序章
その日の夕焼けは特に鮮烈だった。
濃厚な入道雲は重そうなのに、綺麗な茜色に照らされながらぽっかり浮いていた。
私は読んでいた本を閉じて、机に二つある蝋燭を吹き消した。
ちょうど夕暮れ時。私はこの時間、いつも部屋の明かりを消している。
天井に近い窓を見上げた。四角い空に、木格子の黒い線が六本も走っている。ここから見える空はいつも同じ形をしていた。
空だけじゃなくて、この広い部屋の様子もずっと変わらない。部屋の一辺を埋め尽くす巨大な本棚とか、それでも置き場が足らなくて隅に積まれた大量の書物とか。
そんなつまらない部屋で、私はひたすら空を見る。
夕暮れの茜色が、深く暗い紺色に支配されていく。
あの茜色は私だ。
追いやられて、塗り替えられていくのだ。今日はなおのことそう思う。年季の入った憂鬱と得体の知れない恐怖に、私は怯えている。
今日。誰かの、十歳の誕生日。
夏の匂いは濃い緑と土の匂い。夏の音は庭の小川のせせらぎと蜩の声。
夏の空は青い色。……今は、赤くなっているけど。
夏の手触りは、
「っ……!」
両腕で身体を抱き締めた。この国特有の湿気が肌を舐めて、とても不快だった。
全部が嫌になる。着物の袖が鬱陶しい。金糸の優美な刺繍が施されたこの振袖だって、深紅の織物から仕立てられた一級品だけれど、着られたって嬉しくない。
憎らしいくらいだ。呪わしいくらいだ。
私をこの離れに閉じ込めたまま、母屋で行われている忌まわしいしきたりが、私の自由と未来を奪っている。
そう、奪われている。今この瞬間にも。
「やだ……」
嫌。
「やだ、よぅ……」
どうしてこんなにも時代遅れの風習を行わなければならないの。
そしてそれが、どうして私だったの。
かたかたと震える身体を押さえつけて、私は畳に膝をついた。俯くと、長い髪が垂れて視界が狭まる。
わからない。
ただ怖い。
私はこれから私の未来と、何を奪われてしまうのだろう。
四角い空に茜色がなくなった。
その瞬間。
ふ、
糸が切れたように、私は気を失った。
目を覚ますと、そこに同い年ほどの少年がいた。儀式を終えたばかりの白い袴姿だった。
私の後ろで、机の上の蝋燭が灯されたらしい。明かりが揺れて、部屋中の影がちろちろ踊る。光が真正面から当たる少年の顔がよく見えた。
紺碧色の瞳をした少年は畳に倒れている私の前に膝をついて、自分の着物の袖で私の涙を拭っていた。
乱れた髪が払われた。力の入らない手が強く握られた。
少年は答える気力もない私の様子を見て、
「ごめんね」
一言。
そして私よりも憔悴した顔をして、言うのだ。
「……君が」
私が最も欲しくなかった言葉を。
「君が、俺のお嫁さんになるんだね」
私は一つ、涙を落とした。




