楽園を追い出された蛇が辿り着いた先
本園家は神田の方にひっそりと建っていた。
洋風の大き目の一戸建てであったが、言われなければ外交官の家だとは気づかない普通の造りで、そして最近建てられた新築であった。
「お父様は最近息子に全財産を譲ってね、再婚されたの。それが息子と親族が父親の再婚を許す条件。そんな息子が奥様に殺されかけて、その上財産を奥様一族にむしり取られて親父の所に転がり込んでって。皮肉この上ないよね。」
車窓から本園家を眺めながらの裏事情を語る長谷に、俺は長谷の今回の仕掛けが梶だったのだと気がついた。
「誠司を罠に嵌める奴等の情報が先だな。それで、誠司の車に梶か。誠司が捕まったら梶に全部罪を被せてしまえと。君は相変わらず酷いな。」
ふっと鼻で笑った長谷は、車を降りながら言い放った。
「大人が子供を守るものでしょう。」
「確かに。」
誠司は子供なのだ。
人一倍優しく頭が良い子供は、子供でありながら同じ子供達を守り続けた。
戦災孤児を守る大人がいなかったのだから仕方が無い。
けれど、誠司は子供時代を失ったのだ。
大人の俺達が不甲斐なかったばっかりに、だ。
年配の女性は誠司の中の子供に気づくからこそ、母性本能が掻き立てられてのあの行動なのだろう。
俺の母があんなにも誠司に夢中なのはそうに違いない。
二月十一日のオリエント秘宝装飾展初日には、主催者である誠司が挨拶をするらしい。
そこで、必ず行くから絶対に車を出せと、母が俺に命令するのもその為だ、きっと。
あのガキめ。
さて、長谷が本園家の呼び鈴を鳴らすとすっとドアが開き、丸く楕円の形に優雅に結った頭に白の綿シャツに灰色のカーディガンというちぐはぐな格好の若い女中が出迎えた。
長谷は妻の祥子が嫉妬するだろう微笑を顔に浮かべて、彼女に気さくに話しかけた。
「その髪型は似合うよ。」
「君は行く先々で女を誑しているのか。」
「つっ。」
長谷がガツっと足の側面で俺の足首を蹴ったのだ。
女中は俺達のやり取りを全く意に介さない無表情のままで、ドアを大きく開けて俺達を通した。
長谷はコートも脱がずにドカドカと上がりこみ、俺は彼の勝手知ったる行動に唖然としながらも同じようにコートを脱がずに上がり込んだ。
黒のロングコートをボタンも留めずに裾をはためかしている男と立ち襟の憲兵風のベージュ色のコート姿の男という無作法な二人組みで、片方の顔には痣が在って指まで少ない、嫌な客だろう。
「息子は此方になります。」
女中ではなく、彼女は父親の後妻であったようだ。
すると長谷が俺達を父親繋がりの二世同士と紹介し始め、彼女は本園ゆいと名乗った。
化粧っ気のない疲れた顔が彼女を老けさせて見えるが、声の質や首元の皺の無さを加味すれば、彼女の年齢は二十代後半ぐらいか。
自分よりも年下の女性が母になると聞かされれば、誰しも財産狙いであると再婚に反対を唱えるだろう。
だが、目の前を歩く女性は髪形以外、手でさえあかぎれていて金持ちの男を夫にした女性には思えない。
ただの疲れきった貧しい女性だ。
ゆいはとある部屋の前で大きく溜息をつくと、ポケットから鍵を取り出して鍵を開け、暗い面持ちのままドアを開けた。
「どうぞ、私は隣の部屋に控えています。お帰りの際は鍵をかけ直しますからお声をかけてください。」
「池谷が出て行ったのはいつ?」
「十分ほど前です。」
「ありがとう。それではゆいさん。せっかくその髪型にしたのだから、あなたはおしゃれして遊びに行ってください。ご主人のお見舞いもいいですね。僕達が今日全てを請け負いますからご心配なく。」
生気の無かった後妻は頬を真っ赤に染めて、急に生き返ったかのようだったが、彼女はその生気の戻った顔を玄関ドアを開けた時よりも悲壮感に染めていた。
「それならば、お別れを。せめて。」
「いいえ、このまま。あなたは何も知らないのです。さぁ鍵を下さい。」
長谷はそう彼女に一気にまくし立て、奪うように鍵を手にした。
そして、俺が口を開く間も無く部屋の鍵を開けた長谷によって俺はぐいっと部屋に押し込まれ、彼は後ろ手にドアを閉め内鍵をかけた。




