ここは賛美するべきであろうに!
ゲートから数分後には、俺と幸次郎は開けた北側の敷地に出ていた。
更紗の実験場はそのすぐ向こう、木々があってトラップに仕掛けやすい森のようになったところだ。
彼女は俺に会えないからと、アラクネのように罠を張っていた。
本人はオデュッセウスを待つペネロペのみたいにして編んでいると言っていたが、ペネロペが編むのは単なる布だ。
人を捕える網など、ペネロペは釣り糸で編んだりはしない。
だがそんな差異は些末なことであり、俺の不在が寂しいと更紗が手慰みをしていてくれていると知っただけで、俺の気持ちが天にも昇るほどの幸福度なのだから問題など無いのだ。
もともと俺は狩人のアルテミスでしかない更紗が大好きであり、閨ではプシュケという夢の女と変化するからこそ愛したのだ。
トラップを作れば作動したくなるのは人情だ、仕方がない。
彼女が怪我さえしていなければ、俺は笑って受け入れてやればいい。
「兄さん見て。これをどうしようか警察も救急も悩んでいるの。」
「うわ。」
結果は想像できたが、実際に目にするのは想像以上の結果だった。
幸次郎が手で示したそれは、十代の女性が作ったにしてはかなりの残虐な風景であったのである。
釣り糸が服の上からでも食い込んで、恐らくは肉のかなり深い所にまで達している。
哀れな被害者達は、これ以上の糸の肉体への侵入を防ぐために、お互いを必死に抱き合って、足を突っ張ってと、血まみれで空中にぷらぷら浮いているのだ。
下手に糸を切ってしまえば、彼らが落下するまでに、釣り糸によってどこかの肉をそぎ落としてしまうのは確実だろう。
捕まえたら絶対に逃がさない、完璧な罠。
「見事だ。」
「兄さん?」
俺の感嘆した声に対して、弟が震撼した声を出した。
周りを見回したら、救急の人間も警察らしき人間も、そして、見慣れた梶までも、口をあんぐりと開けて俺を見つめているではないか。
居心地の悪い注目を受けた俺は、仕方がないから哀れな被害者の解放方法を披露してその目線から逃れようと考えた。
「合図で同時に縛ってある糸を切って落そう。落下で手足の骨は折るが救急車もいることだし、大丈夫だろう。」
「人でなし!」
頭上の被害者のどちらかが絶叫した。
「黙れ!人様の家に侵入して女子供を狙おうとした屑は黙っていろ!」
怒鳴り返して周りを見回したら、俺を見ている目玉の持ち主達は一様に酷く怯えた顔に変化していた。
俺は不機嫌となり、ずかずかと俺に怯える奴らの中のその一人、俺の目的でもあった梶の前に行くと、彼の腕を掴んだ。
梶が「ヒィ。」と小さく叫び、周りの奴らが俺の為に道まで開けたが、俺には周囲にどう見えるのかなどどうでも良くなっていた。
奴には事情を詳しく聞く必要があるのだ。
「ちょっと、兄さん。その人は警察とお話中だよ。」
「うるさいよ。身代金誘拐で俺の女房か相良を誘拐しに来た馬鹿が勝手に罠に嵌っただけだろ。この男はただの客だ。いらないだろうが。そうだろ、通りすがりの太ったお前!」
梶は俺に目を向けると、警察達にもわかるように大きく首を縦に振った。
「はい。オレはただの通りすがりで、ただの目撃者れすけ。」
「ちょっと、兄さん。」
「うるさい。この家のお兄さんになったお前が後始末をしておけ!俺はこいつと屋敷に戻っているから、何かあったら屋敷に呼びに来ればいいだろう。」
呆れる弟と警察を残して、俺は梶を引きずって屋敷に戻った。
この屋敷には俺専用の部屋がある。
従業員玄関側に位置している狭くて寒いという、急な尋問にも適した素晴らしい応接間だ。




