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関わらないでいただきたい

 冷たい風が吹きついて、みやと奏多は肩を竦めた。


「……うっ」

「さっむぅ……い……っ!」


 みやは純白の制服に黒いタイツを履いて、指定の黒いコートを着ていた。奏多はまだカーディガンで過ごしているが、「もー……そろそろコート解禁かなぁ」と呟いた。

 十一月下旬の、午後四時半。

 近頃、急激に寒くなった。


「日が落ちる速度について行けてないよー。もう六時なんじゃないかって思うよね」

「ええ……。食事の準備も、つい焦ってしまいます」

「あーそっか、毎日大変だよねぇ。たまには外食とかしちゃダメなの?」

「蓮見さまが許せば」

「だよねえ。もー、みやちゃんだなぁ」


 あははははは。何がおかしくなくても笑える、多感な奏多である。

 みやも釣られてくすくす笑い、二人並んで歩いていた。


「そだそだっ! ねえ、コロッケ食べないっ?」

「コロッケ? 今から作るとなると……」

「じゃなくてさ、ショッピングセンターの中に美味しい揚げ物屋さんがあるの知ってる? 基本定食のレストランなんだけど、一個からテイクアウトもいけるって。美味しいんだってさ」

「……なるほど、買い食い」

「それそれ」


 食事は座って行うものである。

 という常識で生きてきたみやは、この奏多に出会ってから「買い食い」を教わった。以前にもショッピングセンター内のマドレーヌを購入したことがある。

 歩きながら食べ物をつまむという、ちょっとお行儀の悪い行為を、みやは気に入っている。


「じゃあ、一個だけ」

「おけおけっ! 行こ!」


 このまま真っ直ぐに行けば帰路だが、左に曲がってしまう。と、絲倉町内で特に主要な大通りに出る。道なりにいけば、目的地まではさほどかからない。

「寄り道、ちょっとは慣れた?」「ええ、少しは」「あの人に怒られたりしない?」「心配はされますが、遅くならなければいいみたいで」「ふうん? 怒られたらわたしに言ってね。だいたいはわたしが誘ってるんだし」奏多は如月蓮見と初めて会話をしてから、許嫁に過保護で少し偏屈な外面の良い腹黒男と思っているらしい。


「じゃあ何かあれば、遠慮なく奏多さんの名前を出しますね」


 二人は、無事にショッピングセンター三階のフードコートでコロッケを入手した。本屋にも寄ってしばらく過ごし、外に出る。

 ショッピングセンター入口前の、広場にて。


「おい」


 声をかけられた気がする。

 みやは気のせいだろうと思った。ここは人通りも多いから、別のグループだろう。知り合いの声でもなかった。

 気にせずに奏多と会話を続け、歩いて、


「おいッ!」


 肩を強く引かれた。


「お前だお前っ!」

「ぇ……?」


 あえなく後ろに転びそうになったけれど、奏多が慌てて腕を引いて止めてくれた。

 振り向くと、そこにはくたびれたスーツの中年男性が立っている。目の周囲に深い隈が染みついていて、髭もまばらに生えている。深い疲労が見えた。

 奏多を見ても、「知らない」と首を振る。

 もちろんみやも、こんな男性を知らない。


「あの、なんですか……?」

「なんですかじゃねェんだよっ! このっ、小娘!」


 自分の肩に、知らない男性が触れている。それだけで、みやの背筋がぞわりとした。これまでこの体に触れる男性といえば、医者と許嫁だけだった。


「ちょっ、セクハラー! ガチにやばいからさそれ、みやちゃん放してよ。けーさつ呼ぶよ!」


 奏多が男性の腕をぐいぐい引っ張って言うけれど、


「人が何度も呼んでんだろ! 返事ぐらいしたらどうなんだ!」

「き、気付かなかったのは、申し訳ないと……」


 男性は、みやしか目に入っていない。

 狂気的ともいえないけれど、正気でもない。何かに焦り、苛立っている。

 ショッピングセンター前の通行人は、みやたちをちらりと目に入れて通り過ぎた。何人かは足を止めて、遠巻きに見ている。


「えっと、私が何か致しましたでしょうか……?」

「依頼がある。如月家に取り次いでくれ」


 みやは、内心「なんだ」と安心した。自分が彼に何かをしたわけではないようだ。

 如月家の関係者である以上、こういった事態を想定した対応がある。


「そういうことでしたら、如月家の本邸に直接お話しください。私は彼らの立ち合いや許可がなければ、依頼者様の対応を許されておりません。ご依頼用の電話番号ならお教えしますので、」


 何かメモを取れるものを――と続けようとした途端、


「それができねェから! わざわざ! てめェに言ってんだよ!」


 突き飛ばされた。周囲から非難の声が上がったけれど、男性は止まらない。見るからに弱い彼女に、己の苛立ちを押し付けようとする。

 男性の鞄が大きく振られて、


「ひっ……」


 みやの顔に叩き付けられた。

 男にとっては少しの威圧のつもりだったのだろう。

 だが不運なことに、鞄についていたキーチェーンが、みやの右目に当たってしまった。彼女は衝撃でその場に座り込み、両手で右目を覆う。


「っみやちゃん!」


 すべてを見ていた奏多は両者の間に割入って、みやの前に膝を着く。


「いっ……、う」

「大丈夫? じゃないよね? どうしよ、病院、救急車? どうしよ、ええっと」


 おろおろとする奏多が、とりあえず警察に通報した。立派な傷害事件だ。問答無用だ。慈悲などない。



 みやが痛みに耐えていると、まばらな人垣から声がする。


「なんて罰当たりな」


 八十代ほどの女性だった。

 それを皮切りに、件の男性へ敵意の視線が集まった。


「……んだよ。大袈裟な……」

「あんたァ、自分が何したかわかんないのかい」


 ――これはまずい、かもしれない。


 みやは場を収めようと口を開くけれど、小さな声で「やめ、……ぇくださ、」とかすかな声しか出ない。右目が痛い。ずきずきとする。

 その間にも、周囲の様子は変わっていく。

 こつ、と杖をついた足の悪い七十代の老人が吐き捨てる、


「今に祟られるぞ、馬鹿もんが」


 友人と見ていた中学生女子たちがこそこそと、


「終わりじゃん」

「あれやばくない?」

「これ知ったらばーちゃん怒りそ……」


 ひそひそ、そよそよ、不穏な囁きが男性に向かう。


 みやの周囲には年代もバラバラな四人ほどの女性が集まり、「形栖様」「誰か救急車を」「ああ、お可哀想に」と気遣う声を向けてくる。一番近くにいた奏多は、その光景に怖気づきはするものの、離れようとはしなかった。


 絲倉町。

 唯一の神社に祀られる神と、その直系たる如月家への、深い信頼がある田舎町。

 薄れつつある信仰が、しかし途絶えたわけではない。

 信仰心の分厚い町民は、如月家に嫁入りするのは形栖家であると認識している。名付け子が選ばれるよりも『正統』な嫁を、偏執的に歓迎している。


 神聖な嫁入りに、一切の瑕疵もあってはならなかった。


 ――だからって。

 ――私が少し傷付いただけで、この反応。


 わかっていたはずだけれど、みやは己の立場が空恐ろしくなって、傍らの奏多の袖をぎゅうっと握る。それをどう受け取ったのか、奏多は「如月さんの連絡先、教えてくれる? 電話するよ?」と気遣ってくれた。ある意味では正しい判断だ。


 けれど連絡の必要はないだろうと、みやは確信している。

 彼は確実に、ここに来る。




 感情に任せた行動が大事になってしまった。男性は、その事実を徐々に飲み込んで怖くなったらしい。この場から立ち去ろうと周囲を見る。けれどすでに何人もの町民が周囲を取り囲んでいて、男性を逃がすまいとしていた。

 蹲っているみやは、タイヤがきききと軋む音を聞いた。

 人込みからほど近い車道に、車が止まった。ドアが開く音。からからと乾いた草履の音。それらはすべて、みやに覚えのある響きだった。

 ざわ、と一瞬大きく騒いだ後、人垣が静かに割れる。

 みやの介抱をしようとしていた女性達は数歩下がり、傍には奏多だけが残った。


 ――ああ、


 目の痛みは止まらない。けれど彼の気配を感じるだけで、安心する。

 無事な左目は、目の前に片膝をついた彼を捉えた。初恋の相手。いつもは、どうしようもなく怖い許嫁。一つ年上の美しい彼。


 ――蓮見さま。私の、旦那様になるひと。


 気が緩んだせいで、痛みも恐怖もぶり返してしまう。疼痛を訴える右目からじわりと涙が溢れてきた。

 みやの肩に触れていた奏多の手が、戸惑いがちに離れた。

 壊れものに触れるように優しく、頬にそっと彼の手が添えられる。そのまま上を向かされると、痛ましげに見下ろす視線としっかり合った。


「目が開かない?」

「ぃ、痛くて、開けられません」

「そう。……彼女を連れて病院に行くから、警察呼んで説明しておいてくれる?」

「わかった! 通報はしたよ! なんかあったらみやちゃんのスマホにかけるから、急いであげてっ!」


 みやは蓮見に支えられながら、ゆっくりと立ち上がった。


「待ってください、お、おおお、オレ、どうしても依頼をっ」


 男が蓮見に追いすがる。みやへの不遜な態度とは正反対に、腰が引けていた。二回りほども年下の男子高校生に対する物言いでは、確実になかった。それは異様な光景だろう。ここが絲倉でなければ。

 みやは男の声を耳に入れるまいとする。もう関わりたくなかった。

 けれど男の手が蓮見に伸ばされた時、彼女は咄嗟に動いてしまう。男が蓮見の袖に触れる前に、ぴしゃりと払い落した。

 自分でも、何故そうしたのかはわからなかった。


「この、小娘……っ」


 激高混じりに呼ばれた。

 その瞬間、隣から重い気を感じた。「はすみさま」みやは片目で蓮見を見上げる。

 彼は男を見ている。死を宣告する死神のごとき冷淡な瞳で、


「言い分は警察か弁護士を通してください」

「き、如月さま」

「女性の顔に傷を負わせたんだ。俺の許嫁に対して、その物言いも看過しがたい」


 周囲の町民は、彼の『お言葉』をじいっと聞いている。


「貴方は今後一切、関わらないでいただきたい」




 ――如月家に関りを絶たれた人間というものを、みやは見たことがなかった。

 車に入り、窓からちらりと外を見ると、あの男性が地面に座り込んで呆然とこちらを見ていた。

 目が合った。

 

「……っ」


 憎悪を煮詰めて眼球の形にして埋め込んだような、黒々しい視線。そんな彼を囲む町民たちは一様に冷めていた。けれどそこから動かない。――警察が来るまで、男性を監視しているのだ。誰が命じたわけでもない。みんなで団結して、如月家の意向を汲んでいる。

 みやは、あの集団から咄嗟に目を逸らした。右目はまだ開かない。


「出して」

「はい、坊ちゃん」


 運転手は名取らしい。いつものおばちゃんスタイルで、アクセルを滑らかに踏み込む。


「病院に行くのですか? お嫌いでは」


 病院は死穢があるから、如月家の人間はあまり近寄らない場所であるはずだ。


「目は繊細だからね。万が一の時に、すぐに詳しい検査が必要になるかもしれないし」

「なんなら、私一人でも」「だめ」「……わかりました」蓮見に弱いみやは、それ以上食い下がれない。


「あの方は如月家に依頼があったようですが」

「うちとしては、あの男を助けないことに決めている」


 将来の嫁に傷をつけたからだろうか。それにしては、前々から決めていたような口ぶりだ。みやの疑問を認めて、蓮見は少し考えて、


「あんまり詳しくは言えないけど、うちで呪いを返した結果のアレだからね。自業自得とも言えるものだから、これ以上関わっちゃだめ」

「なるほど」


 そういえば呪い返しは祓いと同じく、如月家のお家芸とも言える術だ。そうして返された呪いがどうなるのかを、みやは見たことがなかった。

 ――あの男性は、とても窶れていた。


「それに、みやに傷をつけた」

「と言いますけれど、あまりどこかを切った感覚がなくて」

「苦痛があるなら傷があることと一緒」

「……はあ」


 つまり、血も出ていないのだろう。あっても掠り傷とか、その程度だ。みやは自分の顔が今どうなっているのかわからないけれど、残る傷とは考えにくい。

 その程度のことで彼の怒りを買うのは、恐怖があり、罪悪感すらあり、――けれどほのかに、薄暗い嬉しさのようなものもあった。決して認めてはいけない感情だった。

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