」


店主は席を立つと厨房に向かい、スパイスの入った瓶を持って戻ってきた。


「これだよ、はい」

瓶をユウトに手渡し店主はビールを一口飲んだ。


「黒瀬のスパイス?見たことねぇな…ってかお前、いつ街に降りたんだよ」

「ちょっと前にね。少しだけだけど両親の顔も少し見てきたよ。その帰りに寄ったんだ。母さんが美味しいって言ってたから気になってね。実際使ってみたら何にでも合うから、今日試してたんだ」


店主はニッと笑うとビールを一気に飲み干した。


「…ったく。降りてきたんなら言えよ。まぁ何もできることねぇけど。で、それ何処で売ってんだ?また使いそうなら仕入れてやってもいいぞ」


昔から変わらず、横暴に見えて実は誰よりも相手を気遣おうとする───この男のこうゆう所が店主は好きだ。

まぁ今回はこのクッキーが気に入ったというところも大きいのだろう。


「ありがとう。これ、街の市場の一番端っこにある唐揚げ屋さんのスパイスなんだ」

「市場の端っこ…あぁ、あの果物屋の斜め前のとこか。分かった…で、お前いつ頃戻るつもりなんだ?」


コトンとビール缶を机に置くとユウトはジロリと店主を睨んだ。


「いつ頃…まぁもう少しかかるだろうね。とにかくまだ先だよ。街に降りるってなったら店も閉めなきゃいけないしね」


店主が苦し紛れに答えるとユウトは「ハッ」と鼻で笑った。


「一体いつになったら俺はお前と街で飲めるんだよ。そん時にゃあ俺はジジィだな」


ユウトはビールをグイッと飲み干し、空き缶をグシャリと潰した。

すぐに2本目を開けるとまたゴクゴクとビールを流し込む。


「あとよーお前の姉貴達どうにかしろよ。会う度に『暖は元気か?まだ降りて来ねぇのか?』つってやかましいんだよ」


どうやら彼は不満がたっぷり溜まっているようだ。


───今夜は長丁場になりそうだな


そう思いながら苦笑した店主は「ツマミ持ってくるから待ってて」と言い残しユウトを置いて厨房へ戻った。


ツマミを持って戻るとユウトはボーっと外を眺めていた。


「お待たせ。はい、クリームチーズとガーリックトースト…好きでしょ?」

「おう…」


───お酒弱い癖に…


店主はふっと笑みを溢しながら真っ赤になった友人に皿を渡した。


「本当いつもありがとね」


店主がぽつりと言うとユウトは「あぁん?」とドスの利いた声で返事をしてきた。

「まぁ…お前等には借りがあるからな。お前がさっさと街に降りてきてくれりゃぁ終わるんだがな」

そう言うとユウトはまたジロリと店主を睨んだ。


「あー、もうかなり時間が経っちゃったよね。申し訳ないけどさ…もう少し付き合ってよ」


苦笑いでまた誤魔化す店主に対し、ユウトはまた「ハッ」と鼻で笑うと窓の外の雪を眺めるとぽつりと話し始めた。


「もうどれくらい彷徨ったかも分かんねぇ…お前等姉弟に会わなかったらまだ彷徨ってたかもな…こちとら覚悟は出来てんだ。好きなだけやりたい事やって降りて来いよ。だけどな…」


ユウトはビールを飲み干し缶を机にコトリと置くと暖の目を真っ直ぐに見つめた。


「こんなタイミングもう二度とねぇんだ。一回見送ってんだからさっさとしろよ。みんな待ってんだからな」


ユウトの顔は真っ赤になっていた。

それは酔いのせいなのか、それとも照れからなのか店主には分からなかったが店主はじんわりと心が暖められるような気分だった。


「ユウト、いつもありがとう」


そう言って微笑んだ店主の頬はほんのりとピンク色に染まっていた。


─────


翌朝、ユウトは店舗の二階にある店主の部屋のソファに寝そべり、二日酔いの頭痛に悩まされていた。

「あったま痛え…」

「そりゃお酒弱い癖に呑むからだよ」


店主はクスクスと笑いながら暖かいコンソメスープをユウトに差し出した。

あれからユウトはホットワインを一口呑むとすぐに寝落ちてしまったが、久しぶりに友人とゆっくり過ごした夜は店主にとっては有意義な時間だった。

店主は自分用に珈琲をコポコポとお湯を注いでいた。


「今日休みだよね?お昼は食べてく?」

「あ?あーそうだな昼飯食ってから帰るわ」


外はチラホラと雪が舞っていた。

「本腰入れて降り始める前に帰らねーとな」

コンソメスープを一口飲んだユウトはポツリと呟いた。

「今日はお店も休みかな…まぁとは言え厨房にはいるけど」

店主とユウトは窓の外で舞う雪を眺めていた。




激しく殴りつける吹雪が新たな客を連れてくることも知らずに…。














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