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松野愛理1

『俺の許嫁?』


 放課後の美術室で、そいつが笑う。心の声がちょっとはみ出しちゃったみたいに。


『……うん、好きだよ。どんな、って言われると、……うーん、大人しくて、ちょっと意地っ張りで、可愛い子』


 それと――、

 そいつはとびきりの宝物を自慢する声色で、


『髪がすごく綺麗なんだ』


 そうやって無神経にあたしの前で惚気たあいつは、あたしの苦労なんて知らないんだろう。

 誰のためにこのクソほど頭の良い学校を受験したと思ってるんだ。誰のために金髪を止めて、いい子になったと思ってるんだ。誰のために頑張ったと思ってるんだ。

 全部全部、あたしらしくもないことを、一体誰のために。

 そう考えて、悔しくないわけがなかった。あたしは自分の中の恋心に気が付いていた。我ながら笑っちゃうくらいいじらしくて繊細で粘着質な、だけどちょっとくらい報われてもいいような、恋。

 想うだけ無駄だけど。知ってたけど。


「わかってたのに、どうして」


 ――どうしてこんなに、悲しいのだろう。



 ある日の放課後、忘れ物を取りに教室へ戻った。


「つかさー、ありえんくない?」


 わりと大きな声が聞こえた。教室の中から、ドア越しに聞こえていた。

 クラスメイトの、知っている女子だ。おそらく高校に入って化粧を覚え始めた、平凡な見目の、成績は悪くない三人組だったと記憶している。それほど親しくはない。


「今更許嫁って。形栖家のってどゆこと?」


 責めるような口調だった。

 あたしは、ドアを開けようとする手を引っ込めてしまいそうになる。


「今までどんだけ如月くんに純情と貴重な時間捧げてきたと思ってんの。返せよチョコ買う金」

「いやいや、あっちはアンタの存在認識してないんじゃないかな?」

「毎年その時期は紙袋持参しちゃってるもんねぇ。中学生くらいからだっけ。そん中のチョコの一つにすぎないよぉ」

「あ? 喧嘩売った?」

「売ってないよ厳然たる事実だよ落ち着けよ」

「今だから言うけどさ? 斎藤くんから告られたんフッて一途アピしてたんですけど……」

「クソほど馬鹿じゃん」

「うっわぁ低能アンド低能イン低能ウィズ低能~~」

「あーもーうるさいな! 悲惨な語学力晒すなや!」

「Are you stupid?」

「乙女と言え」


 馬鹿っぽい会話だ。

 これ以上ここにいたくもなくて、あたしはわざと音を立ててドアを開ける。

 談笑がぴたりと止んだ。

 あたしは窓際でたむろしている彼女らには目もくれず、自分の机に向かった。

 机から目的のプリントを取ってさっさと退散しようとすると、


「ね、名前知らない? 如月くんの許嫁ちゃんのさぁ」

「は?」


 あたしに言ってんの?

 彼女たちのリーダーポジションの女が、こっちを見ていた。


「なんで?」

「ちーっとね」


 そいつが言うには、噂の『おまじない』とやらを試してみたいそうだ。

こっくりさんみたいなオカルト系のやつ。話には聞いたことがあった。

特に寮暮らしの女子の間で、そういうものは定期的に流行るらしい。閉鎖的な環境において、日常のスパイスとして非日常的なものが好まれるというのは、わからなくもない。中学校で卒業しとけよとは思うけど。


「くっっっだらね」


 鼻で笑うと、


「いーじゃん別に。遊びだし」


 そいつもふてぶてしく言う。

 付き合ってらんないと踵を返そうとしたのに、


 ――『……うん、好きだよ』


 自分の傷の痛みを、思い出してしまった。


「名前、……名前ねぇ」


 脳内に桜が満開になってるあいつが、女子には平等を貫くあいつが、唯一わかりやすく可愛がっている女の名前。どこかで聞いたと思う。

 どこでだっけ?


「……みや、だったと思うけど」

「みや……、どんな漢字?」

「知らね。本人に聞いたら?」

「いっやぁ、声かけるとか普通に無理くない? あっちは白女のお偉いさんっしょ」


 それなら、そのお偉いさんより立場が上の男に付き纏ってるのはいいわけ?

 呆れて物も言えないから、あたしは口を噤むことにした。もう知らん、勝手にしろ。あたしはさっさと教室を出る。

 そこから離れたかった。あいつらと同類と思われたら冗談じゃない。

 廊下から出て、乱暴にドアを閉める。

 あたしが階段を一つ下りるまで、馬鹿みたいな彼女らの声が聞こえていた。


「お偉いさんっつっても偏差値的にはうちら圧勝なんですけどね」「んでも美人だよぉ?フィクションかってほど髪長いしおじょーさまって感じ。結局さぁ、住む世界が違うんだよねぇ」「実際違くね住む世界。あれ一見ほぼほぼ幽霊じゃん? あれで夜道に佇んでたらシャレんなんねっしょ? 写真に写ってたら一発で心霊写真判定もらっちゃうやつじゃんウケる」「『マジこわ』で紹介されたら賞金ワンチャンあるよね。今から撮ってくる?」「肖像権が死んじゃうやつだよぉ」「写真ならまあいろいろ使えるっしょ。さっき言ってたやつ、藁人形っぽいの」「あーそれっぽいのできそ」「えっ、ガチでガチで? こっわ誰だよ呪いとか言い出したの……ゆるふわ女子ガチ泣きしちゃうんですけど~~」「誰だよゆるふわ女子」「わたしかな」


 それは普通の会話だった。

 ただ気に入らない女子がいて、それが仲間内で共有できたことを幸いに、行き場のない鬱憤を晴らそうとするだけの会話。おかしいことはない、日常の一端。

 だって彼女たちは、あれでも、明確に誰かを傷つけようとは思っていないのだ。

 たとえば街中で『敵』たる形栖みや本人に道を尋ねられたとしても、意地悪などせずに何食わぬ顔で、快く正しい道を教えるのだろう。

 彼女たちは『善性』の一般人だ。誰も傷つけず、犯罪者にもならない彼女たちは、仲間内だけの敵を確認しながら、何食わぬ顔で生きていくのだろう。

珍しいことはない。

 だけど今たしかに、あたしの中に重い石が生まれた。

 心臓の中にぼつりと落ちてきて、どこにも取り出せない石が。

 その石の形が明らかになったのは、街中である少女に出会ってからだった。


 その日あたしは、レンタルビデオ屋に立ち寄った。休日の暇潰しは、街中でぶらつくのがいい。

 CDも扱うその店には試聴機もあって、特別な技術を用いた最新ヘッドホンの使用感がどうたらというポップがよく張り付けられていた。

 その試聴機の前に、着物の若い女がいた。同い年くらいだ。

 そいつは機械相手に何を戸惑っているのか、その場を退こうとして、やっぱり止めてと繰り返している。まったく煮え切らないやつだと思った。手にはちゃんとCDのケースがあって、聞いてみようという気概はあるらしい。

 そんならさっさと聴いてみろっての。

 長い黒髪で着物という点に引っかからないでもないけど、あたしはあえて無視した。


「何してんの」

「え」


 振り返ったそいつの目は、どっかの小型犬みたいだった。


「どうしていいのかわからなくって……、ごめんなさい。お先にどうぞ」

「いやごめんじゃないよ。別に迷惑かけられてねーし。わかんなきゃ店員呼べば?」

「お忙しそうで、声をかけるのも申し訳なくて……」

「……はぁ~~~~~」


 たしかに、ここってバイトの人数絞るとこあるしな。時間帯によっちゃワンオペだし。

 こう気の弱い奴ってたまーにいるけど、日常生活どうやって生きてんだろ。

 仕方がないから教えてやった。ここにディスク入れて、ここを押してと甲斐甲斐しくしてやった。

 そいつはヘッドホンを耳に当てて、「……わあ」と声を上げる。最新のヘッドホンの音質がどうってより、そこから音が聞こえていること自体に嬉しがっているみたいだ。本当に現代人か? 実はあたしにしか見えていない幽霊の類じゃないか?

 そいつは一分ほどして気が済んだのか、ヘッドホンを置いた。


「ありがとうございます」

「楽しそうで何より」

「ええ、ヘッドホンなんて初めてです。耳触りとか、優しいんですね」


 本当にこいつどんな生活してんだ?


「ふーん。……で、それ借りんの?」

「いえ。今住んでいるところにCDを聞ける機器があるのかわからないので。……でも、もし機器があるなら、借りてみるのもいいかなって思います」

「……ちなみにここ、借りるのに会員登録必要だかんね」

「そうなんですか? それも家の人に要相談になるのでしょうが……、とっても楽しそうですね。ご親切にありがとうございます」


 馬鹿丁寧に深々と頭を下げられた。色々とやりにくいな。


「や、別に? 次それ使うから」

「はい。では、私はこれで」


 そいつが聞いていたCDは、あるアイドルグループのアルバムだった。一昔前に絶頂期を迎えて、今人気こそ下火だけどまだまだ名前を聞く機会のあるグループ。

 そいつはディスクをケースにしまうと、浮かれた足取りでてけてけ棚まで歩いていく。

 ――ただの世間知らずじゃん。

 馬鹿らしい。呆れればいいのか憐れめばいいのか分らない。


 あれがきっと、形栖みやだ。如月蓮見の隣にぽっと出てきたことで、一部女子からは猛烈に批判されている女。

 あたしはそいつの背中を見送って、休日の暇つぶしを再開した。



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