親切?
四人は神社に向かっていた。
蓮見、みや、義弘、そして観月である。
「……やっぱり夏は暑いな。平気?」
「はい」
「髪を上げてきたのは正解だね」
「はい。すっきりです」
大通りの呉服店を目印に左折すれば、長い一本道に入る。近づいてみれば大きく見える山が、真正面に見える。階段の入口になる朱塗りの鳥居も、そこに待ち構えていた。
蓮見は、手に抱えた風呂敷包みを意識した。
そして半歩後ろを歩くみやを、横目で窺う。
『歌』で錯乱してから強制的に眠らされ、おそらく良くはない夢を見て目覚め、一時間の休息の後に出立したのだ。彼女は今も本調子ではないようで、視線が地面に向いたままだ。あの場所に行きたいと言うから連れてきたけれど、短時間の休息を挟むより日を改めた方が良かっただろうか。
そもそも、彼女を連れてきて良かったのかとも思う。
――彼女自身は、《《神社の敷地に入れない》》のに。
けれど、蓮見の勘は彼女に同意したのだ。この神社に来なければいけない気がした。あるいは先祖の意志なのかもしれないその予感に、蓮見は頷くしかなかった。
――己の判断は、間違ってはいないはずだ。
参拝客と思われる二十代の男女カップルが一組、神社の階段を下りてきた。一本道でのすれ違いざま、女性の方が蓮見とみやに気づいて丁寧におじぎをしていった。
みやの右手が、己の左腕を軽く触る。肌寒いのか、着物越しの肌をゆるりと摩った。無意識であろうその仕草を見るのは、家を出て二度目である。
蓮見が足を止めると、後ろに着いてきていた全員もその場に止まる。
包みの中身は女性ものの夏羽織だ。
みやに「後ろを向いて」と優しくお願いして、風呂敷から取り出した羽織を広げて構えた。
「蓮見さま、それは」
「夏物の羽織は持っていなかったでしょ? 色は生成りだから、どんな色にも合うと思う。ほら、袖に通して」
「えっと、自分で着られ――」
「ほら」
「……はい……」
蓮見のお願いに、みやは勝てない。彼女は着ている紗袖の袖を持って、そろそろと羽織の袖に腕を通していく。
見立ての通り、彼女によく似合う。襟元を整えてやると、彼女は恥ずかしそうに視線を逸らした。やはり嫌悪も恐怖もない。純粋な好意だけがある。
その好意が、今は切なく感じる。
昨日の昼時に、名取と話をした時のことを思い出すと、特に。
『坊ちゃん、みやさんのことですが――』
名取が収集してきた情報は、みやにまつわるものだった。蓮見はそれを聞いて、今の彼女の状況を理解したのだ。
蓮見が『恋人同士のように仲の良い許嫁関係』を望んだ結果、彼女の魂はそれに応えるために、都合の悪い過去を忘れてしまっている。彼女と近づくたびにそれを意識してしまって、罪悪感が左右の肺に籠っていく。
――けれど今はそれよりも、彼女が安定していることが重要だ。彼女の傍にいても怖がられないことは、現状に限っては都合が良い。
「蓮見さま?」
「……なんでもないよ。それより、鳥居の色が見える?」
「はい、たしかに」
「全部?」
「見える範囲でしたら、すべて赤……、というか、朱色ですね」
みやは厳しい目で、連なっている鳥居を見上げた。
一行は歩みを再開する。神社との距離が縮まっていく。
「あの鳥居は真上から陽光が当たると、とても綺麗に見えるそうですね。けれど、月灯りを真上から浴びても、きっととっても綺麗なんでしょう。夢で見た光景が夜だったので、色は少し褪せて見えても……あれはたしかに、神社の鳥居だったかと。ただやはり数が多いので、何本目の鳥居かはわかりませんが」
「その夢が誰の記憶かはわかる?」
「いえ、若い女性だということだけ。穴を掘っていましたので、手は見えていました。ただ、どう言ったらいいのか」
「穴、意味深だね。……感じたことをそのまま言ってみて」
「……先日のウォークマンは、薄いピンク色でした。それがどこか禍々しく……、手に取るのが怖い代物だということは、肌で感じました。怨念に似た何かがあると。私がそれを聞いてしまったのは自分でも不思議ですし、それこそ呪いとか、ええっと……憑依に似たもの……でしょうか?」
みやが自信がなさそうに見てくるので、蓮見が「そうだね」と首肯する。安堵した彼女は続けて、
「けれどあの鳥居には、あの怖さがありません。憧憬とか、叶わない夢、みたいな……。私の目で色として認識できるほどの、強い思い入れがあるのはたしかでしょうけれど」
「そうだね」
蓮見もその意見には同意する。
「これだけ近づいても、あの鳥居には嫌な感じがしない。だけど、気を付けて」
「……はい」
*
この暑い盛り、自然と隣り合って歩き始めた彼らを、義弘と観月が真顔で見つめている。進行方向にいるから見えてしまう。こそばゆいから真正面にいないでほしいと思うけれど、声にはしなかった。
「そういえば」
義弘が、観月にだけ聞こえるように声を潜めた。
「さっき如月さんが、みやさんの耳元で何か言ったら、みやさん急に寝ちゃったんですけど……、あれってどうやったんですかね」
「あー、坊ちゃんそういうの得意なんスよねぇ」
見た目よりもずっと親しみやすい観月は、義弘にこそこそ答えた。
「そういうのってどういうのですか……」
「言霊みてーな暗示みてーなお経もどき的な?」
「もどき」
「前に坊ちゃんガチギレさせた時に食らったんスけど、しぜーんにイっちまいますんで、ええ。何言われたのかもわかんねーうちに気づいたら朝なんでヤベーわこえーわマジか漫画かって思って終わったカンジっすねェ」
「うおおお漫画ですね……!」
「坊ちゃんの家って大体漫画みてーなモンなんでェ、オカルトなんでェ」
「うひゃひゃ」と奇妙に笑う観月は、義弘に詳しく教える気はないようだった。
*
階段の入口、最初の鳥居に行き着いたところで、蓮見が「そういえば」とみやに問う。
「みやは、松野愛理を知ってる? 会ったこととかない?」
「さあ、お名前を聞いただけなので……。もしかしたら街中で、すれ違っていたりはするのかもしれませんが」
「あっ、じゃあ見てみます?」
義弘が、自分のスマホを操作する。タップとフリックを繰り返して、みやに画面を見せた。
今より少し幼い義弘と、金髪の少女が映っていた。染めているのか、髪の発色が少々不自然で似合っていない。どんな成り行きでこの状況になったのか、愛理はソファで涎を垂らして豪快に眠り、その足元のフローリングで義弘が寝ていた。どちらも満足そうにしているので、事件性はないようだ。
家族が撮った写真が、義弘のスマホに転送されたのだろう。
ごく一般的な、このうち片方が亡くなっているとは思えない、ほほえましい写真データだ。
みやはじっくりと見て、やがて「――これ……」ぽつ、と呟いた。そしてまじまじと、最初よりも真剣に、鬼気迫る様子で、食い入るように写真を見つめる。
「みやさん?」
「この、方は」
ただでさえ良くない顔色が、さっと青ざめていく。
「……顔立ちは、私が知っている方と似ているのですが、でもあの人は黒髪でした。なので……違う方かと……」
どこか願うような声だった。
そうであってほしくないと言っているような。
けれど蓮見も義弘も確信してしまう。――彼女は松野愛理に会ったことがあるのだ。
義弘が言いにくそうに口を開く。
「えーっと、愛理は最後に僕と会った時は金髪じゃなかったから、この写真のちょっと後……受験する時には黒くなってたんじゃないかな。知ってるんですか?」
信じたくない。だが、現実は目の前にある。だけど――。そうして葛藤するみやを、蓮見は急かさなかった。
「私は、この方にお会いしたことがあります」
彼女は躊躇いの後、それを認めた。
蓮見は目を細め、義弘は「えぇ……」と困惑し、観月は「マジっすか」という顔をした。
「友達だった?」
蓮見が問うと、彼女は首を横に振る。
「この通り、名前も知らなかった仲です。だけど、友達になれるかもしれない方でした」
――亡くなってしまったなんて。
みやが喘ぐように呟く。
「とても優しい方で、親切にしていただいて」
「親切」
「親切?」
男二人が顔を合わせる。
もしかしたら松野愛理ではないかもしれない。失礼にも一縷の希望を抱いたけれど、みやに詳しく聞けば聞くほど、それは死んだ彼女で間違いはなかった。




