2話 何で何で
偶然誰か見つけてくれないかなー
部屋に差し込んでいたオレンジ色はいつのまにかいなくなり、カレーを食べ始めてからだいぶ時間が経った事を明確に表した。
堂々と置かれたガラステーブルにカレーが並ぶ。
カレーは各家庭で違う、それを諒平は誰よりも理解していた。
だから彼は真仲が作ったカレーを3杯も平らげた。
「んー? 辺野さん? ヨダレ!」
「……ハッ。失礼しました……」
「ふふふっ!更にもう一杯どーぞ!」
どこぞのグルメ漫画でよく見る光景を忠実に再現しながら、小一時間で諒平は真仲を理解し始めていた。
「真仲さんは少年ギャング、読みますか?」
真仲は生粋の漫画好きなんだそう。
自分と同じ趣味を持つ事がわかった瞬間、諒平は人が変わったように話し始めた。
「読みます読みます! 今1番熱いのはTARUTOです!」
「TARUTO面白いですよね! あの主人公タルトがイチゴ谷で疾走するシーンなんて最高で……」
「わかってますね辺野さん! ウチはTARUTO見て漫画描き始めたんですもん!!」
「漫画描いてるんですか!? 僕もなんです!! 」
漫画好きなだけでなく、漫画を描く。
そんな偶然の一致に諒平はつけあがり運命だと勘違いしている。
「辺野さんもなんですか!? いや〜なんて偶然ですか!」
続けて真仲も更に諒平をこじらせる事を言う。
「本当ですよ! 小学生から描いてますからね、画力には自信アリなんです!編集部に投稿した事もありますよ!賞は逃しましたけど」
これは本当である。
冒頭でも述べたが、高校の時に受験勉強を犠牲にした
自信作で、週刊少年ギャング新人賞へと応募していた。
落選した時諒平は1日泣いて翌日メッパになった。
「いや〜すごいな〜!! 辺野さん! ウチの漫画、見てくれませんか? 」
「え!良いんですか!?」
「是非! まだ誰にも見せた事なくて、編集部にだって怖くて送れなくて……ふふふ。」
よく徹夜して描いていた事、誰かに面白いと言われる嬉しさや、その逆だって諒平は熟知しているつもりでいた。
「大丈夫ですよ! 僕、絵だけは本当に上手いですから、見る目ありますよ〜? なんなら僕が教えてあげても……なんちゃって! ハハハ」
後頭部を手で摩りながら超上から目線で言い放つ嫌な奴。
「辺野さんはすごいな〜見習わないと、ですね!
……こっちの部屋です!」
対して真仲は逆に素直過ぎた。
まったく諒平の悪意ある反応に無反応なのだ。
食べかけのカレーそっちのけで漫画を見て欲しいという欲にかられた真仲に続き、諒平も3枚積まれた皿の角を整える意味不明に几帳面な行動をした後、諒平の部屋では物置になっている部屋へと案内された。
真仲はそこで絵を描くらしい。
今、諒平は絵を描いてきた歴は僕の方が長い。
そんな事を考えていた。
歴が長ければ良いというわけではないが、長いに越した事は無いのも正論である。
小学生から絵を描いていた。
TARUTOが連載した当初、諒平は高校生だった。
真仲が言った事が本当なら、せいぜい真仲が描いてきた歴は2、3年である。
諒平の心中はそんな優越感で溢れていた。
「見ても引かないで下さいね!」
「引いたりしませんよ!ハハハ、そうとう汚いんですか?」
「辺野さんよりはマシです」
「……」
何も言えなかったが、どうせ汚すぎて襖を開けた瞬間に物が雪崩れ込んでくるなんて考えていたのもつかの間。
ガラっと引かれ開いた襖の先に広がっていたのは寒色のカーテンが完全に光を遮る部屋。
わずかにリビングから溢れる光によって見る事ができた壁や床、卓上にこれでもかと書かれた絵。
壁にはスケッチブックやノートのページを切り取り貼られた絵。
床にも卓上にも、同じような光景が目を覆った。
鉛筆で描かれた絵からペンが入った絵、キャラクターデザインに使われた物から全て。
諒平が初めて見る"上手さ"であった。
「ッ……!?」
諒平から出たものは声でも無く安っぽい涙でもなかった。
「汚いですよね〜……私筆圧濃いし、雑だし、O型の人はみんなですかね……」
そう、真仲の絵はとても筆圧が濃い。
白い部屋のはずが、おびただしい程の黒で埋め尽くされたそこは、まさに見るものを圧迫しているのだ。
「……本当に編集社へ持っていったことはないの!?」
この時諒平は焦りを感じていた。
それは自分が過去に犯した重大な過ち。
高校受験時に感じた感情。
誰かに置いて行かれてしまうという恐怖。
「は、はい……持っていけるレベルじゃな……」
「……嘘だろ……」
「え、え〜……どうしちゃったんですか辺野さん?」
突然石の様に固まった諒平に異変を感じる真仲。
「真仲さんさ、いつ引っ越してきたんだっけ」
「3日前ですけど……」
「壁や床に貼ってる絵はいつ描いたの……?」
「……一昨日です」
目を大きく開き、更に驚きを増す諒平。
「速すぎる……」
漫画家という職業は週刊誌か月刊誌に違いはあるが、必ず締め切りと呼ばれるシステムが存在する。
実際、編集部が開催する賞に応募するにも期限が設けられていたり、その締め切りは厳正だ。
諒平も漫画家を目指していた者として、絵を描く、仕上げる速度を1番に重視していた。
締め切りに間に合わなければ職業として成り立たないからだ。
ただし求められるのは速度だけでは無く、ある程度のクオリティーが前提。
理解していた。
だが諒平に待ち受けていたのは何度描いたって、何度賞に応募したって、人生を棒に振ったって。
一度でも満足のいく仕上がりにはならないし、付いてこなかった結果が現実である。
「うっ……う……」
「へ、辺野さん……!?何で……ッ」
諒平が流した涙は決して安っぽいものでは無かった。
今までの涙とは重みが違った。
( 何で真仲さんはこんなにも絵が上手いんだ!
何で速く絵が描けて、上手いんだ!
何でチャンスをわざわざ逃してるんだッ!)
「何で僕だけ報われないんだッ!」
不意に漏れた諒平の心の叫びを聞いて、真仲は身動き一つ、音すら立てられない程に困惑していた。
偶然ですね〜。
これもきっと何かの縁、私と交流を持ちましょう