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ちょっと走ろうか

 誰かを許す経験がない。

 そもそも喧嘩をしたことがない。

 ごめんね。――みやが人生で数度ほど聞いたことがあるこれは、常に頭上から注ぐ言葉だった。筆頭が如月蓮見だ。彼から時折発される、自分の非を認めるという短い意志表示。けれど、だからみやには、許さないと言える権利がなかった。そこに選択の余地すらなかった。


 ――そう。今までは、それでよかったのに。


 頭を下げたまま動かない友人を前に、みやは困惑していた。

「いえ」「大丈夫です」「とんでもございません」「私が悪いのです」この他に、どう言えばいいのだろう。どれもこの場で使うには素っ気なくて、少々おかしい気がするけれど、では何を言えば。

 対等な友人など初めてだったから、みやは「あ……、えっと」と困ってしまう。

 何を置いても、友人が自分に頭を垂れている現状が耐え難くて、


「大丈夫ですから、顔、上げてください」


 何がどう大丈夫なのか自分でもわからないけれど、そうお願いをした。友人は洟をすすりながら情けない顔を見せてくれたけれど、その後はどうしよう、となった。これ以上の術を、みやは持っていないのだ。

 だって、この友人が何を謝っているのかも、一瞬わからなかった。

 この洋館へ強引に連れて来られた。力があるから、それを期待されて。それをこの友人は悔いている。そして許嫁も、おそらくこのことで木沢奏多を厭っている。

 肝心の自分は?


「…………。」


 ますます困惑してしまう。

 みやがどう考えても、これは泣きながら謝られるほどのことでもないと思ってしまうのだ。

 困り果てて蓮見に目で助けを求めても、彼は口元に微笑を含んで見守る体勢でいる。

 みやの前で、奏多がぎゅうっと唇を噛みしめている。沙汰を待つ罪人をうまく元気づけて、なあなあにしてこの場を収めるなんて、不器用なみやには到底できない。


 どうしよう。

 どんな言葉が『正しい』のだろう。


 そもそも、みやは。


『木沢奏多はあの洋館に何らかの目的があって、そこにみやを連れて行った。この意味が解るよね?』

『…………。』


 蓮見に電話で助けを求めたこの時に、友人に利用されかけたと完全に理解した。

 それでいて怒りもなく、躊躇もなく、悲しみもなく、迷わずここに来たのだ。

 だってみやには、力が利用されることを怒れるだけの、誇りも無い。

 怒ってなどいないのだから、つまりこれは『最初から許していた』となるのだろう。――たぶん、きっと。

 だけど、如月家はこういうことを怒るんだろうな。正しさと秘匿を重んじるあの家は、力の扱いには敏感だから、


「みや」


 みやの懊悩を、蓮見が切り捨てる。


「どっちでもいいよ」


 許すも許さないも自分で決めろと。

 命令されたから、みやはその通りにする。


「奏多さん」

「……うん」


 今にも泣きそうな友人を見つめて、


「もう二度と、しないでくださいね」


 みやは人生で初めて、誰かを許した。

 ぶわわっと本格的に涙を落とす友人に苦笑して、いつか本で読んだように身を寄せて、小さな友人の背を擦る。世間慣れしていないみやだって、誰かの心臓の音が落ち着くことだけは知っていた。


               *



 蓮見は踵を返して、


「じゃ、学校に戻ろうか」

「そうですね」

「えっ、このままでいいのかな……」


 彼を追うみやに、奏多が小走りで追いついた。


「このままって? ああ、確かに館の中にはいっぱいいるよ。君が下手な降霊術を散々試してくれたせいで、呼び込まれて放置されたのがうじゃうじゃと」


 奏多は、ばつの悪そうに視線を落とす。

 蓮見は彼女を一瞥もしなかった。


「オカルト趣味って言っても、そっち方面しか興味なかったんだろう? 呪術や厄払い系統をちょっとでも調べてれば、この周辺で一番身近な如月家のことを知らないのはちょっとどうかと思うし」


 淡々とした嫌味攻撃だった。

 みやは蓮見に言い過ぎだと口を開こうとしたけれど、それを奏多が無言で止めた。制服を引いて、首を横に振った。

 蓮見は怒っている。

 みやの分を、彼が怒っているのだ。最初からそうだった。


「それでなんだっけ、このままでいいのかって? いいんじゃないかな? みやのお願いで君を捜しにきただけだし、目的は完遂しているよ」

「しかし、また同じことになるのでは?」


 根本的な解決には至っていないから、また奏多が襲われる可能性もある。

 みやの指摘に、蓮見は「そうだね」ととりあえず肯定して、


「…………、…………、…………三日、家に泊まれる?」


 苦渋の決断である。


「家に、奏多さんを? 良いのですか?」

「神社の御守りが三日足らずでああなった以上、もうこっちにいた方が手っ取り早くて安全だよ。とりあえずこっちに来てくれれば後は何とかする」

「……それって……」


 三日の泊まり。それに誰より反応したのは、みやである。


「お泊り会……!」


 おとまりかい。多くの人間が小学生ほどで卒業する言葉である。

「えっ」と驚く奏多に、みやは「食事は任せてくださいね」やら「シャンプーもリンスも私のを使ってください」と丁寧に案内する。

 これは喜んでいる。誰の目にも明らかだった。


「ただし、」


 蓮見は奏多を見て、


「家には入っちゃいけない場所があるから、……というか、君が立ち入って良い場所の方が少ないから、覚えてね」


 変な所に入ったら即刻叩き出すぞこのやろう、という顔だった。

 奏多は心持ちみやに寄りつつ歩いて、思う。如月蓮見に関する噂話を聞いて集めたあの日が遠い過去のようだ。儚いイケメンがなんだっけ。物腰柔らかって辞書を引いたら『嫌気が態度に表れるさま』とでも書いてあるのだろうか――。そうやって肩身が狭そうに考え込む奏多の表情もまた、みやには分かりやすかった。

 庭を抜け、敷地を出て、来た道を戻っていく。

 夏の空だった。

 まだ蝉が鳴いている。

 太陽はずいぶん高く、もうお昼の時間だろうと思う。


「そういえばあの洋館、明日には立ち入り禁止になるから、忘れ物があるなら今のうちに行った方がいいよ」

「明日? 早くないですか?」


 奏多が覚えている限り、あの館の取り壊しは一週間以上も後のはずだ。


「そうだね。でも、そうなる」


 確信している言い方を不思議に思った奏多が如月蓮見翻訳係(みや)を見ても、彼女は困った顔をするばかり。

 二人に迷惑をかけた奏多は、拭えない罪悪感から、いつものような強引さを発揮できない。気になってはいても、それを追求できる立場にはないと自覚していた。




「うーん。ちょっと走ろうか?」


 蓮見が「このままだとお昼休みも終わるし、授業中に教室に入ることになるかも」と振り返ると、後ろの二人は揃って首を横に振っていた。珍しいことに、みやまで強く反対しているようだ。


「そこまで嫌?」

「はし、走る? 本気ですか? だって如月さんって、走っちゃダメなんじゃ?」

「失礼だな、俺だって走るくらいするよ」

「無理はなさらない方が」

「言っておくけど、噂ほどか弱くないよ。風邪ひきやすかったり長引くだけ。筋力がないわけでもないし、その気になれば、みや一人くらい抱えられたりするしね」

「……私、抱えられたことあるんですか?」


 蓮見は意味深に無言を貫いた。

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