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お代は猫でお願いします  作者: 蔵前
十 金色の大地
34/71

生と死を支えるもの

 顔が見たかったのに、奴は俺に背中を向けてしゃがんで膝に顔を埋めていた。

 背中が小刻みに揺れているところを見ると笑っているのか?憎らしいと長谷の背中を強めに蹴った。


 すると、しゃがんだ体勢の長谷は煤だらけの床にごろっとみっともなく転び、俺は長谷のその姿に彼に裏切られたような気持ちが少々どころかかなり晴れたと感じた。


「竹ちゃん、何をするの。」


 もともとの童顔の顔を小学生の子供みたいに憤慨させて、煤塗れの床に両手をついた尻餅の姿勢の彼は俺を睨んでいる。


「いや、笑うから。紫藤が可哀相だなって。」


 身体中の煤を叩きながら長谷は立ち上がり、真っ赤になった顔で俺を罵倒し始めた。


「嘘吐き。それならもっと情感を込めて語ってよ。全然紫藤君への思慕を感じなかったよ。もしかして君は俺達隊員を駒ぐらいにしか考えていない?だから決断できるの?」


「そんな訳ないだろう。俺はお前らを好き勝手にさせている方が生き延びられると知っているから決断しかしないんだよ。俺が作戦立ててもお前等は一切聞かずに好き勝手するじゃないか。」


「君の思い付きは荒唐無稽過ぎるんだよ!支給されて埋めろと命令された地雷を全部解体して火薬を抜けなんてさ、解体なんてできるか!」


 煤塗れの狸のような姿の長谷は、本気で憤慨しながら俺に大声を上げた。

 嘘吐きの顔でない彼は、普通の人好きのする美青年でしかなかった。

 その素に戻っている長谷の顔に、俺は一度は叫びたかった言葉を叫んでみたいとなぜだか突然思ったのだ。


「俺は地雷が大嫌いなんだよ!紫藤を殺した地雷が大嫌いなんだよ!紫藤の死がどうしても忘れられないんだよ。だから、だから、お前達を死なせたくないんだよ。お前達が望む決断ぐらい俺はいくらだってしてやるよ。お前を死なせないために足を撃ち抜くくらい、何度だって出来るんだよ。」


「それなら梶をどうして見捨てるんだ。」


 初めて聞いた彼の涙声の擦れ声に彼を見返して、俺は自分の瞳孔が広がったのがわかった。

 俺は長谷が涙を流す様を初めて見たのである。

 ツツっと頬を伝う一筋の涙。


 目元の赤いその顔は、あの日の長谷が俺を必死に見つめていた時と同じ表情だ。

 不可侵条約を結んだはずの国の兵が南下して来たとの報を、いち早く手に入れたのは長谷であった。

 彼は本隊の司令官ではなく俺に進言した。


「本隊を餌に出来る今なら全員が逃げられます。」


 俺は長谷の右膝下を打ち抜いた。

 彼と部下達だけでも後方に逃がすつもりで。

 長谷は本国に戻っても家族も何も残っていないからと、残る俺と一緒に最後まで残り、仲間というえにしを抱えて玉砕したかったのだろう。


 いや、死にたがりの長谷は、死に場所を俺に求めていただけなのかもしれない。

 そんな奴が今になって仲間の身を案じるとは、……不可解だ。


「君はさ、当時は田辺以外の仲間にそれほど打ち解けていなかったのに、どうして今になってそう梶に思い入れるのかな。」


 長谷は左手で口元を押さえると、グっと俺を睨んだ。

 心外だ、という解り易い目つき。

 矢張り先程の涙は演技だった。

 騙されて感傷的になった自分が悔しい。

 俺は長谷への怒りを吐き出すように、梶への決断の意図を話し聞かせることにした。


「梶は止めても止まらない。でもね、彼の行動の原動力は「死への怯え」でしかないから、最後には逃げるんだよ。生き残ろうとするの。だから好きにさせた方がいいのさ。」


「部下を殺したくないからって、そんな兵器に人を作り変えた君も田辺も最低だね。」


「うるさいよ。死ぬのを怖がらない奴よりも死ぬことを怖がる兵士の方が俺は好きなんでね。煤狸に余計な説教はされたくないね!」


「煤狸って!顔にも煤か!畜生め。」


 慌てて顔の煤をぬぐおうとしてもっと黒くなっているマヌケな長谷に笑おうとして、俺はもう一人の狸を思い出した。


「全てを失っても想い人がいれば、逃げる時には道連れにするかな。ごめん、長谷。君は俺の家に行って田辺の助勢をしてやって。動けない誠司と大事な猫二匹を守りながら多勢に一人で向かうのは、幾ら田辺でも無理だ。梶の敵が梶への報復の一環としてそっちに向かうはずだ。有能な兵士なら敵勢力を分断させるためにそうするね。梶ならば俺達の情報を敵に流したはずだ。」


「竹ちゃんは?」


「鬼婆の家。そこに梶の想い人が滞在中。」」


「奥さんを数日前に亡くしたばかりでしょうって、あぁ、そうか。」


 そう、あぁ、だ。

 食欲と性欲は原始的な本能だ。

 恐怖という原始的な本能を強化された梶は、その恐怖を癒すために食と性欲に走るようになった。

 俺という恐怖を与えたために強姦などの軍規を犯すことはなかったが、彼は本隊に戻ると恐怖を癒すために際限なく食べ、そして、売春婦を幾らでも抱いたのだ。


 現在相良家には俺の幼馴染の小枝子が滞在している。

 梶が天女と賛美した彼女だ。

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