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序章

 一、形栖みやの忌み名を二度と使わない。


 二、街中では無意味な接触をしない。

 三、みやに甘い対応をしない。


 後ろふたつは、松野愛理の件が片付いたばかりのある日に決めた。

 如月蓮見の隣に突如現れた婚約者――みやは、本人はそう願っていなくても、周囲に想像以上の動揺を与えてしまうらしいから。


 約束ふたつめの、『無意味な接触をしない』

 たとえば、街中ですれ違っても会釈で済ませる。

 けれど危険があれば結局は傍にいるし、雨の日は晴れの日よりも人目に付きにくいので、少しなら許容範囲だ。――という蓮見なりの個人ルールを定めている。


 みっつめの、『みやに甘い対応をしない』

 その理由は単純だ。

 彼女は、蓮見が優しいのが怖いと言った。それなら多少は厳しく当たったり、酷いことを言ったりすればいいんじゃないのかな。というのが、見た目に反して思考が雑な蓮見の結論だ。

 たまに『お馬鹿』とか『迂闊』とか、悪口を言わなければいけない。


 元々、曖昧なルールだ。

 松野愛理の自殺と、みやの忌み名による洗脳。これらの事件は両者共に衝撃を受けて、自分たちを慰めるためにも必要な措置だった。

 事件から少し経った今、後ろ二つの約束だけは、やはり徐々に風化している。


       *

 

「貴方が卒業したら、結婚式やりましょっ」


 きゅぴんっ!

 その命令は、アイドルばりの完璧なウインクと共に飛んできた。

 蓮見はたっぷりと間を置いて、


「は?」

「みやさんとぉ、式を挙げるのぉ。わかっていたことでしょお?」


 だだ広い座卓を挟んで相対しているのは、女である。

 蓮見と同じ薄茶色の髪を持ち、垂れた瞳は濃い茶色。一見して、二十代前半ほどの女性だ。みやよりも軽薄そうな仕草で、身長は低い。

 だが蓮見の母親、御年三十六歳である。これぞ如月家の秘術かと誰もが一度は考えるほどの若々しさを保った彼女は、如月家の現当主だ。

 彼女は蓮見に無茶なお願い事(めいれい)をしてくる。その声は若く、けれど強く、当事者である蓮見本人も知らない予定をここぞとばかりに知らせてくる。

 どうしてこうなったのだろう。

 定期的な近況報告をしに来ただけなのに、こんな爆弾を投下されるなんて。泥酔したサラリーマンの寝言の方がまだ脈絡がある。


「予定では、みやが卒業してからと……。一年も早まるなんて、聞いておりません」


 あと、そういう重要な話をするなら前置きがあってほしい。――というお願いは、そっと心にしまっておく。


「たった一年の差でしょぉ? こーゆーのはねぇ、早い方がいいのぉ。そぉねぇ、んー……、必ず卒業しなきゃ死ぬわけでもないしぃ、どーせ家で囲うことになる女に、学が必要とも思えないわぁ。そーよ、なんなら今すぐ退学させて、」

「いつの時代の話ですか。家にいるにしたって、学が有るのと無いのではまた違うでしょう。彼女は読書も好みますし、近頃は学校の図書室にも通っていると聞きます。好奇心だって、」

「好奇心なんてぇ、如月家では毒でしょぉ?」

「母さん」

「やーっ! 母上って呼んでっ」

「………………………母上」


 この広い和室には、一組の母子しかいない。使用人は全員が下がり、母子のどちらかが手を叩けば反応できるよう、襖と障子の外にきちっと構えていた。

 母子は、そんな環境にも慣れている。


「もぉ花嫁衣装や招待状だって作ってるしぃ、献立から扱う食材の選定も始まってるしぃ、もう決まったことよぉ。諦めなさぁい?」

「しかし……」


 渋る蓮見に、


「嫌じゃ、ないんでしょお?」


 にやん、と嫌な笑みが向けられる。

 よく笑う母親。

 蓮見は己のことながら、この母の血をよく継いでいると思う。それにしたって、自分はここまで嫌な笑顔はしないだろうけれど。苦虫を五百匹ほど噛み潰した顔で、蓮見は母親の言葉を認める。

 ――嫌じゃない。

 認めなければ嘘だ。

 彼女と一緒になれるのは、嬉しいに決まっている。


「俺としても、婚姻は喜ばしいことではありますが……、せめて彼女の意思を聞いてからでも良いでしょう」

「みやさんは蓮見に従うでしょ。その蓮見が決めてあげないと、あの子も決められないわよぉ」


 つまりは、ここでの決定が、みやの決定になる。

 それなら彼女に意見を聞く方が無駄だと、母親は言う。訊ねておくだけでも印象は違うと思うのだけれど。 

 学生結婚。

 みやがそれを知ったら、どう思うだろう。

 蓮見は母親から目線を逸らし、


「……わかりました。みやには、俺から言っておきます」


 はあ、と深い溜息を吐いて、


「……?」


 障子の方を見る。向こうにあるのは庭と、使用人の二人だ。物音がしたわけでもない。

 けれど蓮見は外が気になった。そのずうっと遠くに、何かがある気がして。


 母親は「行っていーよぉ?」と許可を出した。

 それは如月家の血を継ぐものなら覚えのある、直感だった。

 こういう時も、やはり母子なのだなと、蓮見は自覚する。

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