終わりの始まり
シオンは、東の国で始まった異変の規模を肌で感じ、ノアの言葉の恐ろしさを痛感しながら、必死に村へ戻った。彼の心は、エセルへの愛と、ノアの絶対的な力への屈辱で張り裂けそうだった。
彼は、治癒院に直行した。
ガルドやアメティストが安堵の表情を見せる中、シオンはまっすぐノアを見据えた。
ノアは、庭のベンチで静かに座っており、シオンの帰還を予測していたかのように、一切の驚きを見せなかった。
シオンは、疲労でふらつきながらも、ノアの前に立ち、血と汗に濡れた掌を開いた。そこには、光を反射する銀製のリューゼン家の紋章が置かれていた。
「これだ。あんたの言った通り、山賊の背後には東の国のリューゼン家がいた。俺は、証拠を持ち帰ったぞ!」
シオンは、紋章を突きつけながら叫んだ。彼の達成感は、ノアの冷たい確信に打ち消される前の、最後の抵抗だった。
その時、治癒院の扉が開き、エセルが顔を出した。彼女の顔には、もう以前のような怯えはなく、ノアによって与えられた深い安寧が満ちていた。
エセルは、帰還したシオンを見て、安堵の表情を見せたが、その紋章や、シオンの旅の苦労には、ほとんど興味を示さなかった。
「シオン…無事でよかったわ」
エセルは、それだけ言うと、まっすぐノアに視線を移した。
エセルの心は、シオンの熱い努力ではなく、ノアの静かな存在によって支配されていた。シオンは、自分の命懸けの行動が、エセルには何の感情も与えていない事に絶望した。
ノアは、シオンが置いた紋章を一瞥し、そして再びシオンの顔を見据えた。
「ご苦労様でした、シオン殿。あなたの情報収集の役目は、これで完了です」
ノアは、紋章を拾い上げることすらせず、静かに言った。その声は、冷徹な世界の裁定者のものだった。
「その紋章は、既に過去の遺物。東の国のリューゼン家、及びその同盟貴族は、昨夜、全ての権威と富を失いました」
シオンは、その言葉に、息を飲むことしかできなかった。ガルドとアメティストは驚く事なくただシオンを見つめている。
「本当によくやりました。私の為、私の番たるエセルのため。」
ノアはそう言うと、手を前に突き出した。
何かと思う間も無く、そこには頭に角の生えた黒髪の男が立っていた。
「この姿はわずかしかもたぬ、エセル。迎えにきた、お前が我の名を叫び、呼んだ。それが答えだと我は理解した。」
エセルは立ち上がり、ノア、ノクスの元へと歩み寄った。エセルは、ノアの腕を両手で取り、安心したように彼の体にもたれかかった。
「やっぱり、そうだった。あなたの腕の中、ノアの腕の中。同じだわ」
ノクスは、エセルを抱きしめたまま、絶望に打ちひしがれるシオンに向かって、冷たく、そして決定的な最後の言葉を投げかけた。
「シオン殿。あなたは、人間として最善を尽くしました。しかし、エセルが求める安寧は、あなたの隣にはない。」
跪き頭を下げるアメティスト、ガルドにただシオンは驚く。
「すまない、自己紹介が遅れた。我が名は、ノクス。1000年の眠りから目覚め、番たるエセルを迎えにきた。全ての竜の主人にして、ドラゴニアに加護を与えし者。言うなれば、神か・・・・」
シオンはあまりのことに両膝をつき、ノクスに頭を下げた。
そうしなければいけない様な気がしたからだ。いや、そうしなければならないと血が訴えたからだ。




