誠司の子供
幸せなひと時は無粋な電話で破られるのは世の常だ。
俺はそれでも幸福感がずっと持続して、ハンドルを握りながら口元がニヤついている自分を実感し続けていた。
「その気味の悪い笑顔を納めて下さいよ。」
助手席の田辺が水を差した。
「良いでしょ。独占欲の強い妻に最高の男だって思われていることを実感して、子供の元気な鼓動まで聞けたんだ。真面目な顔ができるわけないよ。」
ふぅと田辺が大きな溜息をついた。
検疫所からようやく誠司の子供を引き渡す旨の連絡が来たのだ。
夕方の五時に連絡してくるとは、と思うが、誠司の逮捕の報で担当者が混乱したとのことだ。
それで緊急連絡先の俺に連絡が着て、俺と田辺が引き取りに向かっているとそういうわけだ。
仔犬一匹、俺一人でも大丈夫だろうが、田辺は小枝子に狙われていると知った途端に俺の車に乗り込んだ。
彼は意外と臆病者である。
「小枝子は好みじゃなかった?」
「良い女ですよ。ですが、身分違いです。」
「君は江戸時代の人?君が勝手に俺の手下風を装っているだけで会社は共同名義だし、隊では君がフィクサーだったでしょう。俺が猿回しの猿。」
助手席の田辺が馬鹿笑いを弾けさせたが、それは作ったような笑いかただ。
「本当にあなたは変わらない。坊ちゃんのままだ。うちは落ちぶれた家です。あんな良いところのお嬢さんはいただけません。」
「小枝子は更紗を眺めて泣きそうな顔になっていたね。きっと、小枝子も子供が欲しいんだろうな。結婚が嫌なら子供だけでも作ってあげなさいよ。」
隣の田辺がフフっと笑い声を立てたが、今度は副官の頃の怖い笑い方だ。
調教され切っている俺はしっかりと脅え、ハンドルをぎゅうっと握った。
「俺は男色の人ですからねぇ。」
「うそ!」
車は俺の心と同じキキキィと悲鳴を上げた。
「嘘です。道を外れないで下さい。人の色恋沙汰に余計な口出しをするなということです。それで、次のところで左に曲がってください。道を一本間違えていますよ。」
「すいませんでした!」
俺はその後余計なことは言わずに新兵の三等兵の気持ちで、道案内をする怖い上官田辺様の指示に従って黙々と運転を続けた。
東京国際空港は何度も来た事があるが、検疫所は初めてなのだから少々迷ったのは仕方がない。
そしてようやく辿り着いたそこで書類に受け取りサインをしながら、俺は書類の内容を確認すべく職員に尋ねた。
「犬、ではないのですか?」
職員は白髪交じりの定年が近い年齢で、とにかく動物が好きそうでもあり、彼はニコニコと微笑みながら同じ言葉を俺に繰り返した。
「猫ですね。」
俺は男性が運んできた大きな檻の中に再び視線を転じ、そこには日本では見た事も無いどころか、通常の猫なのだろうかと思える大きさと顔立ちの仔猫が二匹も納まっているという現実を受け入れた。
俺の隣の田辺は、どんな死地体験してきた男であるというのに、左の手の平で口元を押さえて呆然と固まっているという具合だ。
「で、これで生後半年に満たない子猫ですか?」
「ええ。書類通りですね。」
二匹とも生後半年に満たない子猫にしては既に成猫近い大きさで、それでも太い足がそれらがまだまだ成長することを伺わせるという、どちらも獰猛そうな顔をした巨大猫である。
一匹は殆んど白地にトラのような銀色の模様が入っている青い目で、もう一匹はベージュ色の体に黒ペンキを上からかけられたような動くプティングだ。
プティングは黒い顔を俺に向けると、金色の目を光らせながら「にゃう」と物凄く可愛らしい声を上げた。
「なんだこれは!あいつはシェパードって俺に説明していたぞ!」
「隊長、シェパードだったら日本にもいます。」
「そういえばそうだった!あいつは一ヶ月も会社を抜け出しては猫と遊んでいたのか?正月三が日に猫と戯れていたのか?あいつはとんだ大馬鹿野郎だよ。」
帰りは田辺が運転した。
俺の車はダットサンの15T型ライト・ヴァンであり、二人乗りの座席の後ろには荷台が広がる。
俺は猫達と荷台に乗って、猫達の安全に気を使わなければいけないのだから仕方がない。
「ねぇ、田辺。二匹いるなら一匹貰えないかな。ちょっとこの子達可愛いよ。大きいからか犬みたいに骨格ががっしりしている。こんな猫初めてだよ。」
獰猛そうな外見でもやはり子猫の猫達はにゃあにゃあと可愛いらしく甘え、モップのような大きな尻尾をびゅんびゅんと俺の顔や腕に打ち付けてくるという、生きている物凄いモフモフでしかなかったのである。
「このまま警察署に行きましょうか。さっさと誠司さんに受け渡しましょう。情が移ったら返せなくなりますからね。」
「えぇ、一日くらい預かろうよ。あんな大騒ぎのところ、猫ちゃんが病気になっちゃうよ。帰ろう!今すぐ帰ろう!小枝子が夕飯を作って待っているよ。あいつの飯は旨いよ。今夜この子達を帰したら、俺は寂しいからと野良猫を毎日拾うからね。」
運転席から大きく長々とした溜息が漏れた。
「書斎でのこと、すいません。私が間違っておりました。」
温かい動くぬいぐるみたちを抱いてはあやして喜んでいた俺は、田辺の謝罪に心にも温もりが満たされていくことを感じた。
「良いよ。君の事はよくわかっているから。」
「そうですか。それでは営倉入りした時には気兼ねなく撃ち殺させて貰いますよ。」
俺は心を寒々とさせながら、隊長時代の大きな舌打ちをした。
田辺のものと違って、部下の誰も怖がらないヤツだ。




