エピローグ 走り出した耕太
「おかえり」
BBEからログアウトすると、俺の横にはさくらが立っていた。俺も思わず立ち上がる。
「俺……俺は……」
「うん」
今まで自分のしていた事を重く受け止める。
「野球部から逃げて……」
「うん」
「さくらにも……酷い事を言った……」
「うん」
さくらは俺の言う事全てに頷いてくれた。不意に涙がこぼれそうになる。
「ごめん……さくら。俺の事をずっと考えてくれていたのに……俺は、現実から逃げて……ゲームばかり……これからどうすれば…………」
その時、さくらは優しく俺を抱きしめてくれた。
「私は嬉しかったよ」
「え?」
「翼くんとしてだけど、耕太くんは優しく野球を教えてくれた。実はちょっと疑っちゃったんだよ? もしかしたら昔の耕太くんはどこか遠い所へ行ってしまって、凶暴な性格だけ残っちゃったんじゃないかって」
俺は何も言い返せない。
「でも違った。耕太くんは耕太くんだった! きっと現実では辛くて、BBEでしか本当の自分を出せなくなっているんだって思った。だから、私が翼となって現実世界へ連れ戻しに行ったんだよ」
「ありがとう……さくら」
そう言い俺は泣いてしまった。
どれくらい泣いていただろうか。その間、さくらは何も言わずにずっと優しく包み込んでくれていた。不意に恥ずかしくなりさくらから離れる。
「も、もう落ち着いたから! うん」
「じゃあまた明日から野球部の練習に行こうね」
そう言われ、ジャガーズのメンバーの顔が浮かんだ。
「ごめん。あと1日だけ猶予をくれないか。ジャガーズの皆に挨拶をしたいんだ」
「1時間だけだからね?」
次の日、ジャガーズの皆を集める。
「皆に言わないといけない事がある」
俺を見つめるジャガーズ。
「実は俺、現実では高校球児をしてて、中々上手くなれずにBBEに来てたんだけど……これから夏の大会まで野球部に集中しようと思ったんだ。だから……しばらくここへは来れなくなる」
意外な事に、皆の反応は穏やかなものだった。
「何となく気付いてはいたよ。翼くんは現実でのチームメイトか? 毎日入団テストを受けに来るなんて、よっぽどの事だからな」
サボテンの顔には少し寂しさが浮かんでいた。
「まあそんな所かな」
「高校球児だから! 最初からあんなに! 上手かったんだね〜!」
ノノは無理にふざけているように見えた。本当はおじさんのキャンペーンのお陰なんだけど……そういう事にしておこう。
「げ、現実での経験が活かせたヨ」
「またいつでも帰ってきてくれ」
「野球部を引退したらまた来るさ。それまで、ジャガーズの事を頼む」
キャプテンと固い握手をした。手には水滴が落ちてきた。
「コータ が居なくなるから四番が空くな〜。帰ってきたら不動の四番打者ノノがコータ に立ち塞がるよ〜」
「お前のパワーじゃ一生無理だよ」
チームメイトから茶々が入る。
「は? うるせえ!」
ノノがまた男言葉になっていた。皆は笑う。ああ、このチームの一員となれて幸せだった。
俺がBBEからログアウトすると、さくらとおじさんが部屋に居た。
「おっ! ちゃんと帰ってきたな。これもさくらの力だな」
「当たり前でしょ〜」
さくらと仲の良さそうなおじさんにちょっとだけ嫉妬をする。
「おじさん、さくらと仲が良いんですね」
あれ? と言ってからおじさんは言葉を返す。
「そっか知らないか。だって俺はさくらの本当のおじさんだからな。さくらの親父は俺の兄だ」
なんだって? 幼なじみのはずなのに、全く知らない。
「さくらとは幼稚園からの付き合いなのに」
「ああ、さくらが赤ちゃんの頃にはもう留学で渡米しちゃってたからな。その後、日本のゲーム会社に就職したが、仕事が忙しくてさくらの家にはあまり顔は出してなかったし、そりゃそうか。電話ならよくしてたんだぞ?」
何だそれは。
「さくら! 何で教えてくれないんだよ」
「会わない親戚の事、わざわざ教えないでしょ?」
うーん、確かに。そういや何を学びに留学したんだろう。
「おじさん、何を学びに留学したんですか?」
「最新のゲーム理論を学びたくてな。するのも好きだが、作る方が好きなんだ」
ん? 待てよ……ということは。
「もしかしておじさんは……」
「BBEの製作者だ」
ええええええええ!?!?!? 天と地がひっくり返るような気持ちになった。これまで疑問に感じた事をぶつけてみる。
「俺が最初に来た時、BBE買うのに結構お金がかかったって言ったのは?」
「あれは研究開発費の話だ。そうそう、壁の方は本当に高かったぞ。予算が足らず、あれは自腹なんだトホホ」
「何度もお姉さんに会いに行ったのは?」
「ログイン時にバグが起きないかのテストだ。お姉さんがずっと黙ってるとか怖いだろ。いや待て、それはそれで有りかもしれん」
「じゃあ俺が野手だと知っていたのは?」
「それは私が教えた」
さくらが?
「そもそも、こんな個人経営のゲームセンターに最新ゲームがあるなんておかしいと思わない?」
こんなとはなんだ、とおじさんからツッコミが入る。考えた事は無かったが確かにそうだ。
「野球VRを開発してるって話を聞いて、家の近くに設置してほしいって私がお願いしたんだ。耕太くんに自信をつけてもらいたくて」
だから総合評価Cからのスタートだったのか。
「上司に納得してもらうのに随分苦労したぞ。普通の人の反応を知りたいんだ〜って事にして、駐在までさせてもらっている。でもまあここまでハマるとは思わなかったがな」
「うう、すみません」
「良いってことよ! 開発者冥利に尽きる!」
おじさんは大笑いをした。
「じゃあ俺の前に見に来た子っていうのはさくらの事か」
「どんな物か見てみたくてね。一緒にBBEする事になるとは思ってなかったけど」
笑顔になるさくらにドキッとした。
「これからまた頑張ろうね」
もう二度とさくらを悲しませたくないと思った。
「お願いしまーす!!」
今は外野の守備練習中だ。俺は大きな声を出している。
「おい桜田! 良い声出るようになったじゃねーか!」
コーチがフライを強く打つ。飛距離の大きい当たりに「わりぃ」とコーチの声が聞こえてきたが、これぐらいなら取れるはずだ。ジャガーズのデビュー戦を思い出せ。ギリギリまで打球を引きつけるんだ! 走って走って……今だ! ポスッ。見事グローブに収まった。チームメイトから拍手をもらった。
あの一件から俺は今まで以上に野球部の練習を頑張るようになった。コータ の時ほど野球が上手い訳では無いが、これまでよりも確実に上手く動けた。BBEでの経験が活きているのだ。それからの俺はレギュラーには届かないものの、時々試合に使われるようになった。チームの勝ちを呼び込むヒットを打った事もあった。
そして、夏季大会が近付いたある日の事、大事なイベントがやってきた。背番号の配布だ。レギュラーは1〜9番を付ける。ベンチ入りできる人数は20名。それまでに呼ばれなければ、俺はまたスタンドだ。コーチが次々と名前を呼んでいく。
「9番坂谷!」
「はい!」
やはりレギュラーは無理か。どんどん数字は大きくなっていく。もうダメか。最後の番号だ。
「20番桜田!」
「……」
あれ? 今呼ばれた?
「おい桜田! いらないのか?」
「い、いえ! いります!」
チームメイトから笑われる。和やかな雰囲気だった。
「良かったな」
そうコーチから言われ背番号を渡される。初めてもらえた。嬉し涙が出た。
その日の帰り、例のごとくさくらと帰った。あれからさくらとは今までよりもちょっとだけ仲良くなった気がする。
「耕太くんおめでとう!」
「ありがとう」
二人で笑う。そして、さくらがこう質問をした。
「どっちの野球が大事なの?」
俺は答えた。
「どっちもだよ!」