プライド
人型となった黒竜は、泉の縁で、ゆっくりと、己が身を包んでいた軽い衣を脱ぎ捨てた。
完璧な均衡をもって鍛え上げられた、鋼のような肉体が露わになる。その肌は漆黒の鱗を思わせるほど滑らかで、月光に濡れたように鈍く光っていた。全身から発せられる力強い気配は、竜の時と変わらず、しかし、より直接的にエセルの感覚を襲った。
黒竜は、そのまま迷いなく泉の中へと足を踏み入れた。
湯気が立ち上る水面の下で、彼の長い脚がエセルの傍へと近づいてくる。湯気が彼らの間の視線をわずかに遮るが、その距離は急速に縮まった。
エセルは、羞恥心と怒り、そして畏怖が入り混じった感情で、泉の中で向き合うこととなった。
「穢れた娘よ。湯に浸かり、身体を温めよ。その強情な身体は、冷え切っている」
「やめて!」
エセルは、湯気の中で顔を上げ、きっぱりと拒絶した。
「いつまでも、『穢れた娘』なんて呼ばないで!貴方は、私の生き方を何も知らないくせに!」
彼女は、娼婦として生きる中で耐え忍んできた侮蔑と、ヘイゼルを失った怒りを、この絶対的な存在にぶつけた。
「私は汚れてなどいないわ。身体を売ることは、生きるための商いよ。私たちのような弱い女が生き残る、唯一の方法だった!」
エセルの紫の瞳が、怒りに燃えていた。
「もし、貴方が私の運命の相手だというのなら、せめて私を名前で呼びなさい!私には、エセルという名前がある!」
黒竜は、エセルの激しい反論に対し、驚くほど静かだった。彼は、自身の身体をゆっくりと湯に沈め、その漆黒の長髪を水面に広げた。
「エセル、か」
彼の低い声が、初めて彼女の名前を呼んだ。
「そうか、お前には名がある。だが、その名が、お前の身体についた穢れを消すわけではない」
「……っ」
エセルは言葉に詰まった。
「それでも、今は逆らうな。その傷ついた身体を、これ以上疲弊させてどうする?浸かれ、エセル。湯は、お前の痛みを和らげる」
黒竜は優しく促すと、泉の中でエセルに近づいた。
黒竜は、エセルの拒絶にも関わらず、荒々しく掴むことはしなかった。彼は、湯に浮いたエセルの濡れた金髪を、そっと掬い上げた。髪には、まだ森の泥と、血の痕跡がわずかに絡みついている。
黒竜は、その泥に塗れた髪を、指先で優しく、丁寧にほぐしながら、静かに語り始めた。
「我は、お前が穢れを背負った過程には興味がない。だが、その穢れが、我が待った千年の時間を汚すことは許さぬ」
彼の指が、エセルの首筋に沿って滑る。エセルは、息を飲んだ。
「お前が求めるように、我はお前をエセルと呼ぼう。そして、エセル。お前が知るべき番の真実を教える」
黒竜の赤い瞳が、湯気の中でエセルを見つめた。
「番とは、ただ子を産むための道具ではない。竜にとって番とは、恋人であり、妻であり、そして、我が永遠の孤独を終わらせる光だ。我は、お前を誰よりも大切にする。お前は、この先、我の傍で、我の愛を知ることになる」
彼の言葉は、娼館で客が囁いた、耳障りな虚言とは全く違っていた。それは、絶対的な力を持つ者からの、逃れられない求愛であり、運命の宣告だった。
エセルは、その言葉に、胸の奥で、わずかに抗いがたい感情が湧き上がるのを感じた。
「……貴方の、名前は?」
エセルは、恐怖と混乱の中で、初めて、彼の存在そのものを問うた。




