表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お代は猫でお願いします  作者: 蔵前
四 お前がいるのは藪の中
17/71

墓場に持って行く行為

 押し込まれた部屋は吐瀉物と糞尿の臭いに塗れ、ベッドには人間だったものが横たわっていた。


 家具も何も無く、壁には引っかいたのか掻き傷が縦横無尽に走り、ひっかく最中に爪が剥げたのか人の爪の破片のような物や血の跡も見える。

 重度の麻薬中毒に陥った佐間介は、顔も頭も火傷で爛れており、両手両足は暴れないようにかベッドに縛り付けられ、手足は爪がはがれた指先が化膿して壊死しかかっていた。


 何も無いが混乱の後ばかりの赤黒い印象の部屋の中で、ベッドサイドテーブルの上に乗る水差しと小さな湯呑み、そして銀色の小さな盥に転がっている注射器が異質であった。


 ベッドに横たわる本園佐間介は、ほとんど骸骨のようにやせ細り、以前の姿を思い浮かべる事が出来ない状態である。

 ただ一つ、彼が百五十センチ程度の身長であると見做せることだけが、彼が変わらず持っている彼の特徴ともいえた。


 小柄で赤黒いケロイドの塊となっている彼は三十五歳という年齢の男性には見えず、拷問を受けてしまった哀れな少年の亡骸にしか見えない。


 長谷は音を立てずに一気にベッドに向かい、佐間介の拘束を外し始めた。


「拘束を外して大丈夫なのか?」


「聞いたでしょ、池谷が来ていたって。麻薬を打たれたばかりで痛みも禁断症状も無いから暴れることなどないよ。」


「池谷は佐間介に麻薬を打ちに来ているのか?」


 俺はそれで麻薬患者の枕元のサイドテーブルに注射器が転がっている事を理解した。


「そう。かなり強い麻薬を入れられたからね。一度で中毒になってしまった上に、この怪我でしょう。帰国して暫くはかなり暴れていたそうだよ。それを聞きつけて、池谷が痛み止めだって、麻薬を打ちに来てその対価だと金銭まで毟り取っていたの。この家は池谷にお金を奪われ続けて、もうボロボロよ。」


 長谷はいつもの軽い調子で話すが、目は佐間介をしっかりと見据えており、拘束から彼を解き放つ手つきも優しく、俺は彼と佐間介には繋がりがあったのだとは理解した。


「わかったよ、もういい。それで、胸糞悪いけどやろうか。いいよ、その薬を俺に返して。俺がやるから君は何もしなくていい。」


 長谷は軽く肩を竦めると、まず俺に新品の布手袋を放り、それから内ポケットから長谷に俺が渡した薬の入った紙袋を取り出した。

 俺は手袋を嵌めると、サイドテーブルの注射器を手に取る。

 しかし長谷は俺の脇にスッと出ると、俺の手から注射器を奪い盗った。


「これは俺の仕事なの。」


 長谷の手には少量の液体の入った湯呑みがあった。

 長谷はいつの間にか注射器の隣に置いてあった水差しの水を使い、やはりそこにあった湯飲みで薬を溶かしていたらしい。

 彼は手馴れた手つきで注射器に湯飲みの中の液体を吸わせ、空になった湯飲みをサイドテーブルに置くと、注射器を軽く上向け、空気を抜く為かとんとんと軽く叩いた。


 その後は一瞬だ。


 彼は注射器を一瞥すると、それを躊躇いもなくぷすっと正確に佐間介の心臓目掛けて刺したのである。

 佐間介は一瞬ビクッと硬直させたが、ほぅっと最後の息を吐いてから体を完全に弛緩して、そしてそのまま息絶えた。


「そこに刺して殺すなら、麻薬の意味が無いでしょう。」


「麻薬で死にたくないって言うからね。」


 失明して白濁した瞳から、それでも光が消えてようやく安らぎの色が見えた事に俺はホッとしながら、彼に安らぎを与えた男を眺めていた。

 長谷は殆んど髪の無くなった爛れた頭部を愛おしそうに軽く撫で、そこに軽いキスをした。

 彼は俺の存在など忘れ去ってしまっていたようで、ふっと顔を上げて一瞬俺を見て固まり、けれども何事も無かった顔つきに戻ると顔には何時もの表情を貼り付けた。


 嘘くさい軽薄な笑顔を浮かべた顔。

 傷ついている自分を人から隠す仮面。


「彼は静だったね。」


「既にたっぷりと麻薬を注射されていたからね。時々あるんだよ、麻薬の手ほどきが上手な密売人が客に量を間違えるのはね。佐間介は自殺と復讐も計画していたのさ。父親と妹のためにもね。」


「妹?」


「あの奥様は腹違いの娘だよ。認知も養女にもできないから妻という事にしたの。サマ君はだから最初に反対したのよ、僕のママンを裏切っていたのかって。」


「ママン?」


「サマ君のママはフランス人。戦争で離婚して、国に戻られたそこで空襲でね。」


 嘘吐きの顔に戻った長谷はすっと部屋から出ると、電話を使って救急車と警察の手配をし始めた。

 警察への池谷雅人の緊急手配の要請は、いつもの冷静な刑事の声である。

 電話を切った男は、真っ直ぐに俺を見つめてニヤっと笑った。


「竹ちゃん、君は死体を見つけて怯えている演技はできそう?」


「君の切り替えの早さに怯えている今ならできるかもね。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ