見える影
シオンは、怒りを原動力に、三日三晩、ほとんど眠らずに森を駆け回った。
彼の熱意は村人たちを動かし、残党狩りや警戒網の強化に大きな成果を上げた。
いくつかの隠れ家が潰され、村は一時的な安寧を取り戻しつつあった。
しかし、シオン自身は、極限まで疲弊していた。血と泥にまみれ、顔はこけ、目は虚ろだった。
彼は、倒れ込むように治癒院へと帰ってきた。
治癒院の廊下は、清潔に保たれていた。その廊下の隅で、ノアが座り、静かに薬草を整理している姿があった。ノアの姿は、血の一滴もついておらず、涼やかで完璧だった。
シオンの心に、激しい怒りがこみ上げた。
「くそっ!」
シオンは、ノアの前に立ち、荒い息を吐いた。
「あんたは、ここで座っているだけか。俺たちが命懸けで残党を狩っている間に!」
ノアは、手を止め、青い瞳でシオンを見上げた。その目には、疲労も感情も宿っていなかった。
「お疲れ様でした、シオン殿。あなたの熱意は評価します。残党の掃討は、村の治安回復に貢献しました。ですが、私は、私の役目を果たしているところです。」
「役目だと?あんたの役目とは、ここで座ってエセルの様子を窺うことか!」
シオンはノアの胸倉を掴みかけた。
ノアは、掴みかかる寸前でシオンの腕を静かに払いのけた。
その動作は、力強いが無駄な動きが一切なく、シオンの疲労した体では、到底敵わないことを示していた。
「エセル殿に必要なのは、安息と休養。二度と危険に晒されない、揺るぎない安全です。私は、彼女が安心して療養できるよう、環境を整えることが役目だと認識しています。」
ノアは立ち上がり、シオンの耳元に、追い打ちをかけるような言葉を囁いた。
「シオン殿。あなたが森で相手にしているのは、単なる村の山賊ではない」
シオンは警戒した。
「何の話だ?」
「彼らの背後には、東の国の貴族がいます。リルカ殿の誘拐を依頼した者たちです。あなたは、小物を狩っている間に、本命の脅威を見逃している」
ノアは、具体的な証拠を見せずに、その事実だけを告げた。
シオンの顔色が変わった。ノアの言葉は、あまりにも唐突で、信じがたかった。
「貴族…?何を根拠にそんなデマを!あんたの嘘だろう!」
ノアは、再び静かに笑った。
「嘘だと思うなら、ご自由に。しかし、私が今すぐ村から姿を消せば、この村の安全は保障されないでしょう。あなたは、あなたの方法で村を守りなさい。私は、私の方法で、エセル殿の安全を心を守ります。」
ノアの言葉は、シオンの熱い心と無力感を完璧に突き刺した。
エセルへの想い、ノアへの嫉妬、そして村の安全を脅かす見えない脅威。シオンは、これまでにないほどの窮地に立たされた。




