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行っちゃダメ


   その屋敷には、電話機が一階と二階に一つずつ置いてある。

   夕方の五時ちょうどに、二階から一階へ電話を鳴らすと、

  『人間ではないもの』が応答するという。

   

 そんな噂を聞いた時から、嫌な予感はしていたのだ。


「そういうのは、あんまり良くないと思うけれど……」

「みやちゃんはお固すぎっ」


 腰に手を当てて拗ねて見せる友人に、私は曖昧に笑った。


「ごめんなさい。でも、食事の支度がありますし……」

「いっつもそれ。もー、そんなんで人生たのしいのっ?」


 余計なお世話だと思う。だけどそれは言わない。友人の口調は無神経そうに聞こえるけれど、その表情は真剣にこちらを心配している。活発そうなショートカットがいつもぴょんと外側を向いていて、丸い眼鏡が可愛らしい友人――奏多さんだ。

 いつも疲れないの? なんて聞いてくる。

 そんな風に言われるほど、私は疲れているように見えるのかな。


「そこまで忙しくしているつもりはないのですけれど……」


 客観的にそうでないのなら、もっと疲れていないように見える努力をしなくちゃいけない。花も恥じらう高校二年、十六歳。ここ白雪女学園――通称『白女』と呼ばれる有名私立の女子高校の制服は、白くてお上品で可愛いと有名だ。その上にのっかる顔が疲れていたら、若さも制服も台無しになる。それは良くない。

(――それで、えっと、何のお話をしていたのでしたっけ)

 たしか、町はずれの洋館に行きたいとか。


「奏多さんは、どうしてもあのお屋敷に行きたいと?」

「そだよっ!」


 元気に頷かれた。

 町はずれにある大きな洋館。たしか一ヵ月後には取り壊しが決まっていた。そこで肝試しをしたいと、彼女は言うのだ。高校生にもなって未だ衰えない好奇心には驚くけれど、羨ましいとは思わない。

 奏多さんはいわゆるオカルトマニアというやつだ。

 まだまだ残暑の厳しい時期。少しくらい涼しくなりたいと主張している。


「……だめ?」


 わざとらしいほど潤んだ瞳で迫られても、……うーん、どうしよう。ああいうところって、ちょっと苦手なんだけどな。

 私が言葉に詰まっていると、気分が山の天気並みに変わりやすい奏多さんが「そだそだっ」と別の話題を振ってきた。


「お土産があるの! 山に行った時の!」


 そういえばこの夏休みの間、彼女は山奥に行っていたのだった。自前の天体望遠鏡を持って行って、おひとり様の一週間を満喫してきたというのだ。行動は子供っぽいけれど、星の観察という意外と文化的な趣味をしている。

 私の前に、マスコットが差し出される。まず右手。


「こっちがー、青色っ!」


 おそらく射手座を象ったのだろう、デフォルメされた人馬の小さなぬいぐるみだった。次に左手。


「こっちがー、ピンク色っ!」


 色違いらしい。私の誕生日に合ったものを選んできてくれたようだった。

 さあどっち!? 意気揚々と差し出してくる友人は、今日も元気だ。

 私は少し悩んで青色をとった。その選択に特別な意味はなかった。



 結局断り切れなくて、友人の後についていく。

 学校から歩いて十分くらいの、二階建てショッピングセンターだ。

 二階の出入り口は駅と連結している。ワゴンのミニマドレーヌ屋さんやたこ焼き屋さんがあったりもして、ちょっとした広場になっている。私たちは一階から出ても良かったのだけれど、マドレーヌ目当てにわざわざ二階出口経由で行くことにした。地上への階段もあるので問題ないルートだ。

 まだまだ入場者の多い人の流れに逆らって、私たちは外へ出た。

 チョコとメープルと抹茶のマドレーヌを二つずつ、紙袋で買って、すぐ横の階段を下りる。


 同じ階段を上がってくる二人組がいた。

 黒っぽい髪で高身長の男子と、それより背が低い栗色髪の男子。

 後者は、噂に疎い私も知っている顔だった。彼はこの地域で有名だ。繊細な美貌を持つ十七歳。私より一つ上だ。許嫁がいると知られた今も、多くの女生徒の心を掴んでいるという。

 私の前を行く奏多さんも彼に気付いたみたいで、その背中から緊張が伝わってくる。お気軽に声をかける関係でもないから、無言ですれ違うのみだけれど。

 栗色の彼と同じ段に足を置くと、私とは頭一つ分くらいの身長差があった。

 目が合った。礼儀として目礼して、私はさっさと下へ――。


「ダメだよ」


 びく。

 穏やかな声に、足が止まる。

 振り返ると彼もまた足を止めていて、一段高いところから私を見下ろしていた。


「行っちゃダメ」


 まるで私たちの向かう先を、わかっているみたいに。


「……――、」


 何か言おうと口を開くと「みやちゃーん!」と呼ぶ声がして、私は彼に背を向けた。あちらもあちらの友人に呼ばれて「んー」と気怠そうな声を返していた。後ろ髪が引かれるようで再び彼の方を見てみたけれど、彼はもう階段を上がりきってしまって、その背はすぐに視界から消えた。

 行っちゃ、だめ。

 その言葉が気にかかって、私はまた足を止めてしまう。


「……あの」

「うん?」

「私、やっぱりあの屋敷には――」

「みやちゃん」


 ふ、と。目の前に影がかかる。

 潜められた声は近く感じた。


「お願い。ね?」


 顔を覗き込んできた彼女の瞳は、硝子のようだった。

 こめかみからじっとりと伝った汗は、頬を滑って落ちる。

 眼鏡のレンズを一枚挟んで、瞬き一つしない瞳に映し込まれた私は、固まっているばかりだった。誰かが自動販売機で飲料水のボタンを押した。ジョギングをする主婦の荒い息遣いも傍を通り過ぎた。いつもの喧騒が嫌に遠い。

 じいじいじいじい、アブラ蝉の声がする。

 九月一日、夏休み明け。夏の暑さはまだ続く。

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