希望
「私の最初の願いは、ヘイゼルを弔って欲しい」
エセルは、ノクスの表情が変わらないことを知りながらも、強く訴えた。
「あの娘か。あの者の死体は、今頃、川に流されているか、獣の餌となっているだろう」
「それでもよ!彼女は、娼館で、私にとって唯一の『家族』だった。彼女は禁忌の森に入ることを恐れただけよ。貴方にとって塵でも、私にとっては、共に生き抜きたかった友人なの」
ノクスは長い沈黙の後、深い息を吐き出した。
「……よかろう。お前の清められた魂が、未だそのような感情を持つことを理解できぬが、番の最初の願いだ。あの女の死体をこの聖域に持ち込むことは許さぬが、我の力で弔いの光を与えてやろう」
最初の願いが許されたことで、エセルはわずかに勇気を得た。次に、最も切実な願いを告げる。
「ノクス、私は子供の頃から娼館で生きてきた。文字も読めず、世界のことも、まともに知らない」
「無知は罪ではない。我の知識はすべてお前に与えられる」
「そうじゃないのよ!」
エセルは首を振った。
「知識だけじゃない。私は、人としての繋がりが欲しい。貴方はいきなり『竜の妻』になれと言うけれど、私はたった16年しか生きていない、ただの人間よ」
ノクスの眉間に皺が寄り、威圧感が戻る。
「ありえない。お前は我の番だ。二度と、卑しき人間の群れに戻すわけにはいかぬ」
「戻るのではないわ」
エセルはさらに言葉に力を込めた。
「私は、まともな暮らし、普通の暮らしがどんなものかを知らない。文字を覚えたい。人の温かさを知りたい。その上で、貴方の『番』になりたいの」
エセルは、ノクスとの永い運命を真に受け入れるために、人間としての基礎が必要だと訴えた。
「お願い。貴方の力が及ぶ場所でいい。小さな村を探して欲しいの。そこでしばらく、普通のエセルとして過ごさせて欲しい。」
ノクスは、エセルの言葉を吟味するかのように、長い間沈黙した。
それは、愚かで危険な望みだ。
しかし、彼女の瞳の奥にある、真摯な熱意がノクスには伝わった。
「……よかろう」
ノクスは重い口を開いた。
「お前がそこまで望むならば、許そう。我の血を引く者、竜人が住まう地域であれば、我の力は常に届く。その中から、お前の願いを満たす場所を見つけ出してやろう」
ノクスは立ち上がった。漆黒の衣が静かに揺れる。
「ただし、条件がある。その村にいる間も、お前は我の厳重な監視下にある。そして、お前の願いが叶ったと、我の心で判断した時、お前は私と真の番となる。」
ノクスはエセルを見下ろした。
「場所の特定には時間がかかる。それまで、お前は我の傍で、番の教育を受ける。良いな、エセル?」
エセルは、その壮大で、危険な取引に、歓喜と緊張で全身を震わせた。




