はじまりは冬の早朝にいつものドライブ
二月にオープンカーなど狂気の沙汰だ。
運転者は胸の内で自分の行動を自嘲しながら、隣の助手席の男に目線を向けると、ほんの盗み見るつもりのはずが助手席の男と目が合ってしまった。
「運転中余所見しない。」
命令口調で、それも怒りを含んだ声音で、運転者よりもはるかに年下の男が唸るようにして彼女を叱ってきた。
大柄の体を北欧人が着る様な毛皮のコートで包んでいる青年は、厳つい顔をこれ見よがしに歪めている。
しかし、運転者には幼い少年の不機嫌にしか見えない。
運転者は鼻で笑って流したが、実はその若者の怒り声が嬉しくもあると、否、大変嬉しいだけだと自分に認めた。
運転者は昨年自分の会社で氾濫を起こしたこの若者を懲罰する立場であり、勿論懲罰を実行しなければならなかったが、そのことで彼が自宅を飛び出して、以来殆んど自分と会話が無くなっていた事が悲しくもあったのだ。
運転者である彼女は、相良総合商社の会長であり代表取締役でもある相良耀子である。
相良耀子は五十代の女性であるが、その年齢には誰もが思えないほどに艶やかな肌と豊かな黒髪を持っている。
つまり、誰が見ても相良耀子は溜息をつくほどの絶世の美女であるのだ。
このような年齢不詳の妖艶ともいえる彼女がアーモンド形の綺麗な瞳に笑い皺を寄せて青年に微笑みを向けたが、彼女の今の笑みは男を誘惑するそれではなく、母親が息子を愛情深く見つめるものでしかない。
そして今回は耀子の視線に青年に構って欲しいという期待が篭っていることを見透かされていたのか、その青年は耀子を叱責もせずに睨み返しただけで、彼は手元の書類束に目線を戻してしまったのである。
それも、青年はその書類を読み耽っているだけでなく、耀子が向けて欲しいと願う愛情溢れた柔らかい眼差しをつまらない書類束にむけているのだ。
耀子は書類を作成しただろう彼の部下への嫉妬心を抑えようと頑張ったが、それでも自分を抑えられたのが数秒だけであった。
「そのぐらいの事案、部下に投げてしまえばいいでしょう。」
もう一度睨んで欲しくて嫌味なセリフを投げた。
けれど有能な彼は耀子の挑発に乗らないどころか、一心不乱に書類に目を通し続けている。
それも仕方がないかと、耀子は大きく溜息を吐いた。
これは彼のプロジェクトで、彼が読んでいる書類はその詳細である。
季節柄一番寒く、商売においても一番冷え込む二月だからこそ催し物を企画し、相良の持つ会社の一つ、相良物産が経営する百貨店に客を呼び込もうというものである。
大きな事は彼が決めて、瑣末なことは部下に投げてしまえばと耀子は考えるが、彼は頻繁に進行具合を確かめに現場に走ってもいるようでもあるのだ。
この相良耀子の養子となった相良誠司は、耀子より遥かに神経質で繊細な男であったようだと彼女は認めるしかない。
先日には誠司が勝手に相良を辞めて新会社を設立した。
その事に対して耀子は誠司に頼もしい気持ちを抱きながらも、彼の起こしたばかりの会社をぺんぺん草も生えないぐらいに数日で潰し切った。
この世界は弱肉強食。
わかってはいる癖に耀子のした事を未だに許してくれないとはなんと繊細過ぎるのかと、耀子は大きく溜息をつくと前方を見据えて運転に集中する事にした。
何にせよ、ドライブをしている間は誠司が彼女の隣にいてくれるのだ。




