本人に聞くしかないんじゃないかな
『ちょっとコンビニ行ったら、如月先輩が神社に向かってるのを見て、もし、見つかったらって、……先輩はもしかしたら、おまじないをやった人の名前とかも、わかっちゃうのかなって、怖くなって、それで、いてもたってもいられなくって、私、……お願いします、先輩には私のことを言わないでください。お願いします、お願いし』ぶつ。観月がスマホの停止ボタンを押すと、再生されていた音声が止まった。
一拍置いて、蓮見がコメントを入れる。
「藁人形と『ひとりかくれんぼ』のミックスみたいだね」
「あっ、僕それ知ってます。絶対やっちゃダメって言われてる都市伝説ですよね」
はい! と挙手する義弘が、蓮見に懐く仔犬に見えてきた。蓮見も「そう、よく知ってるね」と微笑を交えるものだから、「年下たらし」とあだ名を付けられたって文句は言えまい――と、みやは思う。そのあだ名は今のところ、みやしか知らないけれど。
つい十五分前まで結崎瑠香がいた席に、今は蓮見が座っている。
瑠香が帰宅したのは、あまり長時間出かけている予定ではなかったという理由から。蓮見が誰も連絡をしていないのにこの喫茶店に入ってきて、迷う様子もなくみやたちのテーブルにやって来たのは、すべて彼の超能力じみた直感からである。
「ひとりかくれんぼについては置いておこう。似てはいるけど、これは建前上、呪術でなく降霊術の扱いになってる」
「そういう言い方ってことは、実際には降霊術じゃないんですか? 僕はそういう遊びだって聞きましたけど」
「人形に自分の爪を切って入れてる時点で、それは自分の形代といってもいい。それを傷つけるってことはつまり、自分で自分を呪ってるってことにもなる。絶対やっちゃだめだよ」
「はーい」
午後二時。
店内の客は、みや達以外にいなくなっていた。
蓮見が頼んだ『マスターこだわりアイスブレンド』は、まだ来ない。
「そのおまじないのことだけど、神社を使うのはよくあることなんだよね。特に縁結びで有名な神社は、呪詛の現場になりやすい」
そもそも藁人形、丑の刻参りが京のとある神社の発祥とされているのは、有名な話だ。
「一番よくあるのでは……、絵馬ってあるよね。誰と結ばれたいとかいうお願いが書かれるやつ。だけどその裏側には、誰と誰が別れますようにって書かれたりすることがある。これは願い事であり、呪いでもある」
願掛けの場は、欲望が渦巻いている。だから神社を呪術の場とするのは、ある意味では仕方のないことだ。
「椿山神社は縁結びの神社ではないけど、この辺の神社って一つしかないし、まあ仕方ないね」
蓮見はしょうがないしょうがないと納得顔で頷く。
みやはそれを聞きながら、アイスティーを味わっていた。話は耳に入れている。ただひたすら聞き役に徹していたものだから、突然「みや」と呼ばれて驚いた。
「はい?」
「みやが見たのは、穴を掘る夢なんだよね? おそらく松野愛理の」
「……そうかと、思います」
穴を掘る。
人形を埋める?
みやははっとして、隣の蓮見を見上げた。
松野愛理が形栖みやを呪うために、穴を掘っていた。辻褄が合ってしまう。思考が嫌な方に向かおうとする。現状ではそれが最も自然で有力な答えだ――けれどそれが真実とは、どうしても思えない。
だからみやは、断言する。
「でもあの方は、呪いなんてするようには思えません」
松野愛理は呪術になど手を出さない。むしろ「アホか」と笑い飛ばしてほしいくらいだ。それは、みやの願いでもある。
蓮見は珍しく、みやの訴えに頷かなかった。
「実はね、名取から情報が送られてきてるんだ」
そうして見せられた彼のスマホには、地図が表示されている。絲倉町の中でもごく一部が拡大されていて、地図上には十個ほどの赤い点が意味深にマッピングされていた。
赤い点はすべて、絲倉学園から椿山神社までの道のりに点在している。
「これは?」
「松野愛理が亡くなる前、約一か月間の、彼女の目撃情報。夜間に限定してる。これを見るに、結構な頻度で出歩いているね」
「こんなに、ですか? 女子高生なのに、誰も注意しなかったのでしょうか」
「何回かは注意されていたらしいけど、そもそも彼女のことだからね。高校生になってから収まっていただけで、元々素行が良くはなかったから、見逃されがちだったんじゃないかな。……またか、いつものことか、って」
蓮見は地図上を指さして、
「この赤い点は、学校から神社までの道に沿ってるよね。学校の長期休み中って、警察の見回りは繁華街を重点的にしてるから、彼女一人は見落とされてもいたんだと思う。繁華街って、神社よりずっと上の方だし、彼女なら、そういうことにも敏感だろうし。ね?」
「…………。」
松野愛理は夜な夜な神社に行って、何らかの目的のために、木の下で穴を掘る行為を繰り返していた。みやはその事実を突きつけられて、何も言えなくなってしまう。
「質問いいっスかね」
「うん? いいけど」
観月が真顔で挙手をする。
「神社っつーのは解るんスけど、学校には何の用があって?」
自宅から神社への道のりが示されるなら自然だけれど、学校から神社の道に沿っているのは何故か。
蓮見はきょとんとして、
「ああ、そっか、話したことなかったね」
一人で納得した。
「絲倉学園に入学して以来、松野愛理はほとんど自宅に帰っていないんだよ。学園の寮を使っていたから」
「えっ、愛理は家に住んでたんじゃないんですか?」
「従弟でも知らなかったんだ? まあ、性格的に自分からそういうこと言いそうにないからね。君の祖父母なら知ってるとは思うけど」
「大変お待たせいたしました、当店のオリジナルブレンドです」
「ありがとうございます」
蓮見の前にドリンクが置かれた。ガムシロップとフレッシュには手を付けず、そのまま口を付ける。彼の喉がこくりと上下した。着物の彼にコーヒーのグラスは不思議と似合っている。「……ん、美味しい」と素直に感想を零す彼の向こうのカウンターで、マスターらしき人間が無言でガッツポーズをしていた。みやだけしか見ていなかった。
「松野家は家庭環境に問題はあるけど、暴力などの積極的な虐待は無いってことで、松野愛理は如月家の介入を含みながら中学卒業までを家で過ごしている。その後は、本人の希望で絲倉学園の寮に移った……はずだよ」
けれど絲倉学園の寮は、白女の寮と同じく、原則的に遠方からの学生しか受け入れないはずだ。みやがそれを指摘すると、蓮見は「原則はそうだね」と認めて、
「だけど、名付け子は保護するのがうちの方針だから」
如月家が問題なく調整したと示した。権力とは偉大である。
寮からまっすぐ神社に向かっていたなら、この目撃情報は不自然ではない。彼女は神社だけに用があったのだ。神社でしか行えない目的があった。その目的は考えるまでもなく――松野愛理を庇う要素もない。
みやが呆然として、義弘を見る。従弟ならば何かを知らないのか。松野愛理にとって都合の良い、無実の証拠を。
けれど義弘は申し訳なさそうな顔をするのみだった。
「……愛理が何を考えていたのか、僕にも分からないから」
結果だけ知りたいのだと、割り切った答えだった。
疑いの矢印がすべて松野愛理に集約されていく。「そんな」と萎んだ声で落ち込む彼女の頭に、ぽん、と許嫁の手が乗った。そのまま優しく撫でられる。慰められている。
「一つ問題がある。椿山の杉の木の下に穴を掘った形跡は多数あったけど、そこには何もなかった」
「……何も?」
おまじないで必要な、フェルトの人形も?
「何も。俺が自分で掘って確かめたんだから、間違いないよ。山に入って、痕跡を五個見つけて掘り返してみたんだけど、本当に何も見つからなかった」
どういうことだろう?
おまじないの媒体が消えている?
「神社の関係者が、何かの目的で掘った穴とかじゃ?」
「それはないね」
義弘の問いを、蓮見は一蹴した。
「穴には悪意の気配が微かに残ってた。素人技ではあるけど、あれは呪いの形跡だよ」
話に夢中で気が付かなかったけれど、店内の灯りが強くなっている気がする。さっきまでは、昼の陽光がまだ感じられたのに。みやが窓の外を見ると、外は薄暗くなっていた。空は灰色だった。夏の熱気と湿気で育った濃厚な雲が、頭上十数キロメートルもの高さに積み上がって、絲倉町を覆っている。
垣間見える稲妻は、ほのかなピンク色に見えた。雷音が聞こえる。
義弘がテーブルに突っ伏した。
「なんか色々とわけわかんなくなってますけど……なんでこう発想力を試されてるんですか……謎解きしたいわけじゃないんですけど……」
「本当にね……。……みや?」
「あ、なんでもないです。降りそうだなって」
蓮見が窓の外を見て、
「……本当だ。夕立でも来そうだね」
「げっ、僕傘持ってきてない」
「それはご愁傷様。この分だとすぐ降り出してすぐ止むだろうから、それまでここに居ようか」
「うぃっす」
男子二人の応酬を聞きながら、みやは自分のペースで思考を再開する。
――そもそも――、
みやが蓮見の横顔を見上げると、気付いた彼はすぐに「なに?」と答えてくれた。
「穴を掘り返して確かめたということは、神社に来る前には、すでにおまじないをご存じだったのですか?」
「いや、知らなかったよ。ちょっとここ掘れにゃんにゃんされただけ」
「にゃんにゃん……」
みやの頭の中で、黒猫が尻尾を地面にぺしぺし打ち付けた。それに「はいはい」と従う旧家のご子息を想像すると、恐れ多くもシュールである。
「俺も椿山神社の『あれ』には逆らえなくてね。それで掘ってみたら何もないし、揶揄われているのかと思ったくらいだよ」
がたん。
今まで黙っていた観月が、家賃の支払いを渋られた取立屋の勢いで立ち上がった。
「いんやちィっと待っていただきてェんすけど。……自分で掘った? 坊ちゃんが?」
「うん」
「はァああああああアァん? ご自分で土いじり? なんっ、なんつーことを……、いやいやいやいやいやカンベンしてくれや……、ご自分の立場っつーかよォ……弁えてもらいてェんスわ」
「ごめんごめん」
傍目から見れば、ただの『不良に目を付けられた良いとこの箱入り息子』である。
「いやだって、道具なんざ持ってねェでしょう」
「二個くらいまで素手だったけど、途中で巫女にスコップ借りた」
「素手ぇ……? ……、……素手で……?」
舎弟に手を出された暴力団組員の形相でわなわなと見下ろされても、蓮見は動じなかった。動じたのは周囲の人間だった。遠くから様子を窺っていたマスターの手が、そっと電話の子機に伸びて、こちらのテーブルをちらちら気にしながらボタンを三回押した。みやが目線と手振りで「大丈夫ですちょっと不器用なだけの身内ですお構いなく」と説得しなければ、うっかり警察沙汰になっていた。
窓にぽつぽつ雨が当たる。その勢いは増していった。雨粒が窓をびっしり覆う頃になると、重みを増したそれは窓を伝って落ちていく。――微かな筋を遺して。
「――さて」
蓮見は片手で、観月に「座って」と促した――命令でもあった。それは人を使うのに慣れた所作だ。不機嫌顔から一転して一も二もなく従う観月もまた、蓮見に使われることに慣れていた。
蓮見はテーブルに両肘をついて、緩く手を組む。
「ここまでの意見を纏めて、考えてみたんだけど」
ここからが本題であるらしい。
「もしかしたら松野愛理は、おまじない自体を行っていたのではなくて、回収していたのかもしれない」
「……何の意図があって?」
みやが聞くと、
「さあ。本人に聞くしかないんじゃないかな」
可能ならねと、蓮見は軽く付け加えた。




