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お代は猫でお願いします  作者: 蔵前
五 レッドアラート
20/71

長谷の身の上

 田辺の後を俺が慌てて追うと、杖を片した田辺が書斎机の前に置いてある応接セットのソファの肘掛に腰を下ろし、首をくいっと動かして俺を呼ぶ仕草をした。


 俺が調教された犬のように素直に彼の側に行くと、屈んだ俺の耳元に田辺が声を潜めて簡潔に言った。


「矢野が逮捕されました。」


「長谷は麻薬の逮捕はないって言っていたぞ。」


 田辺はチッと舌打ちをしてから、俺の言葉を遮る様にひょいと片手を動かした。

 俺は彼の座る横のソファに腰を下ろし、話を続けろと右手を動かして見せた。

 彼は一層声を潜めて、俺に身をかがめるようにして報告を始めた。


「矢野が元白狼団の頭領だからと狙っていた刑事がいたようでしてね、暴行容疑です。ご存知ですか?手でちょっと相手の肩を、それも警察官の肩を押すと公務執行妨害になるそうです。捜査令状の無い刑事数名が彼の展示室に勝手に入ってきて、女子社員を転ばせたからと矢野が刑事を押し退けての逮捕です。相良が弁護士を雇って本庁へ出向きまして、それで嬢を逃がさないように我が家にです。」


「それから、俺も動くなって事か。相良にそう指示をしたのはもしかして俺の親父かな?」


 田辺は表情を緩めた。

 俺は息を吐き出した。

 それも荒々しく、だ。


「畜生。俺の親父と長谷は繋がっているね。それも最近の話ではなく。」


「長谷のお父上は外交官をされていました。政治家であるあなたのお父上の外遊の手配はどなたが担当だったのでしょうね。ホテル事情が悪い海外では、外交官の自宅に政治家を宿泊させる事もあるのではないでしょうか。」


「君は知っていたのか。」


「長谷は隊長の前の私の上司ですよ。元は士官学校出の少尉さんではないですか。」


「そういえばそうだったね。それでは長谷の父が外交官ならば本園晃蔵と長谷にも繋がりはあるよね。」


「息子の本園佐間介とご友人ですよ。年は違いますが手紙のやり取りをなさっていました。母親同士が特に仲が宜しかったそうで、家族ぐるみの付き合いだと聞いております。急にどうかされましたか?」


 俺は両手で顔を拭うと大きく息を吐いて、本日の長谷との遠足の事を田辺に報告した。


「頼まれてなのか、自分からなのか。そんな汚れ事まで、あん人が。」


「もしかして長谷の命乞いは、君の政治的な考えでなのか。」


「あれは普通に情ですよ。あん人はいい上司でしたからね。下の者にも優しくて、優し過ぎたからいつも失敗ばかりなされていました。」


 真面目で気さくな好青年でしかなかった長谷少尉は、気さくで多言語を操れるためにどの地域でもすんなりと溶け込み、情報将校として「情報を得る」点では最高の男であった。


「しかし、工作が無理でした。決断ができないのです。自分に微笑んだ人達から得た情報で事を起こせば彼らが断罪されるとね、二の足を踏まれて。」


 とにかく工作はできないが確実な情報は本部に送れていたので長谷はそれなりに評価され、父親の存在もあって軍では重宝されていた。

 しかし軍内部で彼の存在は次第に妬まれ、情報は漏れ、長谷は敵対国の殺害リストに載ってしまったのだという。


「ロシア人の血をひいてなさるからヨーロッパ側の大陸では溶け込みますが、東側では逆に悪目立ちしますからね。」


「え、あいつロシアンハーフ?」


「お母様がロシアの亡命貴族です。」


「外交官の父に貴族の母だったら陸軍学校に通わずとも、大学にでも行って兵役拒否も出来ただろうに。」


「これだから坊ちゃんは!」


 田辺は俺を鼻で笑った。


「白人の血が混じっているからこそ人一倍帝国軍人として生きる必要があったのですよ。ですから出兵前には地元の女性と結婚して子を作って、必要以上に我は日本男児だと振舞われなければいけなかったのです。」


 田辺はそれから長谷の思い出を語り始めた。

 彼は俺にしたように長谷を鍛えていたのだそうだ。

 下士官達にとって上司の能力はそのまま自分達の生存率に関るのであるからして、田辺が教育に必死になるのは当たり前である。

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