旅立ち
翌朝、夜明け前の薄明かりの中、エセルは旅装を整えた。
ノクスは、見送りどころか、一言の言葉もなかった。
エセルは唇を噛みしめた。
個室の前に、アメティストと、彼女の番であるガルドが待っていた。
ガルドは、熊のように体躯は大きいが、その表情には人を惹きつける明るさがあった。彼は早速、エセルの荷物を片手で軽々と持ち上げた。
「ノクス様は……」
エセルが尋ねると、アメティストは優しく微笑み、首を横に振った。
「王は、聖域を離れる我々を、見送ることはありません。」
ひっそりと、三人は神殿の裏から、外界へ通じる結界の裂け目へと向かった。
聖域の結界を抜けると、早朝の森の冷たい湿気が肌を刺した。三人は人目を避けるように森の中を進み始めた。
道中、アメティストが隣を歩くガルドに視線を送った。
「ガルド。エセル様にご挨拶を」
ガルドは、大きな身体を揺らし、親しげな笑みをエセルに向けた。
「おう!俺はガルド。元傭兵で、アメティストの番だ。アンタがノクス様の番ってことは、この聖域の姫様ってことだな!こんなべっぴんさんの護衛とは、こいつは道中も楽しくなりそうだ!」
彼の言葉は陽気で、場を和ませる明るい空気があった。エセルは、彼の飾らない態度に、警戒心が一瞬緩むのを感じた。
「よろしくね、ガルド。私の名前はエセルよ」
エセルは少し砕けた口調で返した。
「沢山頼ってくれよ、番様。」
ガルドは、少しわざとらしくおどけた調子で言った。
「『番様』なんて呼ばなくていいわ。これから村で暮らすんでしょう?私は人間としての生活を学ぶのよ。あなたたちも、あまりよそよそしいのはやめてくれない?」
エセルは、アメティストに向き直った。
「特にアメティスト。あなたは言葉遣いが丁寧すぎるわ。村でそんな風に話したら、すぐに貴族か何かだと怪しまれる。もう少し、普通の話し方を覚えてくれない?」
アメティストは、その要求に驚く様子もなく、むしろ面白そうに笑った。
「承知いたしました、エセル様。いえ……わかったわ、エセル。あなたが望むなら、私も村の流儀に倣いましょう。私の口調が、あなたの『人間としての日常』を壊しては意味がないものね」
アメティストは、早速口調を改め、エセルに寄り添った。
「でも、ノクス様の前では、元の口調に戻す必要があるわ。王は、厳格な礼節を重んじるから」
ガルドは明るく笑いながら言った。
「そりゃそうだ!王様の前でベラベラ喋ったら、俺なんか一瞬で燃やされちまう!」
エセルは頷いた。ノクスのいる聖域と、彼らのいない外界のルールは、すでに明確に分断されていた。
三人は、深い森を抜け、竜人の多く住まう地域がある東の国境を目指して、歩みを進めていった。




