愛ゆえに
夜、治癒院の奥の部屋。エセルは、山賊に襲われた夜の悪夢にうなされ、激しく身悶えていた。
「やめて、触らないで!離して…!」
エセルの悲鳴を聞き、隣室で夜間の見張り役をしていたアメティストが飛び込んできた。
同時に、治癒院の片隅で仮眠をとっていたノアも音もなく駆けつけた。
「嫌よ、やめてぇぇぇ、ノクス、ノクス!」
アメティストは、錯乱して暴れるエセルを抑えようと、優しく体を抱きしめた。
「大丈夫よ、エセル!」
その時、エセルの視界に、扉から入ってきたノアの大きな影が映った。エセルの意識は完全に錯乱しており、その影を山賊の男だと見間違えた。
「あああ!嫌だ!来ないで!助けて、ノクス」
エセルは、アメティストの腕を振りほどき、より激しく暴れ始めた。アメティストの力では、トラウマに駆られたエセルを押さえつけることはできなかった。
アメティストが苦戦する中、ノアは一歩前に出た。
ノアは、暴れるエセルを力でねじ伏せることなく、彼女の振り回される手を、優しく、しかし確かな力で包み込んだ。
彼の体温は、冷たいはずなのに、エセルの錯乱を鎮める絶対的な静謐さを帯びていた。
「大丈夫です。見てください、エセル殿。私はノアです」
ノアは、その場に屈み込み、エセルの暴れる手を握ったまま、落ち着いた、変わらない声で言い続けた。
「もう何も恐れることはありません。私はここにいます」
エセルは、その静かな声と、手に伝わる揺るぎない感触に、徐々に正気を取り戻した。彼女の混乱した瞳は、ノアの青い瞳と彼の姿を捉え、ようやく彼が山賊ではないことを認識した。
その瞬間、エセルの心の中で、あの夜の恐怖と、ノクスとの一夜で感じた安らぎが、ノアの存在へと結びついた。
エセルは、アメティストの手を振り払い、ノアの方へ身体を寄せた。
「ノア、あいつらがくるの、来るの!助けて!」
ノアは、エセルの懇願に対し、一言の躊躇もなく、強く、しかし慈愛に満ちた抱擁で彼女を包み込んだ。
その抱擁は、彼女の心の嵐を即座に鎮めた。
彼の腕の中は、彼女がこの世で最も安全だと感じられる場所だった。
アメティストは、その光景を部屋の隅で見つめ、全身が震えた。エセルが、村に来たばかりの男に究極の安寧を求めたという事実。
(もしかして、彼は・・・・)
アメティストは、ノアの静かで強い抱擁から発せられる圧倒的な支配力と、エセルへの個人的な執着を感じ取り、ノアがノクス本人か、あるいはノクスの意向を帯びたなにかであると確信し。
ノアは、エセルが完全に眠りについたことを確認すると、そっと布団に戻した。彼は、アメティストに一瞥を送り、無言で部屋を後にした。
アメティストは、ノアと対峙し問うた。
「ノクス様ですか?」
彼は静かに笑うと、静かに頷いた。
「アメティスト、我にやっと気がついたか、ああ、やっとだ。」
アメティストは急ぎ跪き、ノクスに進言した。
「ノクス様、あなたが居られながら何故、エセルがあの様なことに。何故ですか!」
「わからぬか?私はエセルが欲しいのだ。私に依存し、私なしでは居られないと、心から望んで欲しい。」
エセルの旅立ちの前、彼女の意思を尊重し送り出したノクスの姿はそこにはなかった。
これが彼の本来の姿なのか、それとも孤独と嫉妬が彼をこうしているのか。
アメティストはわからなかった。
ただ、エセルだけは、深い安らぎの中で眠り続ける。




