馬鹿な子ほど可愛いからか?
誠司に味噌汁のお代わりをよそって来た田辺は、彼に碗を手渡すと再び俺の隣に座り直した。
「ご飯中なのにありがとう、タベちゃん。」
「いいから、気兼ねなく声をかけて。」
田辺は誠司には特別に優しいと、心の隅で嫉妬をしながら俺も田辺に声をかけた。
「俺もお代わり。」
「ご自分でどうぞ。」
俺は自分で台所に行って飯を盛り直し、納得できない気持ちで居間に戻った。
ちゃぶ台の下から突き出されている誠司の伸ばした足が邪魔だが、ちゃぶ台を囲んで居間でテレビを見ながら飯を食べるのは、台所で食べるよりもおいしいとなぜか感じていた。
「飯はこれからもずっと居間がいいね。」
「何を言っているのですか。矢野ちゃんの怪我が治るまでです。」
相良には誠司の怪我を一切伝えていない。
それどころか、危険だから我が家に来るなとまで伝えた。
それが誠司の頼みであったのだから仕方がない。
「耀子さんには怪我の事を教えた方が良かったのではないのか?」
「倒れちゃうでしょ。でもね、うすうす判っているから教えなくて大丈夫。」
体の痣が全て消えるまで、彼は相良に戻らないつもりなのかもしれない。
「折れて無くても靭帯が伸び切ったら歩けなくなるんだぞ。今回はお前の体が頑丈で靭帯が無事だったから良かったけれどね、長谷はお前が我慢強過ぎるって嘆いていたぞ。」
楽しそうに誠司はハハハと笑い声をあげた。
「ハセちゃんねぇ。あの人は悪人を装うけど、甘くてフラフラだよね。」
「お前が言うなよ。それからね、拷問されたら意識をすぐに失いなさい。少し拷問の対処法を教えようか?体に覚えさせる訓練がちょっと辛いけれどね、一度覚えれば痛みを感じたらすぐに意識を失う様になれるよ。」
誠司は目を真ん丸にしてゴクンと唾を飲み込み、田辺がすっと手を伸ばして座っている俺の脚を強く抓った。
脳天に来るほど痛みに、拷問の対処法を知っている俺は意識を失いそうになる程だ。
田辺を見返すと、見返すのではなかったという恐ろしい顔で俺を睨んでいて、俺は本気で意識を手放そうかと考えた。
俺に同じことを言って対処法を教えたのは君だったよね、と。
そして猫達は俺を一斉に睨むと、にゃあにゃあと飼い主を守るべく抗議の声を上げだした。
銀色がアメリで黒がリリカなのはどうでもいい。
誠司にはセンスが無いのだから名付けが最悪なのは仕方が無い。
そっと誠司の膝の上にいる黒いのを触ろうと手を伸ばしたら、触るなと、もこもこスタンプの衝撃が手の甲にパシっと来た。
憎らしいのに嬉しいのはなぜだろう。
もう一度手を伸ばすと、凄い勢いで猫の左の前足が俺の手をめがけて何度も上下する。
「リリカ、もっと。」
「それで、この猫は幾らで転売される予定だったのでしょうかね。」
俺の拷問の話題をかわしたいのか俺の気を猫から逸らしたいのか、田辺が別の話題をふった。
仕方無しに俺が手をひくと、なんとごろっと転がったリリカは両腕で俺の手に抱きついて自分の方に寄せて齧り始めたではないか。
指先に物凄く柔らかい腹毛の感触を感じた。
「誠司、この子を俺に転売してくれ。」
「三百万。」
俺と田辺はしれっと即答した誠司を無言で見つめた。
彼はそんな俺達に気づき、箸を親指で挟むとその手を軽く振った。
「え、ウソウソ。出しても譲らないよ。二匹に掛かった経費は一五〇万近くでしかないけどね。それでも九月半ばに契約しての、書類を作成しての、ようやく日本に呼び寄せても一ヶ月離れ離れの苦労を考えると、転売には一匹そのくらいは出して欲しいよね。」
俺達が猫二匹に一五〇万も懸けた馬鹿を唖然と見つめている中、彼は何事も無いように高野豆腐を口に運び、とても驚いた顔をした。
「これ、誰が作ったの。タベちゃんの味じゃないけどおいしいね。」
「あぁ、俺の幼馴染の藤枝小枝子って女医。田辺目当てに我が家に居座りたがってね。」
「へぇ、お目が高い女性には会ってみたいね。」
「矢野ちゃんには年上過ぎますよ。」
田辺はそっと言い、誠司にたらこの煮つけを持った皿を回してやった。
誠司はうれしそうにたらこを取り分けると、ぱくっと被りつく。
「やっぱりタベちゃんのたらこは一番だね。幸せな味だ。」
田辺は幼い子供を見る父親のような目つきとなり、幸せそうな誠司に答えた。
「ありがとう。」
「ちょっと待て、田辺。」
「何か?」
「いえ、やっぱり何でもないです。」
俺は釈然としないまま、釈然としない別の何かを忘れている気がして仕方がなかった。
忘れている何かがあることに気が付けば、思い出さねばならないと気が急くばかりで、思い出そうにも意識が集中できない。
そこで、俺は田辺に頼ることにした。




