13:仮面舞踏会の出会い
エルグランド王国の首都で最も華やかな時間、それは夜。
サヴォイ公爵邸で開催された仮面舞踏会の広間は、幾百もの燭台の光を浴びて乱舞し、喧騒が天井まで満ちていた。
その中心に立つのは、ノヴァだ。彼の装いは夜に映える純白の燕尾服。プラチナブロンドの短い髪はシャンデリアの光を浴びて氷のように輝き、その下に覗く紫色の瞳は、この広場を優雅に見定めていた。彼の高い身長と、グラスを持つしなやかな指先は、周囲の視線を一心に集めていた。仮面など意味をなしてはいなかった。
ノヴァは群衆の中、広間の壁際に立つイザベル・ド・ラ・ヴァリエール伯爵夫人に目を留めた。
ノヴァは、まるで彼女だけを特別視しているかのように、真っ直ぐに彼女の元へと歩み寄った。
「失礼、伯爵夫人。私はノヴァ・デ・ルクス伯爵と申します」
ノヴァは一礼すると、彼女の手を取り、その手の甲に唇を寄せた。
イザベルは、突然の優美な人物からの声かけに戸惑い、顔に熱が集まるのを感じた。
「あ…私は、イザベル・ド・ラ・ヴァリエール…ですが。なぜ、私のような者に…?」
ノヴァは、彼女の不安を打ち消すように、愛を囁くかのような声で言葉を紡いだ。
「なぜ?この広間の中で、貴方ほど美しい憂いを帯びた瞳を持つ方はいません。周囲の人間は、ただの光と音に酔いしれている。ですが、貴方の心は、この騒乱の中で真実の安らぎを求めているように見える。私は、その声を聞きたいのです」
ノヴァの言葉は、イザベルが夫から長らく与えられていなかった特別扱いと優しさに満ちていた。彼女の心は、美しき青年ノヴァの熱烈な誘いに、早くもときめきに支配され始めていた。
「ルクス伯爵…」
ノヴァは、彼女の手を優しく引き、噴水の水音だけが響く庭園の奥の小道へと誘った。
「この騒音では、貴方の美しい心の声を聞くことができません。少しだけ、沈黙の中で、貴方のお話を聞かせていただけませんか?」
ノヴァは、噴水の水音と薔薇の匂いに包まれたベンチに彼女を座らせた。彼女は目の前の青年にあるがままを話した。そして、自分に目を向けてくれるよう、無意識であるにしろ、意識的であるにしろ同情を誘うよう、哀れであり続けた。
「あなたのご主人はなんとも、酷いお方だ。軍の責務で多忙なのは理解できます。ですが、美しい貴方がこんなにも心を痛めているのに、気が付かないなんて。もしや、ご主人様の心に『不安』があるからではないですか?…例えば、軍の職務のことなど」
イザベルは、ノヴァの甘い眼差しに射抜かれ、初めて会った相手への警戒を失っていく。ノヴァの優しさ、そして彼が指摘した夫の焦燥という核心は、彼女の孤独を埋める薬となった。
「…お願いよ、伯爵様…私を助けて…。夫は、私を見てくれない。ただ、北の鉱山にある研究施設への事ばかり気にかけるの。明日にも強行したいと…言っていたわ」
ノヴァは、その唇をイザベルの唇に寄せ、愛と安堵に満ちた口付けを落とした。そして、その唇を離すか離さないかのうちに、記憶操作の魔法を、彼女の意識の奥深くに滑り込ませた。
「これで、貴方の心は安らぎを得る。今日のことは、すべて甘い夢として忘れて」
イザベルは、魔力の奔流に意識を奪われ、ノヴァの腕の中で倒れ込んだ。目的の情報は得られた。
ノヴァは、意識を失ったイザベルを抱き上げ、広間へと戻る小道を急いだ。
その時、四阿の陰で、ワイングラスを片手に静かにこちらを見ている人物がいた。
ノヴァの心臓が、ドクリと跳ね上がった。
その男性は、ノヴァと変わらないほどの高い身長を持ち、夜会服の上からでも、鍛えられているであろう体躯がはっきりと見て取れた。そして何よりも、彼の燃えるような赤い髪が、周囲の闇を無視して美しく輝いていた。仮面から覗く金色の瞳はノヴァを捉えていた。
男性は、一歩も動かずに静かにワインを呷り、ノヴァが通り過ぎる寸前、低く、熱を帯びた声で耳打ちした。
「伯爵殿。初めましてかな?随分と情熱的な夜をお過ごしのようだ。あまり積極的になると、あらぬ疑いをかけられますよ」
ノヴァは、その声に込められた警告と、それ以上の昂りを感じた。
(この魔力、この匂い、何なの…?)
しかし、今は任務遂行が最優先だ。ノヴァは冷静に感情を切り捨て、その場から一瞬で距離を取り、一礼するとその場を足早にはなれた。
彼は広間に近いテラスにイザベルをそっと横たわらせると、その場に残った甘い香水の匂いと、燃えるような魔力の残滓を、興奮と嫌悪が入り混じった複雑な表情で感じながら、急いで転移魔法を発動させた。
ノヴァが転移で辿り着いたのは、ファーンが待つ秘密の廃墟だった。
「ファーン!!…最高の情報が手に入ったわ!」
ファーンは、ノヴァの変化と、その身体に残る強い魔力の残滓に気付いたが、何も言わずに頷いた。
「ありがとうございます。では、アイゼン様に報告しなくては!ノヴァ殿忙しくなりますね!」
ノヴァは未だ激しく打ち鳴らす鼓動に、湧き上がる魔力の本流を抑え込む。
ファーンはその動揺に気がつきつつも、見て見ぬふりをすることにした。




