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死体が動く、夢ですか

 目を開けたら布団の上だった。二階のいつも使っている部屋だ。戻ってきたらあんた寝てるんだからびっくりしちゃったと言う母に、僕はぽかんとする。三十分程度、僕は熟睡状態だったという。

 気分転換に、外を歩くことにした。お通夜は一晩中だし、式自体は明日だし、ちょっとは大目に見てくれるみたいだった。身内の死が精神的に負担をかけてしまったのかという両親の心配にかこつけて、愛理の死体から逃げ出すことにしたのだった。

 玄関に行く途中であの部屋の襖の前を通る時は、視線を逸らしてしまった。襖の裏側をばりばり掻き毟る音がしたらどうしようなんて、うっすら考えた。

 外を歩きながら、改めて考える。

 考えて、そして思う。


 夢だったのか?


 僕は自分の手を見た。きっちり温度があって、爪も人間らしいピンク色をしていた。見慣れた色だ。普段はまじまじと確認なんてしない、『生きている』色だった。

 愛理の死体が動いて爪がはがれるまで畳をがりがりやっていたのは、夢だったのか。爪が白すぎて青いくらいだったのも、不気味なくらいに機械的だったあの動きも、今も耳の奥にこびしついているぎちぎち音も、本当はなかったことなのだろうか。

 あんなに生々しかったのに。

 鬱々とした気に落ち込んでいきそうだった。少ないとはいえ交流のあった従姉に、こんな不信感を抱いているのだって、なんというか……冒涜的だ。いけないことだと思う。


 ――ばりばりばり、ぶちぶちぶち、


 ……本当に嫌だなあ。

 あの音を覚えた頭は、隙あらば脳内で再生してくる。僕の意思に関係なく、否応無く。

 叫びたい気持ちをこらえて、空を見る。さすが夏の絶頂期だった。もうすぐ夜の七時になるけど、まだほんのり明るい。

 ふらふらしていると、やがて人の多い道路に出た。個人経営の店が立ち並ぶ商店街のようだけど、生鮮食品の類は置いていないみたい。ベーカリーとか書店とか、ペットととか画材とか、そういう看板が目立つ。

 書店から出てきた制服姿のみやさんとはち合わせたのは、偶然だった。


「あっ」

「え……」


 前がみやさんで、後が僕だ。

 みやさんといえば着物というイメージが強すぎて、一瞬誰だかわからなかった。


「あ、みやさん? なんか白いね」

「ええ白いです。着物じゃないからびっくりしました?」


 上品に笑われた。夏期休暇中ですが学校に行く用事があったので、とのことだ。前よりもずいぶん余裕がありそうに見える。


「えっと、そちらも学校の制服ですよね。このあたりで見たことはありませんが……」

「あー、これ東都の学校のなんだ」

「やっぱり、そうでしたか。あれから一度も会えませんでしたので、ご旅行の方だったのかと」

「ばあちゃん家がこっちにあるから、時々こっちに来てるだけ。今は……従姉が亡くなって、その葬儀で」

「ああ、それで」


 ご愁傷様ですと頭を下げられて、いやこちらこそと頭を下げる。


「だから顔色が悪かったんですね」

「悪く見えました?」

「ええ、ちょっとだけ」

「ですかー。いやちょっと変な夢を見ただけなんで」

「変な夢。でも夢なんでしょう? 気にしない方が良いかと思いますが……」


 小首を傾げて言われる。


「そうなんだけど、……ねえみやさん、」



       *


「――死体が動く、夢ですか」

「うん。寝た覚えなくて、どっからが夢だったのかまったくわかんなくて……、それでちょっと現実っぽかったなって。やめてほしいなーこういうの」

「死体が動くなんて『ありえない』こと、そこまで気にしなくてもいいのでは?」


 うん?

 今のみやさん、ちょっと怖かった。若干の違和感はあったけど、まあ気のせいかな。


「夢に見るくらい、その方と仲が良かったんですね。本当に、なんと言ったらいいか……」

「えー? ちょっと寂しいけど、ものすごい仲良かったってわけじゃなかったし、まだちょっと実感ないっていうか……そのせいなのかなー」

「人間の心理って複雑なものみたいですからね。自覚がなくても、意外といろいろ考えているのでは?」

「えー僕なんにも考えずに生きていきたい」


 みやさんはやや考えて「このようなことを聞くのは無粋かもしれませんが」と丁寧に前置きし、


「都会ではどうやっているんですか?」

「どうとは」

「あ、ごめんなさい。『おくり』のことです。都会は人が多いし、葬儀があるたびに呼ばれるのでは、さすがに一つの家では手が回らないのではと前から思っていて」

「おくりって?」

「……無いんですか?」

「えっと、漢字でどう書くの?」

「送付先の送の字と書いて、普通に送りだと思いますが……。言葉でしか聞いたことがないので……、知らないですか?」

「うーん、知らないですね」

「ない、とかですか?」

「ない、かもしれないですね……?」


 無い、と思う。お通夜も葬式も初めてのことだし、葬儀の流れも知らないから、なんとも言えないけど。


「なるほど、これがカルチャーギャップ……!」


 うーん喜んでいる。みやさんは謎の感性をお持ちなんだな。

 東都住みの僕は、みやさんの好奇心を大いに刺激したらしい。


「東都はどこもビルが生えてるんですか?」

「そうでもないよ。ビルがたくさん建ってるオフィス街? とか若者の街みたいなところはあるけど……駅周辺とか。でもそこを外れれば、どこもあんまりここと変わんないよ。ああでも、気候はこっちの方が楽かもしれない。あっちは熱が籠ってる感じがするし」

「へぇ……?」

「めっちゃ東都っぽいなーって思うのは、通学で電車使った時くらい。人すごいし、いつも使ってる駅でも、別の出口から出ようとすると迷うんだってさ。真宿駅とか」

「真宿駅って、噂には聞いています。駅が生きているみたいだって。出口が一日ごとに変わってるとか、階段が動くとか」

「それを実感できるほどではないなあ……僕はいつも決まった順路を往復してるだけだし……そこから外れるのすげえ怖い……」

「一度見てみたいものですね」


 東都に興味津々なみやさんである。

 でも東都って彼女が思うほど特別な場所でもない。いつか都会を見てみたい! とか、東都の人と結婚する! とかの理由であっちに行った時に、期待はずれだったら申し訳ないな。ここでできるだけ現実をお伝えしておきたいところだ。


 あれ、結婚?


 みやさんの上京を勝手に想像して、すぐに彼女の事情を思い出した。彼女はこっちの人と結婚することになっていたんだっけ。あと『出られない』とか。風習だかなんだか知らないけど、色々あるんだな。だったら東都にも行けないんじゃなかろうか。だからこその好奇心か。

 そういうややこしそうな事情に首を突っ込む気はない。


「あ、そうだ。暑いですし、よければジュースでも奢らせてください。以前のお詫びがまだでした」


 とのことなので、僕は遠慮なく奢られることにした。あっちですと言われるまま歩いていって、民家とクリーニング屋さんの間にある自販機で塩ライチジュースを選んだ。

 がこん。

 受け取り口からペットボトルを取り出して、みやさんに礼を言おうと顔を上げる。

 彼女は別の方向を見ていた。


「……みやさん?」


 彼女の視線は、対面する道路の画材屋に向いていた。そこから今し方出てきたのは、これまた見覚えのある男だった。

 着物で、育ちが良さそうというかお坊ちゃんっぽくて、柔らかい髪色の、とんでもなく顔の整った男。

 たしか名前は――如月なんちゃらさんだ。

 なんちゃらさんは考え込んでいる様子でみやさんに気づかず、そのまま行ってしまった。声をかけなくて良かったのかな。

「水彩絵の具でも買ったのでしょうか」と、みやさんが独り言ちる。


「実はあの和服の方、私の許嫁というやつなんですが」


 知ってるとは言わず「へえ」と頷いておく。

 みやさんは苦笑して、


「近頃特に何かを考えこんで、絵を描き耽っているらしいんです」

「らしいって?」

「彼が絵を描いているところを一度も見ていないので、お手伝いさんから話に聞いただけなんです。でも画材を買ったなら、きっと話は本当なんでしょう。……貴方は、絵を描きますか?」

「僕はセンスないからなー」

「センスなんて。見える風景を描くだけでも、それらしく見えるものですよ」

「みやさんも描くの?」

「描いていましたよ」


 ややあって、


「昔の話です」


 彼女は寂しそうに言う。

 気が付けば三十分も立ち話をしていた。

 もう日が沈んでいて、お互いそろそろ帰らなければと挨拶を終えた後。


「……あの、亡くなった従姉さんは、もしかして松野愛理さんではありませんか?」

「そうだけど、知ってるの?」


 素行が悪いとかで有名だったのかなーなんてちらっと考えたけど、続いたのは突拍子もないお言葉である。


「ご遺体の第一発見者が、彼なんです」


 これを言ったからどうというわけでもないのですが、なんとなく。彼女はそう結んで、今度こそ去っていった。


「……だいいちはっけんしゃ」


 テレビと映画以外で、初めて聞いた!

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