教えて欲しい
エセルが街の時計塔の裏にたどり着いたとき、時計の鐘が深夜を告げた。
そこは人通りがなく、石造りの壁が冷たい影を落としていた。
ほどなくして、件の男が姿を現した。彼はエセルを見るなり、下卑た笑みを浮かべ、性急に彼女の体を求めてきた。
「よく来たな、エセル。ああ、お前の肌は気持ちがいい」
男の腕が、乱暴にエセルの体をまさぐる。
エセルは抵抗しなかった。彼女の心は、ノクスの抽象的な「愛」への不安と、この肉体の繋がりから得られる一時の安心感との間で、完全に麻痺していた。
男は、エセルが抵抗しないことに気を良くし、彼女の下半身へと手を伸ばす。
エセルの肌に触れる男の熱は、ノクスの冷たい指先とは正反対の、現実的で、確かな熱だった。
彼女は、この熱に身を委ねれば、一晩だけでも、ノクスとの運命から逃れられると、そう錯覚した。
男がエセルを乱暴に壁に押しやる。
乱暴に、それでもいつもの様に男はエセルを楽しもうと、その胸に吸いつこうと手を伸ばす。
その時、時計塔の裏の路地全体が、突如として紫色の光に包まれた。
「エセル!」
アメティストの声が、冷たく響いた。彼女はフードを被ったまま、路地の入口に立っていた。
その後ろには、ガルドが静かに仁王立ちしている。
男は驚愕し、エセルから飛び退いた。
「な、なんだお前たちは!?」
アメティストは、一歩も動かずに、その紫色の瞳で男を一瞥した。
エセルは、アメティストの顔を見た。彼女は怒っているわけではない。ただ、深い失望の色を浮かべていた。
「ガルド、あちらの男は頼みます。殺す必要はありませんが、口を閉ざす必要があります」
ガルドは無言で頷き、まるでクマが獲物を追うように、男にゆっくりと近づいた。男の悲鳴は、ガルドの分厚い手に簡単に飲み込まれた。
アメティストは、光の中、衣が乱れたままのエセルに向き合った。
「エセル、あなたは……なぜここまで、抗おうとするのですか」
アメティストの口調は、就寝前の様な砕けたものではなく、聖域の厳格な侍女のものに戻っていた。
エセルは、その失望の瞳に射抜かれ、初めて羞恥を感じ、慌てて着衣を直した。
「ノクスが、私を求めないからよ!愛だの理性だの言って、私を放っておく。私は、金と熱のない繋がりなんて、信じられないのよ!私はそれしか知らないの。」
アメティストは静かに、散らばった小銭を見つめた。
「ノクス様があなたを求めないのは、あなたが自らの意志で彼を選ぶことを待っているからです。彼は、あなたの魂を求めている。なのにあなたは、自らの肉体の安息と過去の残滓に逃げた」
エセルにはこんな安い金額でとアメティストの声が聞こえた気がした。
アメティストは、ローブの下から手を伸ばし、エセルの顎をそっと持ち上げた。
「私たち竜は、魂の繋がりこそが全て。あなたは、ノクス様の千年の孤独を、この一晩の安息と引き換えにしたのですか?」
アメティストの言葉は、氷のように冷たかったが、その瞳には、ノクスへの忠誠と、エセルへの痛みが混じっていた。
「貴女が今、この場で欲望に身を委ねていたら、ノクス様の理性は崩壊し、ノクス様の力が暴走していたかもしれない。この世の全ての命が、危険に晒されたのですよ」
アメティストの真剣な表情にエセルは、理解した。ノクスの力の重さと、自分の行動の恐ろしさを改めて考え、全身から血の気が引いた。
彼女の目の前で、ガルドが男を完全に沈黙させたのを見て、エセルはただ、震えることしかできなかった。




