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お代は猫でお願いします  作者: 蔵前
二 旧知と窮地の者が集い
9/71

俺の隊は最低の場所だった

「どうしたの。」


 俺が彼らの後を付いて居間に入ると、居間は野戦病院の有様であった。

 居間のちゃぶ台は折りたたまれて片付けられ、ちゃぶ台のあった所に古い毛布が敷かれている。

 そしてそこに、見覚えがあるようなないような、小太りの大柄な男が転がっているのだ。


 酷い暴行を受けたと見られるその男は血まみれで仰向けになっており、俺に目線を寄越すと「ひっ。」と小さく叫び声をあげた。


「あ、かじ君だったのか。元気だった?」


 過去の記憶のなかにおいて頼りなげな痩せぎすだった男は、目の前で小太りに膨らんで当時の面影など殆んど無かったが、なぜか彼は俺を見ると小さく悲鳴を上げるのが癖で、それで梶徹かじとおるだと気づいたのだ。


「隊長、この血塗れの梶君の様子で、元気はないでしょうよ。」


 田辺が眉根を顰めて俺を非難するので、俺は再び梶の状態を見回した。


「死ぬほどの怪我じゃないし、大丈夫でしょ。それよりもどうして伊藤の所に運ばなかったの?呼んだら往診もするでしょ、高いけれど。」


 俺が口にした伊藤廉太郎いとうれんたろうとは、矢張り俺の隊の隊員の一人で、隊の中では一番の年長者であった男だ。

 ごま塩のような白髪交じりの坊主頭に、キリンのような顔の現在四十一歳になる伊藤は、我が家の近所に整形外科の診療所を開いている。


 しかしながら、伊藤は腕がい良い医者であるのに、近所の人間が彼の診療所に来る気配がない。

 伊藤の診療所にいくと、骨折だった患者が棺桶で出てくることになる、という噂が近所でまことしやかに囁かれているのである。

 それは、裏社会で「人に言えない大怪我は伊藤整形外科に行け。」と囁かれ、れっきとしたもぐり診療所となっているからであろうか。


 さて、俺の隊と言っても、俺を含めて六人という小隊だ。

 そこに医師免許持ちの軍医が混ざっている理由は、俺の隊が衛生兵だったわけではなく、純粋に伊藤が俺の隊に流されてきただけだ。


 伊藤が本隊から離れ小島の前線の俺の隊に流された理由が、くだらない理由過ぎて哀れの一言だ。

 ただでさえ医者の数が少なく、本土では必死に医者を育てていた時代であったというのに。


 だが、彼が俺の隊にいてくれたことにより、彼の腕で命を繋げられた隊員は多く、俺は彼を幸運の一つだと神に感謝したものだった。


「廉ちゃんは梶の様子を一目だけ見て、嫌だって怒って帰っちゃいましたよ。」


 ふぅと田辺が溜息をついた。

 伊藤は診療拒否をそれほどしない。

 病人怪我人、救いを求める人間全てを治療するから、彼はもぐり診療医者に身を落とすことになったのだ。


「ああ、これは嫌かも。」


 俺の心の疑問に答えたのは豆狸だった。

 小枝子はいつの間にか屈んで梶の傷の具合を診察していたのだ。

 さすが医者だと彼女を見直した。

 田辺は小枝子の鞄をそっと居間の隅に置くと、彼女の側に寄り腰をかがめた。


「どうしてですか?藤枝さん?」


 くるっと田辺に向き合うと、小枝子は肩を竦めて簡単に言い放った。


「この人糖尿病でしょ。重度の。だから怪我の割りに血がなかなか止まらないの。」


 俺は膨らんでしまった加瀬に呆れながら呟いた。


「梶、君は何をやっているの。」


「すんません隊長。オレは帰国して腹いっぺい食べてぇと飲食店を経営していたら、こんなになったんだれ、です。」


 梶は俺の隊に配属された時は、骸骨のようなガリガリの青年だったのだ。

 よくも兵役検査に受かったものだと驚く田辺と俺に、彼はおどおどと説明し始めた。


「オレの家は小作農でありまして、次男三男はメシが抜きが多いんですわ。そんで、役場の人が兵隊になった方が食べれるって、志願しろ言うっけ。そんで、えっと、痩せていますが体は頑丈であります!」


 語りながら彼は毎日必ず飯にありつけるここから家に帰りたくないと泣いた。

 田辺が後で本隊の人事に聞いた所では、梶は臆病過ぎて使えないと俺の所に流されたのだという話であった。


 痩せているが、奴は上背があるから、小さなお前らの砲弾避けにはなるだろうと。

 梶の背は大きいと言っても一七五センチ程度であり、伊藤くらいである。

 また、百八十を超す大男は俺の隊に既にいた。


 相手の言葉は、一七一センチの俺と、一六五センチの田辺を、ピンポイントに馬鹿にしたものである。


 それほど俺達は小さ過ぎはしないが、なぜか小さいとからかわれる事が多かった。

 そして人事のそいつは田辺の閻魔帳に記入されただろうと、俺は当時背筋を走る悪寒と共に確信していた。


 田辺は怖いのだ。


「如何されます?坊ちゃん。」


「特性がわかっている方が使い易いからいいよ。」


 そうして俺の隊員になった彼だが、物資の届きにくい前線でありながら数ヵ月後には来た時よりもふっくらとしたことに、俺も田辺も涙を流したものだったと思い出す。

 ついでに彼の食への意地汚さも思い出し、あの頃のように彼に怒鳴ってしまったのだ。


「お前はいっつも際限がないからだろうが!」

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