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あかいいろ

 義弘の話が終わる。


「……歌……」


 みやはぼんやりと呟いた。身に覚えがあった。義弘の話ではタイトルも知れない歌を、きっと自分は歌える。

 今も聞こえている。

 遠くから。

 ああ、と小さく漏れた嘆息が、隣の蓮見に聞こえてしまったようだ。どうしたのと気遣わしげに見下ろされた。

 みやは茫然としながら、彼を見る。

 彼が強張った顔をしたのは、きっと自分があんまりにも真っ青な顔をしているからなのだろう――みやはそれでも、平静を取り繕ってなんていられない。


「……歌、が」

「歌?」

「歌が、来る、遠くから……近づいてきます」


 訴えても、蓮見には聞こえていないようだった。

 それならばと義弘を窺い見るけれど、彼もまた「なんのこっちゃ」という顔でいる。あれが聞こえているのは自分だけなのだ。


「なんで……?」


 そんなはずはない。

 みやはきょろきょろと見回した。

 あれは外から聞こえている。じんわりと一定の速度で、決められた経路に沿うようにこちらに近づいてきていて、――車? そうだ、あれは車で来るのだ。車に乗った誰かが、あの歌をスピーカーで大きく流している。ぷつ、ぷつ、と途切れ途切れになって、雑音も混じった、音源よりも低めの歌。

 それはこの屋敷がある小山の、すぐ下の道路を、ずーっと走っている。


「あれ、あの歌です。スピーカーで、今流れてる……」

「ごめん、俺には聞こえない。君は?」

「僕も、すみません」

「そんな……っ」


 信じられなかった。こんなにはっきりと聞こえているのに、どうして誰もあれを聞き取れないのか。

 外で走っている車のスピーカーから、歌が流れています。たったそれだけのことを説明しても、二人には伝わらない。


「私にしか、聞こえていない……?」


 みやが呟いた。

 そして、明るい歌詞を歌っていた声が、キーを急激に下げた。アイドルらしく愛らしい声が低くくぐもって、おぞましいものに変わる。

 墓場の中で歌っているみたいだ。

 悪意を持って。――しかし愛の歌を。

 穏やかに微笑みながら、口ずさんでいる。


「っ……!」


 あれは呪いだと、直感した。

 みやは「あれ」「近づいてます」「蓮見さま」と訴えながら、とうとうあの歌を聞きたくなくなって、両耳を塞いでしまう。車が通り過ぎるのを待った。

 けれど遠くで、

 ぶち、

 と電気が繋がった音がして、

 歌が流れる。


   ゆめは あき らめない

   こい だ って いつだ っ て

   せ か   い は 

   あなた の ため にある

     だれ でも ない 

   あ なたの ために


 ――……っ!


「いや、嫌ぁっ……やめて、聞きたくな、ぃの、やめて、こわい、こわい、怖いぃ……っ」


 耳を塞いでも聞こえてくる大音量に、みやは頭を振って抵抗した。

 隣の蓮見が立ち上がった。どこかに行ってしまう。


「少し待って。すぐ戻る」


 そう言われても、みやには聞こえなかった。

 こんな中に置いていかないでほしくて、みやの視線は彼の背を見る。けれど彼は問答無用で行ってしまうし、自分の体は此処に座り込んだまま動けなくて、


「蓮見さまっ」


 そう呼ぶだけだった。

 彼は襖を開けて、部屋を出て行ってしまった。

 みやは絶望感で一杯になりながら、顔を俯けて両目を強く閉じた。五感のすべてで、あの雑音を拒絶する。けれどそれでも、あの音はみやの貧弱な手を擦り抜けて、耳孔から脳髄に浸み込んでいく。


        あ

   あ なた

     の た   め 

         に

    あなたの  ため に

    あなた あなたの あなたの あなたぁあなたあなた あ なた た たたたた ああなた なた た あなた あ ぁ ああぁぁあ、


 ぶち、電気が切れた音がした。

 彼は三十秒ほどで戻ってきて、錯乱するみやの両肩に手を置いた。


「さっきのはただのラジオだよ。落ち着いて。ほら、俺はここにいるから」

「こぁい、聞きたくない、のに、はすみさま、はすみさまっ」

「……みや」


 名前を呼ばれたってわからなかったから、みやは小さく縮こまる。

「ごめんね」耳を塞いでいた手を力づくで外されると、


「―――――」


 耳元で囁かれた。

 無機質な、彼の声だった。

 ぼそぼそとしたそれは、お経のような語りのような、不思議な響きをしている。意味は捉えられない。みやはその声を認識した瞬間に、ふわりと意識が遠退いていくのを感じた。ぐらりと傾いた体は優しく抱き止められて、そして――眠る。


       *


 虐げられていた女の子は、王子様が差し伸べてくれた手を取りました。

 王子様は、女の子を自分のお城に案内してくれました。

 親切で貸してくれたお風呂のお湯は、雪で冷え切った体には少し熱く感じました。頬を伝う熱い水は、頭から被ったシャワーのお湯なのか、それとも涙なのかもわかりませんでした。

 王子様は美しい人でした。

 王子様は優しい人でした。

 王子様は隣国のお姫様と婚約していました。

 王子様は隣国のお姫様を大層愛していました。


 女の子は穴を掘ります。何度も、何度も、何度も。

 夜のことでした。穴を掘るのは何度目かもわかりませんでしたけれど、手に馴染むスコップを何度も土に突き刺して、泣きながら掘りました。

 自分の墓穴を掘っている心地でした。

 それでも女の子は作業を続けます。

 それが自分のためだと知っているから、そうします。


 流れる汗を腕で拭いました。地面を見ているよりは明るくなった気がする視界の中に、綺麗な赤色がありました。赤いもので囲まれた通路です。女の子はその通路を歩いたことはありません。これからも、その予定はありません。


 ――きっと、


 女の子は考えます。


 ――あの子は、あの通路を通って行くんだ。


 彼らの結婚式は、あの赤色を通った先で執り行われるに違いない。

 女の子は作業を続けます。憧れの道からうんと外れた暗い木々に混じって、穴を掘ります。

 ひたすらに、ひたすらに、


 ――いいな、いいな、……狡いなぁ。


 際限もなく。


       *


 蓮見は膝に乗せた彼女の頭部を、ゆっくり撫でつける。彼女は健やかな寝息を立てていた。可愛いな。そんなことを考えている場合ではないけれど。

「布団とかで寝かせた方が」「そうしたいのは山々なんだけど、今は俺から距離を離す方が危ないから」この件が終わったら、離れていても一定の効力が発揮できるもの――たとえばお札とか、お守りの作り方を真剣に習おうと蓮見は思う。筆を使うものは苦手だし、実家に戻るのは億劫だけれど、背に腹は代えられない。

 密かに決心する蓮見に、義弘が問う。


「さっきのって、ラジオだったんですよね?」

「さっきのは、そうだね。電池を抜いて戸棚にしまってあったやつだけど。今度の歌は君も聞こえた?」

「うぇえ……、聞こえましたけど、そんなの聞いちゃったんだ僕……」


 一瞬の無言。後に、


「――質問していいかな?」

「はい」

「松野愛理が、生前に何かおかしい行動を取ったり、様子が違ったり、そういう覚えはある?」

「んんん、僕と愛理は年に一回会えるかどうかって感じだったし……、いつもおかしな奴だったしなあ」

「変わった人だってのは知ってるけど」

「ですか。……おかしい行動っていうのはわからないですけど、新年に会った時はちょっとなんか怖かったかもしれないです」

「怖かった? 殴られたりした?」

「如月さんの中の愛理はバイオレンスすぎませんか。いやまあわかりますけど。あんまりみやさんには知られたくないんですけど、形栖家に対しては、あんまり良く言ってなかった覚えがあります」

「……時々、そういう人はいるね」

「そうなんですか? 昔は悪いことしたのに、今は偉いのが気に入らない、みたいなことを……聞いた気がします」

「うん、しょうがないね」


 それもよくありそうな言い分だなと、蓮見は思う。

 みやの口から「おうじさま」と寝言が聞こえた。もう夢を見始めている。珍しくもメルヘンな単語だし、良い夢ならいいなと思う。


「見ての通り、今最も影響を受けているのはみやなんだよね。それも、良いものではない」

「みたいですね」

「悪霊と呪詛のどちらかを考えてる。俺としては悪霊であってほしい」


 義弘に「僕はどっちも嫌です」と微妙な顔をされた。


「どちらかといえば、って話だよ」


 悪霊といえば悪意の塊だ。それが形を取ったなら、直視するのも難しいほどおどろおどろしい。すれ違っただけで目を付けられ、影響を受けてしまうこともある。手が付けられないものもいる。一般的に、悪霊はよく嫌われる。

 けれど蓮見は、今だけは、悪霊であれば良いと思う。

 呪詛ではないと思いたい。

 呪詛――まじないに必要な要素はいくつかあるけれど、その中に「対象」すなわち「方向」がある。その効果を向ける相手が存在していなければいけない。つまり呪詛の影響を受ける者は、どこかで恨みを買ってしまったということだ。

 大事な許嫁が、明確な悪意を向けられていると考えたくないのだ。それも、あの気さくな松野愛理を相手に。

 考え込んでいると視線を感じて、蓮見は顔を上げる。


「何?」

「さすがに、落ち着いてるんだなって。同じ高校生なのに……」

「落ち着いてはいないよ。内心は荒れ狂ってるし、頭を抱えてもいる。所詮は高校生だよ。まだまだ子供だ」


 だけど。


「だけど、なんとかしなきゃ。相談者が如月の本家に行ったのに、直接こっちに案内されたってことは、これは俺がやらなければいけないことなんだ」


 普段なら違う。

 今回だけが特別だ。

 だから蓮見は、普段よりもずっと戸惑っている。

 実家から回されてくる仕事には、必ず正当な報酬がある。その『正当』の基準も如月家の裁量によるけれど、お小遣いというには少々多めの賃金、またはそれなりの見返りがある。庭に小さめの離れを一戸建てたいとか、外にみやを連れて行ってあげたい等々。依頼を回される時は、必ず交渉を経ていた。

 けれど現行の案件対応に、報酬の話はなかった。

 先日、学校までみやを迎えに行った帰りの車内にて、電話で応答した親は普段よりも素気無かった。それらを総合した結果、

 ――『自分の不始末は自分でなんとかしろってさ』

 要約だけれど、こんな意味になる。

 これは罰だと、蓮見は理解していた。

 自分がどこかでやらかしたのだ。その始末をつけなければいけない。

 膝で寝ている彼女の髪を弄る。


「古ヶ崎さん、だったっけ。ひとまずこれは言っておくけど、君が一人で行動せず、みやの実家の形栖家でもなく、如月家を選んだのは正しい。これは如月の領分だから。……冷静な判断をしてくれてありがとう」


 義弘は気まずそうに視線を逸らした。


「一人で行動しちゃったところも、ありますけどもね」

「そっか、詳しく聞かせて?」


 蓮見はあくまで穏やかだ。義弘は「えーっと」を五回くらい繰り返しながら、つい先日の記憶を纏めた。


「最初、誰かに相談したいなって考えた時に、みやさんに会えたらなって思ったんです。それで学校まで行きました。白い制服ってことは知ってたし、この辺だと白いのは一校しかなかったし。でも会えなくて、……で、隣に絲倉学園があるじゃないですか。そこの女子三人とすれ違った時に、話してたの聞こえちゃって」


 ――松野愛理が死んじゃったのは私のせいかもしれない、って。


 けれど詳しいことを訊ねることもできなかったと、義弘は項垂れた。


「それだと、突き落としたって感じではない?」

「突き落として『私のせいかもしれない』って言い方だったらちょっと他人事すぎません?」

「だよね。……だとすると、どういうことなんだろうね」


 考えてもわからない。

 そのあとは情報とも言えない情報交換をして、そうしていると一時間が経っていた。


「貴重な話をありがとう。また動きがあったら連絡したいから、電話番号を教えてもらってもいいかな」

「はい」


 蓮見は、素直に告げられる電話番号を仕事用のスマートフォンに打ち込んでいく。


「絲倉にはいつ頃までいられる予定?」

「うーんと、宿題とかあるから……できればあと一週間くらいで帰れたらなって」

「そう。それまではどこに宿泊してるの?」

「祖父母の家ですよ。こっちにいる時はだいたいそこですんで」

「宿があるならよかった。万が一危ないことになったら知り合いの家の部屋を貸すこともできるから、声かけてね」

「至れり尽くせり。ありがとうございます」

「いやいや、いいよこれくらい。みやがお世話になったみたいだからね。……ところで、二回くらい会ってたんだよね? 俺も一回目は知ってるけど、その後にも町で」

「……………………一応言っておきますけど、僕、みやさんに何もしてないです」

「何かしていたら敷居を跨がせていないよ」

「真顔こわ……」

「あか」

「……?」

「……うん?」


 突然、変な声が混じった。

 みやがうっすら目を開いていた。

 蓮見が「起きたの?」と声をかけても返答はなく、彼女はそのまま身を起こした。立ち上がり、ふらつきながら障子の方に行く。呼ばれても、彼女は前だけを見ていた。

 縁側に出て、外を指さす。


「あかいいろ」


 示された先には、小高い山がある。その山に『赤』は一つしかない。濃い木々の緑に覆われながら、ちらちらとその存在を垣間見せる人工物。社までの階段にかかる、何重もの赤い鳥居。

 それすなわち。


「……椿山神社?」


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