お姑様
「え、女中候補が断ってきたのですか?」
「あなたは評判が悪いから。」
黒髪をゆったりと大きく和風の夜会巻きにして、九州旅行で父に買わせた泥大島を着込んだ母は、残念そうにそっと俺に微笑んだ。
彼女は弟の前妻に数年いびられていた為か、弟の離婚で張り詰めたものが消えてしまった様でもある。
俺は自分の妻の気の強さを思い出し、優しい母よりも以前の気の強い母がいいと懐かしく感じたが、ぱっと脳裏に浮かんだ恐ろしい姑の姿に、俺の母は今のこのままで良いと思い直した。
「どうしましょう。お母さん、他に伝手はございませんか?」
俺は実家の母愛用のサロンという客間で途方にくれて、必死の目で良い案は無いかと母を見返した。
昨年の十月半ばに結婚したばかりの俺には妻がいない。
それは結婚してたったひと月で妻は妊娠し、妻の体を心配した姑に引き裂かれて連れ去られてしまったからである。
妻が安定期に入れば返して貰える約束ではあるが、妻の身の回りの世話と健康に目を光らせる小間使いのような女中を雇わない限り返さないと鬼姑は条件を新たに作り出して俺に押し付け、つまり妻を返して貰う約束を反故にされそうな瀬戸際に俺は追い詰められているのだ。
俺の鬼姑である相良耀子は、正月詣でをして久々に妻と親交を暖めていた俺を屋敷の隅に呼び出して託宣を与えたのである。
久々の妻のベッドから引き摺り出されたと言った方が正確か。
姑に案内された玄関側の応接間は小さく寒々としていた。
豪邸の玄関ホールすぐ横にしつらえたその応接間は、相良家の者にとって下と看做した客人を招く部屋であり、最近は俺専用の説教部屋と化している。
「お義母さん、私は妻の体をちゃあんと大事に考えてますから。」
「ケダモノはお黙りなさい。」
そこで、彼女は長々とこれ見よがしに溜息をつくと、「心配だわ。」と呟き、不安解消の為に彼女の認める女中を雇えと言い出したのだ。
雇わねば更紗を返さない、と。
「そこまで心配される不安材料が我が家に何かありましたっけ?」
ギロっとアーモンド型の目を煌めかせて鬼婆は俺を睨み返した。
彼女は普通にしていれば普通に年齢不詳の美女であるが、俺には普通にしていないために俺の目には鬼婆としか映らない。
豊かな髪をゆったりと洋風にまとめて、ゆったりとしたカウチンセーターに足首まである小豆色のフレアースカート姿の家庭的で母性豊かに見える彼女は、飢えた月の輪グマのような目で俺を睨んでいるのだ。
「家事に関しましては田辺や彼の妹の祥子さんが手伝ってくれますし――。」
ガシャンと相良は紅茶のカップを皿に打ちつけて、俺の言葉を遮断した。
「まずはちゃんとした女中を雇いましょう。住み込みで。」
「更紗が戻ってきたら住み込みで雇えますが、現在の我が家は男所帯でしてなかなか――。」
がしゃん。
「住み込みの、女中。もう一度言いましょうか?」
「かしこまりました。」
結局未だに住み込みの女中は決まらず、妻を返してもらう目途など立ちはしないという状況だ。
あの女はこの事態になることを見越していたのに違いない。