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お代は猫でお願いします  作者: 蔵前
一 妻を取り戻すためのお題あり
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お母様

 女中は探しても逃げられる一方であるので、ついに俺は実母に頼ることにして、今現在彼女のサロンで彼女を目の前にして彼女から良き案を引き出そうと頑張っているのであるが、さすがに息子思いの母は何かに思いついたようだった。


「藤枝さんの遠縁のお嬢さんが職を探していると伺いましたけれどね。」


 藤枝とは俺の父の親友で後援会長という、俺には気の置けない親父である。

 俺は彼の身内であるならば問題なかろうと、母の言葉で頭の中で喜びのダンスが始まったほどだ。

 けれども母はかなり浮かない顔をしており、その顔には何か問題があるだろうと、頭の中で危険信号が発令した。

 弟の前妻美佐子が、同じく後援会の間島の斡旋だったことを思い出したのだ。


「その女性がどうかされましたか?」


 母は俺に答える前に心を落ち着けるたまなのか、手元のホットレモネードとやらを口にした。

 そのホットレモネードは妊娠した妻が相良邸でラムネの次に愛飲しているもので、母も相良邸に更紗を尋ねた時に嵌ってしまったものらしい。


 新鮮なレモンを絞って、そこに蜂蜜と砂糖と熱湯を足すだけのものだ。

 外国では子供がレモンを絞って家の前で売るようなものだが、日本の冬の時期にレモンを大量に使う飲み物など贅沢極まりない。

 相良家のサンルームは今や更紗の父である植物学者の天野正造の研究室であり温室となっており、母が飲むレモネードのレモンはそこで収穫されたものだ。


 それも、天野教授が手ずから収穫した物ではなく、母が実の息子よりも可愛いと可愛がる相良誠司がウィンク付で収穫して彼女に手渡してくれた贈り物だ。

 よって、可愛くなくなった実子の俺に飲ませるはずはなく、俺は今日もコーヒーである。


 母のお気に入りの誠司は、相良に見出され彼女の養子になる前は、戦災孤児の身の上で愚連隊白狼団の頭領をしていたならず者という過去もある。

 しかし、養子前の姓で「矢野ちゃん」と呼ばれても気さくに返事をするし、「手伝って。」と声を掛けられれば笑顔で手を差し出してくれる気安くマメな男でもあるので、実は誰もが彼が怖い男だという事を完全に忘れてしまう程だ。


 若干二四歳の彼はそんな彼自身により誰にとっても魅力的であるからか、出会う女性、俺の母を含めた金持ちの年上の女性達を次々と虜にしていると有名だ。

 最近では耀子の運転する車の助手席で書類を広げて納まっている姿が可愛いと評判となり、年配の女性達が週刊誌のその写真目当てに週刊誌を買い漁るという現象が起きたほどなのだ。


 母のサロンの本棚が文芸書が消えた代わりに週刊誌だらけとなっており、その上観賞用と保存用と二冊が必ず収まっているのには驚いた。

 本棚から目線を棚の上に動かすと、見慣れたものが見慣れないものに変わっていた。


「母さん、いつあの写真を撮られたのですか?」


「あなたが一ヶ月も新婚旅行から帰らない十一月に。」


 棚の上に飾られた写真立ては息子の俺の仕官学校時代の写真が収まっていたのだが、今や母と誠司が親子のように写っている写真に変わっていたのだ。


 経済界の男連中から「相良のツバメ」と呼ばれる男の神髄を見た気がした。


 その渾名を口にした者は相良耀子に確実に痛めつけられるが、誠司は平然と聞き流す。

 あいつはわざとその蔑まれた渾名を振りかざして、それで取引先という敵を油断させて欺いているのに違いないと俺は考えている。


 敵を欺いて油断させろは、戦術の初歩であるからだ。


「それでね、その子は病人の介護を続けてきたお嬢さんなのよ。」


 俺は母の声に再び母を見返した。

 優しい母は看病で家に篭り続けた少女を思いやっていたらしいと、俺は思わず微笑んだ。


「それじゃあ住み込みの女中よりも、売り子などの外に出る仕事の方が良いですね。百貨店の化粧品売り場の職でも誠司君に頼んで見ましょうか。」


 すると母は困ったように黙り込み、珍しいものだと俺は思いながら母から視線を剥がすと母が気に入っている壁の絵へと視線を動かした。

 壁には大小の絵画が飾ってあるが、母が一番大事にしているのは衝動買いした六号のアンリ・ルソーの絵である。


 これはシベリア抑留されたがために生死不明だと、当初戦死と伝えられた俺の鎮魂の為に購入した絵でもある。

 熱帯の風景に葦のような草むらに背中だけ出して寝ている獣が描かれ、その獣が怠け者の俺だということだ。

 荒野で死んだ俺が暖かい所でゆっくりと眠っていて欲しいという親心なのだと妻は俺に言い、それを聞いた母は自分を理解してくれたと感激して、以来妻が娘同然である。


「サラちゃん」


 などと呼んでいるのだ。

 更紗は「サラちゃん」では決してない。

 そんな可愛いものでは断じてない。


「あなたは病気に詳しい?」


「何を急に。いいから、とにかく話してくださいよ。駄目なら駄目で、職業紹介所で女中を探さなければいけませんからね。僕が知らない紹介所がまだあれば、の話ですが。」


 母はとうとう大きく息を吐き出して、その娘がどこにも雇われない訳を俺に告白した。


「何ですか、それ。何も問題無いではないですか。」


 目を大きくして驚く母親に辞去を伝え、俺は幸運を逃さぬようにと藤枝の家へと急ぎ向かうことにしたのである。

 ハンセン病が簡単に感染しないのは何時になったら理解して貰えるのだろうかと考えながら。

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