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止めた方がいいですよ

 木沢奏多は、形栖みやを友人として気に入っている。


 彼女を初めて見たのは、高等部への入学式の日だった。正門から入ってすぐに貼り出されていたクラス分け表の前に、彼女が一人でぼんやりと立っていたのを覚えている。

 奏多だって一人だったけれど。……いやそもそも、高校生にもなって親と一緒にクラスを確認している方が珍しいのだけど。それに高等部は中等部からの持ち上がりが大半で、どこのクラスに言っても半分以上が顔見知りである。


 そんな状況だから、外部からの新入生は目立ってしまう。

 形栖みやがそうだった。どこか心許ない後姿が、周囲と比べて一層独りを感じさせた。


 綺麗な黒髪が真新しい白い制服によく映えていた。

 新入生たちは、彼女とは少し距離を置いているように見えた。どうしてだろうと、奏多は思った。


 ――単純に近寄りがたかったのだろうと、今ならわかる。

 下駄箱に向かおうと、表から離れていく彼女の横顔は、とても綺麗だったのだ。


 案の定、彼女は浮いた存在となった。

 綺麗だから。近寄りがたいから。成績も目を瞠るほど良くて、何を考えているのかわからなくて、大人しい子だから。拭いきれない違和感があるから。


 孤立の原因は、『形栖』という苗字。

 違和感の原因は、誰も彼女を知らないことだった。


 女子特有の情報回路をもってしても、彼女がどこの学校から来たのかわからなかった。

 形栖家の者ならば、この地域で育ったはずだ。

 如月家と形栖家は、この地方では特別な家柄だから。詳しいことはわからないけれど、とにかくそういうものらしいから。

 如月蓮見は幼少期から有名だったけれど、形栖みやは高等部になって突然現れた。その特異性が――いや、彼女のすべてが謎で、不思議で、少々不気味なのである。


 そんな彼女と初めて会話したのは、ある雪の日である。

 学校指定の黒いコートを着て、白い息を吐きながら下校していた。何度も踏み締められて固くなった雪を、さらにしゃくしゃく踏み潰し、静かな住宅街を歩いていた。あと十分ほどで自宅に着くところだった。


 ふと。


 視界の端に何かが引っ掛かって、足を止めた。

 ある家の石塀の下に、手袋がぽつんと落ちていた。雪の上にあって、まだ新しいから、きっと落としたばかりなのだろう。

 白いトナカイと雪の結晶という、何とも冬らしい、毛糸の赤い五本指手袋。

 奏多はそれに手を伸ばした。

 落とし物の近くに交番がなければ、とりあえず近くの塀かフェンスに引っ掛けておくのが奏多流なのだった。

 身を屈めて、手袋に触れようというところで、


『止めた方がいいですよ』


 背後から声がした。

 綺麗に透き通ったソプラノ声が、奏多を飛び上がらせた。

 ばくばくする心臓をごまかしながら振り返ると、そこには彼の形栖みやが立っていた。着物の上に上着を羽織り、お上品に揃えた両手に巾着を提げて、いかにもこれからお出かけしますという出で立ちだった。


『えっと、……なにが?』


 何に対して、止めろと言われたのか。

 奏多が言葉少なに問うと、彼女は無表情を全く動かさずに、


『その手袋、()()()()()()()()()




 ――何度思い返しても、なかなか衝撃的な初対面だなぁ。

 結局あの時は、みやから視線を外して再び手袋を見ようとした時には、もう何もなかった。あの出来事が、奏多がみやを気に入るきっかけになったわけだけど。

 あの時と同じ場所にちらりと目線を遣ってみても、そこにあるのは側溝の蓋と影だけだ。


「あっづー……」


 ほぼ真上から照り付けてくる陽光がうざったい。蚊もまだまだ現役だし、日焼け止めを塗った肌は汗も混じってべとべとする。

 奏多は夏が嫌いである。

 

 地下通路に入った。

 そこは絵や有志の作品などの展示も兼ねていて、分厚い硝子の窓があり、内部に展示物が飾られる。通行人は暇つぶしに眺めながらここを通り過ぎていく。

 昨日までは、近場の小学校の低学年生作『こんなのあったらいいな! ~みらいのオリジナル風鈴~』だったのに、今日はもう少し大人向けになっている。何かのコンテストで入賞した水彩画コレクションのようだ。審査員賞だとか美術館長賞だとか、様々な賞があるらしい。

 見ていく。

 花火、夏のプール、静寂感漂う神社、海、夕暮れの教室、

 お? あれは。

 奏多の視線が、進行方向で止まる。

 つい数分前に思いを馳せていた友人、形栖みやがいた。

 彼女はある絵を熱心に見ている。

 奏多はそろそろと、みやの方に歩いて行った。

 高校生絵画コンテスト。

 水彩の部金賞、タイトル『祝い』。

 流れのままに講評を読む。光と影の表現が素晴らしく、月光に漂う埃の動きや、蝋燭の火の揺れすら伝わってくる。十分な実力と可能性を感じさせる作品――なのだそうだ。


「…………。」


 メインは室内の風景のようだけれど、左下に正座している女の子の後姿がある。赤い着物で、小さな足にはきっちりと足袋を履いていた。女の子を中心に何冊もの本が散らばっていた。灯りは文台の上の蝋燭一本と、高窓から射し込む月光だけ。

 作者、


「――如月蓮見?」

「うわっ!?」


 うわって。


「みやちゃんにしてはおっきい声だねえ」

「奏多さん……もっと普通に声をかけてくれたらいいのに……」

「えへへへへ」


 奏多は、みやがしばしば見せる人間らしい面が大好きである。


「これすごいよね。何食べればこんなの描けるんだろー! こんな暗いのに着物とか本の色とかちゃんとわかるんだもんっ」

「……ええ」

「水彩だよね? 普通に色混ぜるだけだとこうはならないよねー」

「水彩は絵の具を混ぜるほど汚くなってしまいますからね。乾き具合を見たりして、徐々に重ねて塗っていくんです」

「そうなの? みやちゃんも、絵とか描くの?」

「いえ、蓮見さまに教えていただきました」

「なるほー、本人からか」


 そりゃ優しく教えてもらったに違いない。

 奏多は如月蓮見という人物のことをよく知らないけれど、噂によれば物腰柔らかで、体が弱い代わりに才能に溢れ、けれどそれをひけらかさない、春を擬人化した存在なのだそうだ。

 春。

 それならみやちゃんはなんだろう?

 ひっそりとして、静かで、ちょっと寂しい感じの。


「秋かな……?」

「何がですか?」

「みやちゃんっぽい季節、みたいな?」

「なるほど」


 意外とあっさり受け入れてくれるところも大好きである。


「それでは奏多さんは……、夏、でしょうか」

「なーに? うざいとか暑苦しいとかそういうやつ?」


 ふてくされて、奏多は背を向けた。出口へ向かって歩いていくと、みやも控えめに笑いながらついて来る。


「どーせ体力と趣味だけの女だし間違っちゃいないけどさ!」

「いえいえ、とんでもない」


 地下通路を抜けた途端、忘れていた眩しさが一気に押し寄せた。

 両目に光が染み入って、その瞬間、みやがぼそりと呟く声が聞こえた。


「ただなんとなく、夏がお好きなのではと」


 気のせいかもしれないので、奏多は聞かなかったことにした。

 奏多は夏が嫌いである。

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