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お代は猫でお願いします  作者: 蔵前
十 金色の大地
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忘れられない男

 日本ではお目にかかれない黄色の大地。

 この国の文化的には黄色は金色に通じて最高の運気の色だが、植物も育たないただの荒野の枯れた土でしかないとは皮肉な話だ。


 こんな土地で俺は数時間後に嬲り殺されるのかと、仲間と息を潜めて敵の索敵の気配を窺っていた。


 今はそれしか出来ない身の上だ。

 本国からこの国に送られたひと月後に、俺は自分よりも年上の部下ばかりを引き連れて死地廻りを命じられる身に落ちてしまったのだ。


 そして経験不足の俺には当たり前だが敵の動きを読み取れ切れず、隊は分断され、部下だけは逃がそうと俺と田辺は囮となって敵を引き連れて此処まで逃げてきたのだ。


 否、もう一人いる。


 逃げろと言っているのに俺達から離れようとしない二十五歳の三等兵の紫藤優樹しどうゆうきだ。


 中肉中背でスタイルは良い彼だが、顔には哀れなほどに水疱瘡の痕が残っている。

 彼はいつもあばたの顔を隠すように下げて、誰と会話する時にも上目遣いでぼそぼそとしか喋らない。

 そこが気に入らないと殴られ嫌われて、死地行き決定の俺の隊に入れられた可哀相な奴なのだ。

 だからか、一月近く一緒にいるのに仲間からはおろか、特に俺から顔を背けていつも一人で離れていた。


 しかし目は常に俺を追っているという、その日のその時まで、俺には不可解な奴でしかなかった人物である。

 否、逃げずに俺にくっ付いてきたのだから、もっと不可解な奴か。


「坊ちゃん、これからどうします。」


 熟練兵の田辺が息を切らせており、俺はその様子に本当に後がないのだと痛感した。

 俺達の潜む後ろには自由への解放された大地が広がるが、自由の手前には地雷原も広がっているのである。

 たった三十メートルほどの地雷の天の川さえ走り抜けられれば、俺達は逃げ切れる。


 運が良ければ。


 運が無ければ最初の一歩で、ドカン、だ。


 人も車両も来ないこんな僻地に、対人地雷を埋め込んでどうするのだ。

 まぁ、それで俺達が袋の鼠にされたのだから賢い罠か?

 けれども対人地雷でしかないのであれば、抜ける方法は幾つかある。

 物さえあれば。


 人間の重量を持たせた転がるものをここで作り上げるには――。

 いや、川なのだから、橋を作ってしまえば良いのだ。

 橋は、――。


「隊長、ここで死にましょう。」


 俺は紫藤の静かで決意のある声に驚き彼に振り向いた時、せっかくの浮かびかけた妙案が霧散してしまったことを感じた。

 俺はここで死ぬのか?

 彼はあばただらけの顔を上げて、初めて俺を真っ直ぐに見つめて再び唇を動かした。


「紫藤は捕虜になるよりも死にましょうって言い出してさ。それだけじゃなくて、俺をお慕いしているから俺と一緒に死ねるなら本望ですってね。」


 長谷はまじまじと俺の顔を驚いた顔で見つめ返した。

 こんな内面をさらけ出した表情を見るのは初めてだって位だ。


「撃ち殺しちゃったのか?それで死体を地雷原に?」


「君だったら撃ってたね!俺は死にたくないし、ちょっと煩いから紫藤にキスしただけだよ。」


 長谷は意外にも素っ頓狂な顔をして見せた。

 自分こそ俺の目の前で本園へのキスをして見せたというのに、俺が紫藤にキスをした事が全くもって信じられないという顔をしているのだ。


 ほんの少しだけいたずら心が出た俺は、その続きを語ってみせた。

 ここまでだったら、誰にだっても話せるものだ。


「唇を合わすだけでない、舌も入れるフレンチ式って奴をしてやったね。そして、生きて帰ったらもう少ししてやるから黙れってね、うるさい紫藤に言ってやったのさ。」


 長谷の目はコレ異常ないくらいに見開かれて俺を凝視し、口元には何時もの笑いが失せている。

 その顔によって俺は田辺しか知らないその時の事を、長谷に最後まで話して聞かせる事を決意したのだ。


「……竹ちゃん。それで?」


「それで、俺が隊長の為に道を開きます!って紫藤が地雷原走って渡っちゃったの。俺も田辺も驚いて見守る中、あと二メートルで抜けきれる所でドカーンだからね。二人で紫藤の足跡を辿って無事逃げ延びて、俺達を待っていた隊員に合流したはいいけどね。褒められて持て囃されても地雷原を抜け出せた本当の出来事は話せないでしょう。いたたまれなかったよ。」


 紫藤は即死ではなかった。

 左膝下を失い、血を撒き散らして痛みに騒ぎ泣く彼を抱きしめて、もう何もしてやれないからと彼に口付けてやった。

 俺も泣きながら、紫藤の口にも、顔中にも、何度も何度もキスの雨を降らせてやったのだ。

 すると、彼は俺の腕の中で俺にしがみ付いて泣くのを止めると、微笑んで静に死ぬ事を選んだのだ。


「幸せです。」


 そう俺に言い残して。


 偲んで思い出してやるべきなのに、俺は紫藤の死が重いと出来るだけ忘れ去っている酷い奴だ。

 今も自嘲しながら、長谷に呼びかけた。

 優しいという彼ならば、会った事もない紫藤にも黙祷をくらいは捧げてくれるのではと、俺は期待していたのかもしれない。


 紫藤の死という俺の荷を、誰かに少し持って欲しかったのだ。


 田辺は忘れる事だと言い、あの日の事は一切口にしない。

 俺が紫藤の遺体を見捨てずに、彼を背負って合流地点にまで運んでやったのだから良いのだと。

 あいつは幸せだと言い残して死んだでしょう、と。


「で、君はどう思う?長谷?」

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