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夕方の部屋、幽霊の少女と


 七月の晴天の中、神崎貴生(かんざきたかお)はスマートフォンを片手に商店街を歩いていた。地図アプリは、目的地がすぐ近くであると示している。立ち止まりあたりを見回すと、ほどなくして目当ての店を見つけることができた。

「小野不動産」

店名に似合わずカフェのようにも見えるシンプルモダンな外観だが、入口には様々な物件情報が貼られている。それらを眺めるようにして店内を覗くと、一人の若い女性がPCで作業していた。

(……どうしたものだろう)

今日ここに来た目的を思い躊躇してしまうが、意を決して入店すると、女性は作業を止め貴生の様子を少しうかがってから応対する。

「いらっしゃいませ。申し訳ございませんが、そこにお掛けになって少々お待ち下さい」

女性は店の奥へ行くと、ほどなくしてガラス製のティーセットを持って戻ってきた。その間に店内を見回していたが、どうやら今いる店員は彼女一人だけのようだ。貴生に紅茶をすすめてから、女性は会話を始める。

「賃貸物件をお探しでしょうか。でしたら、まずご希望を伺いますが」

「すみません、アパートを借りたいとか、そういう話ではなくて」

貴生は自分の名前と近くの大学に通っていることを簡単に自己紹介してから続けた。

「その、僕のアパートの不動産屋さんに聞いたのですが、こちらにオノシノブさんという方はいますか?」

「……小野志乃歩(おのしのぶ)は私ですが、一体、どのようなご用件でしょう?」

やや不審げな表情になり再度尋ねてくる彼女に対し、一呼吸をおいて貴生は答えた。

「実は小野さんが裏で行っている、祓い屋のお仕事でご相談したいことがあります」


    ◇


 貴生が訪問の目的を答えると、志乃歩の態度は営業用のものから一変した。大きく息を吐き露骨に面倒くさい顔をすると、この店を紹介した不動産屋の名前を訊いてきた。貴生が答えると、志乃歩にはどうやら心当たりがあるようであり、また息を吐いては黙って何か思いあぐねる。やがて観念したかのように声を出した。

「今はちょうど客もいないし、休憩がてらに話だけは聞くわ」

そう言うと志乃歩は自分用の珈琲をいれに、再度その場を離れた。志乃歩の姿が見えなくなると、今度は貴生が静かにため息をつく。志乃歩の態度から快く思われていないのは確かだ。とはいえ、話を聞いてもらえることに安堵する。初対面の相手から「祓い屋の仕事で相談したい」なんて言われて、門前払いをしないほうがおかしい。そんなことを考えていると、マグカップと菓子皿を持って志乃歩が戻ってきた。

 個包装されたチョコを開けながら、志乃歩は先に自身について話をした。

「君、ええっと神崎君だっけ。君がここに来る前に何を聞いてきたのか知らないけど、私はお化け退治とかできる訳じゃないから。お祓いの作法も知らないしね。ただ――他の人と違って多少の霊感があるだけよ」

「しかし小野さんは心霊的な問題を解決したことが何度かあると、お聞きしましたが」

「確かにその類の相談を受けることもあるけど、特別なことをする訳じゃない。話を聞いてアドバイスをするだけ。ガッカリした?」

内心戸惑いつつも、貴生は首を横に振る。

「でも本当に期待しないでね。まあ、さっきも言ったとおりとりあえず話は聞くから、始めてくれるかな」

志乃歩に促されて貴生は小さく息を吸い

「僕が今借りているアパートなんですですが、その……新築にもかかわらず家の中に幽霊が出るんです」

そう切り出して、自身の体験を語り出した。


    ◇


 貴生はこの春から大学生となり、同時に親元から離れて一人暮らしを始めた。部屋探しで条件にこだわった結果、新居は大学から離れたものになったが、一人暮らしの生活環境としては申し分なかった。入学してすぐ新しい友人もでき、新生活は順調にスタートした。

「最初は何も問題なかったのですが、数日前から家にいると変な感じがするようになりました」

貴生はそこで一度、志乃歩のほうを見た。志乃歩は頬付きをして横を向き、先程まで作業していた机のあたりをずっと見ている。話を聞いていないのではと貴生は不安になるが、志乃歩が姿勢を変えずに一言「続けて」と発したため、話を再開する。

 大学から帰宅した夕方過ぎ、ネット動画を観て暇を潰しているとなぜか違和感がするようになり、そのうち部屋の中に何かがいるように思えてきた。何もいないとわかりつつ部屋の中を見回すが、当然何も見つからない。気味が悪いと思うものの、もともと心霊現象は信じていないこともあり、気にするだけ無駄だと結論づける。その日から家にいるとたびたび気配を感じたが、ただの思い込みだろうと自身に言い聞かせた。

 一週間ほどたった日の深夜、床に座って映画を観ていた。切なくも幸せな結末を迎え、画面がエンドロールに差し掛かった、丁度そのとき――

「今までにない強い気配がして、かすかに身体が重くなりました」

気配はすぐに消えてしまったものの、はっきりとした感覚があり、さすがに怖くなった。部屋から逃げ出したくなるが、近所に二十四時間営業のファミレスやネットカフェなどはなく、仕方なく部屋にいることにする。混乱はなかなか収まらず、当然眠ることもできない。やがて空が明るくなると、ようやく落ち着きを取り戻すことができた。今までと同様に気のせいだと思うことにし、少し早めの朝食をとり、午前の講義は休むことに決めて眠りについた。

 目が覚めると、予定してた起床時刻を大幅に過ぎ、既に夕方になっていた。昨晩の出来事を考えると予想外の熟睡で、目覚めたときも不思議と穏やかな気分であった。天井をしばらく眺めてから、顔を洗おうと体を起こす。


一人の少女が思い詰めた表情で貴生を見ていた。



    ◇


「その子が見えたのは、ほんの一瞬でした。錯覚や寝ぼけた可能性も考えましたけれど、どうしてもそうは思えませんでした。それが四日前の金曜日のことです」

そこまで話をすると、志乃歩は相変わらず横を向いたまま、質問してきた。

「君はその子を幽霊と捉えた。そのあとはどうしたたの?」

「すぐに家を飛び出して、とにかく一人でいたくなかったので街に出てその晩はネカフェに泊まりました。そのあと誰でもいいから相談したくて、週末に友人達と会うことにしました」

とはいえ自分の体験をそのまま伝える勇気はなく、会話の合間に「もしも部屋に幽霊がでたらどうするか」と冗談めかして話題に出した。「動画をネットにアップして儲ける」とか「勧誘の撃退に協力してもらう」といった反応があるなかで、一人が挙げた「事故物件であると管理会社に訴えて家賃交渉する」という意見が気になった。

「はじめに言いましたとおり、自分のアパートは新築で事故物件であるはずがないと思いました。ただ、僕が見た子は――顔はちらっとしか見てませんけれど知らない子でしたし、家の中でしか気配を感じませんでしたので、原因は部屋にあると思って。それで少しでもわかることがあればと、不動産屋さんへ話に行きました」

 月曜日にアパートを管理する不動産屋に行くと、五十歳程の男性の店長が対応してくれた。店長は思いの外に親身で、貴生の話を聞き終えると穏やかに話し始めた。まず不動産登記簿謄本を見せ築一年以内であることを示した上で貴生が最初の入居者であると説明し、次にアパートの周囲に自殺や殺人といった心理的瑕疵に該当するような事件は起きていないと言い、更にはその土地は代々続いている地主の農地を転用したもので祟りのような伝承もないと教えてくれた。

「新築の場合でも心霊現象の相談をしてくる人はいるんですよ。例えば、良くないモノが集まってくる、とかおっしゃりますね」

店長は優しく語ってくれたが、解決の糸口を見つけられず貴生は落胆した。その様子を見た店長は、祓い屋を裏稼業とする同業者がいると、貴生に志乃歩を紹介した。

 貴生がひととおり説明を終えても志乃歩は別の方向を見ていた。珈琲を飲み、ときおり目をつむる仕草をしては考えにふける。一、二分ほど経過したころ、志乃歩は体の向きを変え貴生の目をしっかりと見据えた。まっすぐに見つめられ思わず緊張する貴生をよそに問いかけてくる。

「繰り返すけど私ができるのはアドバイスだけ。霊を払ったりすることはできない。だから解決できるかは正直なところあなた次第。それでも構わない?」

再度の確認に貴生がうなずくと「ここから先は仕事になるから」と短く告げた。



 志乃歩はタブレットを取り出すと、貴生の住所をもとに調査を始めた。ニュースサイトの刑事事件記事や自治体が公開している交通事故の発生マップ、心霊スポットを語り合うコミュニティなど幅広く確認するが、二キロ離れた廃工場に幽霊目撃談があるだけでめぼしい内容は何もない。住所からの情報収集を打ち切ると、志乃歩は次に貴生個人について尋ねてきた。

「これから訊くことは、君の相談事には関係ないことに思えるかもしれないけど気にしないで。もちろん答えたくないことには、答えなくていいから」

そう前置きして始まった質問は確かに意図がわからないものばかりであった。生年月日や家族構成といった情報から地元の交友関係、さらには普段の生活の様子――朝起きてからら何時に家を出るか、大学にいるとき以外ではどのようにして過ごしているか、家にいる時間はどれくらいか、といった内容――にまで及んだ。ひとつひとつの問いに貴生は答え、志乃歩は都度メモを取った。


「長々とごめんね。でもあと少しだけだから」

断りを入れてから訊いてきた内容は、今までとは違い貴生が見た幽霊に関するものだった。

「他の誰かが家にいるときも気配を感じた?」

「それはなかったです。友人が来るのは偶にですが、そのときは何の気配もありませんでした」

「じゃあ、家以外ではどう?外にいるとき本当に(・・・)何かを見たり感じたりしていない?」

「……それもないです。家の外では特に何も起きてません」

貴生が答えると、しばし間を置いてから志乃歩は次の問いかけをした。

「これが最後の質問になると思うけど、君が見た幽霊の姿に特徴はあった?」

そのときのことを思い出し、少し考えたあと貴生は回答した。

「はっきりとは見えなかったのですが、どこかの学校の制服を着ていました」

志乃歩からの質問は確かにそれで以上であった。


    ◇


「今この場で訊きたいことはだいたい訊けたから、あとは――一応、君の家を見られればと思うんだけど」

そこで志乃歩は壁時計を確認した。時計の針は十七時を少し過ぎた所を指している。貴生がこの店に来たのが十五時半ごろであったから、既に一時間半近くも経過したことになる。

「ちょうど今の時間帯が都合がいいんだけど、今から見に行っても大丈夫?」

「僕は構いませんが、むしろお店はいいんですか?」

質問し返すと「今は繁忙期じゃないから、気にしないで」と志乃歩は出かける準備をした。

 貴生が通学などでこのあたりに来るときはバスを利用している、それは先程の意図不明な質問で答えたことでもあるのだが、店を出るとそのバス停へと向かった。歩いている間、二人はとりとめのない話をしていた。喋るのは主に志乃歩のほうで、くだけた口調で最近の紫外線の強さや近所のパン屋のラインナップについて喋っていたが、バス停に着くと「しばらく考え事をしたいから」と言い会話を止めた。バスが来て二人は並びの席に座る。志乃歩は変わらず黙ったまま窓側の席から景色を見続けた。そっと様子をうかがってみるが、単に夏の風景を楽しんでいるようにも見え、何を考えているのかは読み取れない。

 高校生たちの下校時間と重なり、バスは次第に混み始める。途中、一人の老婦人が乗ってきたので貴生は席を譲る。志乃歩が貴生のほうを見たのはそのときくらいであった。老婦人が下車し貴生が元の席に戻ると、ようやく志乃歩は口を開いた。

「このバス、普段からこれくらい混むの?大学との行き来、大変じゃない?」

「朝の通勤、通学の時間帯とか、夕方の今くらいのときはいつもこんな感じですね。でも、もう慣れました」

それだけ会話すると志乃歩はまた口を閉じ、バスを降りるまで一言も喋らなかった。


    ◇


 下車した道から脇に入り、五分ほど歩いた場所に貴生のアパートはあった。南向きの三階建てで各階に四部屋ずつある。貴生の部屋は最上階の一番西側にあった。貴生が部屋に案内すると志乃歩は軽く感嘆する。1Kロフト付きの室内はライトブルーとホワイトを基調にした清潔感のあるものになっている。ラック棚やチェストなどの家具はコンパクトに配置されており、部屋の中には十分な空間が確保されている。

「綺麗に片付けられていて偉いね。それにインテリアのセンスもいいよ。落ち着いて住める、私の好きなタイプの部屋ね」

貴生が出したグラス入りの麦茶を一口飲むと志乃歩はそう称賛した。それから面白がるような表情で「これならいつガールフレンドが来ても恥ずかしくないね」と茶化してくる。バス内とのギャップに戸惑いつつも「恋人はいないです」と貴生が答えると、志乃歩はさらにからかうような顔をする。

「オシャレにも気を使っているし、女の子の受け、いいと思うけどね」

部屋の片隅にある姿見を指してそんなことを言ったかと思うと「今の子は奥手なのか」と勝手に納得する。

 そんな会話をひとしきり続けたあと、部屋の南西に置かれたベッドを眺めて志乃歩は本題に入った。

「ちょうど今ごろの時間だよね、君が見たのは」

肯定してから訊いてみる。

「その……やっぱりいるんですか?」

やや間が空いてから返答が来る。

いるといえば、(・・・・・・)ずっといるんだけどね・・・・・・・・・・・

そして志乃歩は小野不動産でしたように貴生を見つめる。その目を見て、貴生は不意に高校のときの担任を思い出した。その教師は――以前はプロテスタントの学校にいて、牧師の役割も兼ねていたそうだが――生徒達からよく相談を受けていた。真摯に話を聞く教師の目は、生徒を優しく受け入れているようにも、教育者として厳格に指導しているようにもみえた。同じ眼差しで志乃歩が訊いてくる。


「そもそも君はどうしたいの」


「君は今、恐怖していない。初めは怖かったのかもしれないけれど、今はそうじゃない。ただ君は――困惑している」

諭すようにさらに続ける。

「だから君がどうしたいのか知りたい」

志乃歩は変わらず貴生の目を見続けている。まるでそこから心の中を覗きこんでいるように。いや、もしかしたらそれは比喩ではないのかもしれな

い。

 志乃歩に見つめられながら、貴生は少女のことを考える。一瞬だけ見えた思い悩んだ表情。なぜ見ず知らずの自分の前に現れて、そんな顔をする

のか。

 そして答える。

「多分僕は――彼女のことを知りたいんだと思います」


 夕日が差し込む部屋の中、二人はしばらくの間、黙っていた。貴生の位置からは逆光で志乃歩の表情は見えにくい。それでも貴生は志乃歩の言葉を待ち続けた。やがて志乃歩は静かに発した。

「君が見た幽霊ってさ、あの子で合ってる?」

言われて指された方向を見ると、姿見の中に少女が映っていた。鏡の中から黙ってこちらを見ている。その面差しは前と変わっていない。

 貴生が声を掛けようとしたとき、少女はまた消えてしまった。


    ◇


 そのあとも貴生は鏡を眺め続けていたが、少女が再び現れることはなかった。諦めて志乃歩のほうへと向き直ると「落ち着いた?」と心配してくる。

「まだ少し混乱していますけど大丈夫です。あとさっきの質問ですけど前に見たのも彼女です」

貴生が答えると志乃歩は安堵したようであった。

 部屋の中はすっかり暗くなっていた。貴生が照明を点けると「そろそろ帰るから、その前に少しだけ」と前置きをして志乃歩は告げてきた。

「こういうことは落とし所が大事なの。それを決めるためには時間がかかる。だから君はそのときが来るのをじっと待たなければならない。でも待っている間は普段どおりに過ごしていればいい」

貴生がうなずくのを見てまた告げた。

「何かあったらいつでも相談しに来て。明日は定休日だからいないけど、他の日はたいてい店にいるから。あと場合によっては、こちらから連絡するかもしれない」

またうなずくと最後に付け加えた。

「幽霊とはいえ女の子がいるんだから、気を使いなさいよ」

そう言い残すと貴生の見送りを断って志乃歩は帰っていった。



 志乃歩の助言を受け、貴生はそれまでと同じ生活をするように努めた。見えない少女に向かって話しかけてみようかと時折思うが、待つことに徹する。解決するときがいつか来ると信じて心を落ち着かせた。

 小野不動産を訪れてから三日後の昼過ぎ、貴生が大学にいると志乃歩から電話がかかってきた。今日また会えないかと言うので了承すると、十七時半にこの前のバス停で、とだけ伝えて志乃歩は電話を切った。

 約束の五分前に志乃歩はバス停に来た。貴生に「思いのほか元気そうで何より」と言うと、用件は切り出さずに雑談をする。今回はバスに乗ってからも会話を続けていたが、志乃歩が途中で「ここで降りるから」と言い、貴生の家よりだいぶ手前で二人は下車した。

 バスを降りてから道伝いに歩き出すと、志乃歩は霊を見る方法について唐突に説明を始めた。

「霊感の弱い人が霊を見る方法は色々あるの。一つは依代を使う方法ね」

「依代というと何かに霊を降ろすってことですか?」

貴生の問いかけに肯定して、さらに続ける。

「例えば写真が依代になるわね。いわゆる心霊写真ってやつ。カメラマンが霊能者でなくても、写真という媒介があれば比較的容易に霊を見ることができる。その他は――鏡ね」

「……この前、彼女が見えたのは姿見が依代になったから、ということですか?僕が普段使うときは何も映りませんけど」

「恥ずかしくて隠れていたのよ、きっと。でも君の部屋に鏡があったから、君が見たものと私が見たものが同じと確認できた。おかげでだいぶ手間が省けたよ」

少し歩いてから、また説明する。

「依代を使う以外なら時間帯を選ぶっていうやり方もある。丁度今、夕方というのは霊が見やすくなるの。あのアニメでも言ってたけど、黄昏時は此岸と彼岸が曖昧になる。君があの子を夕方に見たのはそのことも関係している。――でも、彼女にとって夕方というのはそれ以上に意味があった」

そこで志乃歩は立ち止まった。高校前のバス停だが、バスを待つ生徒は一人もいない。遠くのほうに部活帰りの女子生徒が見える。その制服は――


「あの子は部屋に憑いていたんじゃない」

それから呼びかける。

「ここまでお膳立てしたんだから、そろそろ出てきなさい」


志乃歩の声に応じて制服姿の少女は現れた。


    ◇


 しばしの間、二人と少女はその場にとどまっていたが、バスの利用者達の迷惑になるからと、近くの公園に移動した。砂場には子供達が遊んだ跡があるが今はもう誰もいない。貴生と少女がベンチに座ると、不動産屋は「用があるから」と先に帰ってしまった。

 長い沈黙のあとに少女は口を開いた。

「本っ当に、すみませんでした」

貴生が抱いていた印象よりも明るく、迷いのない声で少女は喋り始めた。


「あなたを初めて見たのは四月です。朝、バスで一緒に通学している友達が偶々あなたを見つけたんです。それで『あの人いいね』って、みんなでこっそり盛り上がってました。次の日には他の子は忘れちゃったみたいだけど、私はまた会えないかなって思ってました。でも、それっきりだったので、そのうち私も忘れちゃいました」


「次に会ったのは五月の下校のときです。その日は体調が悪くて、ぼーっとバスの中で立っていました。そしたら『席、どうぞ』って声を掛けてくれた人がいて、顔を見たらあなたでした。私、びっくりして、嬉しくて、きちんと返事もできませんでした。そして思ったんです。次会ったときは思い切って話しかけてみようって」


「――でも、そのあと私、死んじゃったです。自分が死んだときのことってよく知らないんですけど、日曜日にお買い物してたときの交通事故だったみたいです。だからあなたに会えたのはその二回だけです」


「気が付いたら、制服を着てさっきのバス停にいたんです。そこにいる理由はわからなかったけど、とりあえずそこにいたら止まったバスの中にあなたを見つけました。私、思わずバスに乗っちゃって、悪いことだとは思ったんですけど、ついて行っちゃったんです」

本当にごめんなさいと、少女はまた頭を下げる。

「私の一方通行でしたけど、一緒にいられることがとにかく嬉しくて。特に部屋で二人だけのときは『お家デートってこんな感じなかな』って思ってました。だからあの夜も隣にいたんですけど……近づきすぎて、ばれちゃいました」


「そのときのあなたの様子を見て、このままでは駄目なんだって気付きました。でもどうすればいいのかわからなくて、悩んで……不動産屋のお姉さんに相談しに行きました」

不動産屋は少女が来たことに驚かなかったという。

「お姉さんは私の話をちゃんと聞いてくれて『あなたが望むようにすればいいし、場合によっては手助けすることもできる』って言ってくれました。

それで決心がつきました」

少女は立ち上がり、正面から貴生の顔を見る。


「幽霊だけどあなたといられて楽しかったです。私、あなたに出会えて良かったです。本当に……ありがとうございました」


茜色の空の中、笑顔に涙を浮かべてそう言うと少女は名前も告げずに消えてしまった。


    ◇


 それから三日後の午後、貴生は再び小野不動産を訪ねた。貴生を見て志乃歩は軽口を叩く。

「やあ、色男クン。今日は何の用?」

照れ笑いを浮かべて先日の御礼に来た旨を伝えると、志乃歩は前と同じように貴生には紅茶を出し、自分には珈琲をいれた。

 貴生が持ってきたベイクドチーズケーキを味わいつつ、志乃歩が確認してくる。

「心配はしてなかったけど、御礼に来たってことは無事解決したってことよね。問題なくできた?」

「……多分、できたと思います。一方的に喋ってそのあと消えちゃったんで、正直なんとも言えないんですけど。きっと上手くいったんだと思ってます」

そして少女の最後の様子を伝えると

「キスぐらいするかと思ってたけど。やっぱり奥手ね」

と真面目な顔をして志乃歩は呟く。貴生は黙って笑うしかなかった。

 ケーキを食べ終えた志乃歩は「ごちそうさま」と言ってから何かを思い、少しばつの悪そうな表情をする。

「よくよく考えると私、君に感謝されるようなこと、何もしてないわね」

「そんなことありませんよ。ちゃんと僕にアドバイスしてくれたじゃないですか。それにあの子の相談にも乗ってくれたみたいだし。小野さんのお

かげです」

「――そっか。じゃあ、これは二人からの御礼ってことにするわ」

納得する志乃歩の言葉には不思議な優しさが感じられた。

 会話をしている間、志乃歩は今日もほとんど視線を合わせない。その仕草自体は単なる彼女の癖なのだろう。そう思いつつ貴生も同じ方向を見ると、PCのディスプイが部屋の光を反射し、室内の様子を映し出していた。

(もしかしたら彼女には最初からあの子が見えていたのか)

だが、そのことを確認しようとは思わなかった。

 改めて貴生は志乃歩のほうへ向き直る。今日ここに来た理由はもう一つあった。

「その、はじめに来たとき聞き忘れていた仕事料なんですけど、一体いくらになるんでしょう?もちろん時間をかけてでも、きちんとお支払いするつもりですが」

「ああ、そのことなら心配しないで。君、ここを教えてもらうのに紹介料取られたでしょ。学生が払えそうなギリギリの金額にするあたり、あの不動産屋もせこいというか、商魂たくましいというか。なんにせよ、それを寄越すように伝えてあるから。それで大丈夫」

志乃歩は答えると微笑みを見せた。


(了)


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