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お代は猫でお願いします  作者: 蔵前
一 妻を取り戻すためのお題あり
6/71

藤枝家の一郎

 俺を出迎えた藤枝は娘の方だった。

 藤枝條之助ふじえだじょうのすけ娘小枝子さえこである。

 彼女は二十七歳の幸次郎の二つ上の二十九歳のはずだ。


 つまり俺と同い年。


 狸のような愛嬌のある丸顔で小柄な彼女を目にして人が考える職業は、保育園か小学校の先生だが、その小さな可愛い外見にかかわらず病院で医師をしてヤクザをも怒鳴り散らしている。

 しかしそれだけではなく、藤枝家が学校経営もしていることからか、彼女は幼い子供にも我慢強く診察をする優しい女医だと評判だ。


 俺は彼女が婚約者であったならば、出兵前に彼女と結婚していたのかもしれないと時々考える。

 彼女と結婚をしていたら、彼女に全てを任せられると、怠け者の俺はあっさり死んでしまったかもしれないが。


「一郎にサヨを任せたくないなぁ。」


「開口一番がそれですか。それよりも小枝さえは病院行かなくていいの?とうとう患者を殺しちゃった?誤診じゃなくて殴り殺し。」


 座布団が飛んできた。


「お茶が零れるでしょ。」


「零れたら一郎が拭けば良いでしょ。」


 俺はアハハと懐かしいやり取りに声をあげて笑い、ゴロっと客間に寝転んだ。

 畳からイグサのいい香りが立ち上り、ほっと心を落ち着ける。

 藤枝家は政治家の後援会長ができるだけあって裕福な家だ。

 数寄屋造りの大きな家の中庭には富士山に刈られた垣根が見える。

 五歳だった当時の自分がその家の子になりたいと望んだほど、藤枝家は居心地の良い家でもあるのだ。


「この家はいいよねぇ。」


「分解魔は嫌だよ。それでね、あたし、総合病院を首にされて無職なんだ。」


 俺は慌てて上体を起こし、小枝子の顔をまじまじと見つめた。

 彼女は俺に見つめられても嫌な顔もせずにおどけた目で見返しだけだ。

 大きな丸い黒縁眼鏡の中で彼女の大きな瞳は煌めいている。


「どうして。君は腕も評判もいい先生でしょ。」


 小枝子は人差し指で俺に来いと示し、俺は素直に彼女に体を向けた。


「病院のくせにハンセン病に関わった医師は要らないって言いやがってね。それもサヨはさ、患者じゃなくて看病していただけでしょ。病院の事務長殴っちゃったのよ。」


 俺は最後の言葉に腹から笑った。


「さすが小枝だよ。見事!君は本当にいい女だよね。俺は婚約させられた時は小枝じゃなかったと落ち込んだものだよ。」


「じゃあ、その時にそう言えば良かったじゃない。」


 俺は初めて聞いた小枝子の声に驚いて上を見上げた。

 横ではなく上だ。

 憤った声を上げながら彼女は立ち上がって、なんと言うこと、ポロポロと両目から涙まで流しているのだ。


「え、どうした。」


「一郎は美人が好きなんでしょう。あたしはチンチクリンで。不細工で。あの花嫁も凄い美女だったよね。」


 俺は慌てて立ち上がり、取り出したハンカチで彼女の涙を簡単にふき取ると、そのハンカチを彼女に握らせてその手を覆うようにギュッと掴んだ。


「小枝子が不細工なんて一度も思った事ないよ。君は小柄で可愛いって、俺は君が大好きだったのだからね。」


 小枝子は手を振りほどき、わぁっと大きく泣き出すと、今度は俺が初めて見た子供のような姿でしゃがみ込んだ。


「嘘吐き!美佐子が幸次郎と結婚していてもあたしを迎えに来なかったじゃない!」


「君こそ、俺に一度も会いに来なかったじゃないか!親父達が俺の結婚相手を探し回っている時に、外見がボロボロの俺には全く名乗りも上げなかっただろ!口ではどうとでも言う癖に、この外見を誰も受け入れないじゃないか!」


 俺がこの町に来る度辛いのは、町の人間が戦前と戦後で俺への対応が変わっていることを何度も思い知らされるからだと、その怒りを幼馴染の、それも女性に向けてしまっていた。


 俺は顔に二箇所、右側の頬と額に皮が剥がれた凍傷の痕が残っている。

 右手の指は薬指と小指が第二関節から先がない。

 幸次郎のような美形ではなくなったのだ。

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